城下の部外者たち
「今頃……、知った頃かな……」
城下の近くにあった食堂でオレたち三人が軽食をとっていた時、不意に兄貴がそんなことを口にする。
先程の騒ぎはどうも一過性の現象だったらしく、すでに街は平穏……、というか静かな重苦しさを取り戻していたため、兄貴の独り言の声が妙に大きく聞こえた。
「何がだ?」
塩気のないフライドポテトのようなものをつまみながら、オレは兄貴に尋ねた。
これに塩分を加えるなら、単純に塩化物調味料を振りかけるかな?
あれは、変化しにくいので、オレにとっては万能調味料だと思っている。
似て良し、焼いて良し、揚げて良し!
「真実だよ。クレスノダール王子殿下と占術師の」
「は?」
兄貴の言っている意味が分からない。
「先輩……、何か知ってたのか?」
時折、頭を押さえながらも紫色のシャーベット状の何かを食べていた水尾さんも、その言葉が気になったようで尋ねた。
彼女が食べているのは、リンゴに似た果物に甘味系植物の粉を振りかけて凍らせたデザートのようだが、凍らせるなら甘味系植物の汁の方がオレは、上手いと思う。
いずれもこの大陸で採れるものだ。
「いや、俺も知らなかった。どちらかと言うと、彼女の話から分かってしまったというべきかな」
兄貴は黒色の液体を飲みながら一息つく。
アイスコーヒーに近い色合いだが、漂う香りは果物系に似ていた。
オレの知らない飲み物だな。
なんだろう?
時間があれば、後で、注文してみるか。
「分かったって何についてだ?」
水尾さんが怪訝そうな顔で兄貴に尋ねる。
「俺が最初に彼女の話を聞いた時に、皆に話す前に彼女に口止めをしたことがある」
「は? じゃあ、高田は私たちに隠していたことがあるのか?」
水尾さんの疑問はそのままオレの言葉にもなる。
あの高田が……、兄貴に言われたからと隠し事をした……、だと?
「俺が口止めしたのだから、結果としてそうなるな。尤も、彼女自身はそれがそんなに重要なことだと気付いてなかったから、口止めされたことに対して、抵抗も罪悪感も何もなかったはずだがね」
「先輩は高田に、何を……隠させたんだよ」
水尾さんが怖い顔をしている。
ただ声を荒げる様子はないからオレは静観していよう。
「占術師が彼女に対して行った呪い……ってところだね」
「呪い?」
オレは驚いた。
占術師が死んだ日を思い出す。
あの日、高田は確かに力なく座り込んでいたが、外部から呪いを受けた跡なんて全く感じられなかったのだ。
……って言うか、アイツはオレも知らない場所でいくつ「呪い」ってやつを抱え込んでいるんだ?
「何か……、あの占術師に言われたことがまだあったってことか?」
水尾さんは兄貴が言う「呪い」を「言葉」だと解釈したらしい。
なるほど……、確かに「言葉」なら心に深く鋭く突き刺さる割に、他人には気付かれない。
「いや、もっと分かりやすいものだ」
「分かりやすい?」
水尾さんがさらに露骨に怪訝な顔をする。
整った顔の眉間に深いしわが刻みこまれる。
「彼女は……、占術師によってその動きを封じられたと言っていた」
「は……? 高田は、目の前の出来事が突然すぎて動けなかったんじゃなかったのか?」
あの時、確かに彼女はそう言っていた。身体が固まって、動けなくて……、だから……、あの占術師を見殺しにしてしまった……と。
だが、占術師によって動きを止められた状態にあったのなら、彼女は負わなくても良い傷まで抱え込んでいたことになる。
「占術師が発見された場所はギリギリ結界内だから魔法が使えねえはずだ。それも相当古い自然結界だから古代魔法も例外じゃないと思う。そんな場所でもともと魔法が使えないとは言っても、ある程度意思が強い高田の動きを抑制することなんて……」
そこまで言って、水尾さんが言葉を止めた。
「いや……、まさか……」
水尾さんが、震えだす。
「ど、どうしたんですか? 水尾さん!」
「どんなことにも例外はある。あの結界は古代魔法すら制限するものらしいが、全てを封じているわけではない。つまり……、結界として万能ってわけじゃないようだ」
「どういうことだ?」
兄貴の言葉の意味が分からない。
万能じゃない結界。
そんなの結界の意味がなくなるんじゃないか?
「先輩が知っていることに驚きはないが、少年は、もしかしたら知らないかもしれない。普通の魔法ではないからな。でも、古代魔法の一種で、伝説級の秘術の中には確かにそんな特殊なものがある」
水尾さんはゆっくりと口にする。
「掛けられた跡も分からず、相手の脳に働き掛け、それも、先輩が『呪い』と称するもの。『呪い』と呼んでもおかしくはないもの。『禁呪』と呼ばれて一部の人間にしか扱えない魔法がこの魔界には存在するんだ」
呪い……、古代魔法……、相手の脳に働きかける……?
そんな特徴がある魔法……を、オレは一つしか知らない。
「長期的かつ強力なモノならちゃんとした準備が必要だ。だが、ほんの僅かな足止めで良ければ、詠唱も準備も要らない。必要なのは相手の隙だけだ」
自らにも課せられた『呪い』。
『禁呪』といわれるほどのその魔法の名は……。
「まさか、命……呪……?」
「少年も知ってたのか?」
水尾さんが驚きの声をあげる。
絶対命令服従魔法。
強制命令魔法など様々な呼び名がある古代魔法。
まず普通の魔界人だけではなく、貴族すら知っているものではない。
だから、『秘術』とも言われているのだ。
だが、確かに一般的には知られていないかもしれないが、オレたち兄弟はその魔法の存在を己の身体で知っている。
抗うこともできない絶対魔法。
そこには対象の意思を明確に拒絶させるために、更なる強い意思と巨大な魔力を必要としている。
それらをもって、相手の精神を乗っ取るのだ。
「そうだ。彼女は占術師が身を投げる直前に、それを施されたと言っていた。ただでさえ、魔法に対して耐性がないに等しい状態の彼女だ。『命呪』という手段を使われたら、指先一つ身動きはとれない」
「ちょっと待てよ……。それが本当なら、占術師って……実は……」
「禁呪とまで言われる古代魔法。そして、彼女の言葉を思い出すと……、行き着く答えなんてそう多くはないはずだろう?」
「そ……んなこと……って……」
水尾さんは持っていた匙を落とし、呆然とする。
その魔法は知識があっても、使えるわけではない。
それらを使用できる人間はこの世界でも限られていて、その中でも絶対的に必要な条件があった。それを考えると結論は割とすぐに出る。
そして、鈍いオレでもその結論には行き着いた。
『命呪』という秘術を使用できるのは特定の血族に限定される。
それは古代より神々の血を守りし者たち。
並の人間では届かない領域をはるかに凌駕する出鱈目で規格外な存在。
つまり……、あの占術師とクレスノダール王子はもしかしなくても……。
「クレスにはともかく、なんで……、高田には言わなかった?」
水尾さんの声が鋭くなる。
「彼女は顔に出る。それに……、これだけ大きな秘密を抱えきれないだろう。ここに来る意思を見せる前に、クレスノダール王子殿下に告げられても困る。その衝撃であの時以上に身動きが取れない事態が続けば、ここまで早く来ることなどできなかっただろう」
兄貴は残りの飲み物も飲み切り、空になったカップを置く。
「高田に口止めをした上で、クレスの気持ちを利用したってことか?」
さらに水尾さんの声が鋭くなった。
その言葉の棘を隠さないほどに。
「結果的にはそういう事だな。だが、遅かれ早かれ、クレスノダール王子殿下もここに来ることになっただろう。大神官に会わねばその言質はとれない。真実を知る人間が限られている」
「他に方法は……ねえか。先輩や少年は高田が最優先だったな。他国の王子の傷が一つ増えたところで、そこまで気にしないだろう。でも……な……、先輩? もっと他にやり方はなかったのか?」
どこか悲痛な声を水尾さんは絞り出した。
彼女は納得できないらしい。
「勘違いしてもらっては困るな。あの時、その事実をクレスノダール王子殿下が受け止めきれるほどの精神状態にはなかった。一歩間違えれば、あの城樹内で死体の山ができたかもしれない。その中には王子自身やその原因を作り出した人間たちも含まれる」
兄貴は淡々と言葉を紡いでいく。
「それは極論だろうが」
「部屋籠りまでして、外部との接触を断ち、さらに限界まで飲食していない人間の理性など役に立つと思うか? 全てを話した後の彼女に八つ当たりがないとは言い切れたか?答えていただきたいものだな」
そう返す兄貴の言葉にも珍しく鋭い何かが隠れていた。
既に限りなく事故に近い事象は起こったのだ。
誰も悪くない、悲しい出来事。
それについて考えても、最良の答えなどあるはずもない。
だが、部外者である自分ですらこんな気持ちになるのだ。
当事者たちは今頃、どんな気持ちでいるのだろうか?
せめて、その傷が少しでも過ぎた時間が癒してくれていたと、そう願いたかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




