静かな城下の違和感
「嬢ちゃん、ぼちぼち行こか~」
茶色の髪をした青年は、まだ眠そうな顔をしている黒髪の少女に声をかける。
「うん」
黒髪の少女は目をこすりながら、答えた後、大きなあくびを一つした。
どうやら彼女はまだ眠いらしい。
今の時間としてはそんなに早くないため、周囲もお勤めに入っている。
ここは、この広い城下でたった二つしかない宿の一つだが、それでも神官たちが通らないような町外れではなく、大通りに近い。
もう一つの宿は城下門に近く、商人たちがよく利用しているが、城からはかなり離れた場所にあった。
城に用事があるのだから、城に近い方をとった方が良いだろうと黒髪の青年の提案により、こちらに決定した。
但し、城に近い分、警戒も厳しいし、お値段も高いようだったが。
「彼女をよろしく。俺たちは城下をフラフラしてるから」
「ユーヤらは行かへんの?」
「今の時勢、城に入る不審人物は少ないほど良いだろう?」
「不審人物て……」
その言いように茶色の髪の青年は思わず苦笑する。
「貴方は、この国でも知っている人はいる。しかし、我々を知る者は少ない、ということだな。彼女一人ぐらいはどうとでもなるだろうけど、プラス3人は多すぎる」
「この場合、どうにかするのは俺やないか?」
「そういうことだな。だから、よろしくと言ったんだよ」
「ホンマ、油断ならない男やな」
黒髪の青年の微笑みに、茶色の髪の青年は皮肉気な笑みを返す。
「油断してくれた方がありがたいんだけどな。性分なんだろうね」
「まあ、ええ。俺かて、嬢ちゃんを危険な目に遭わせる気は毛頭ないさかい。じゃあ、行ってくるわ」
そう言って、茶色の髪をした青年は、今だに目をこすっている黒髪の少女を連れ、行ってしまった。
「あ~あ。オレも、封印解除の瞬間を見たかったんだけどな~。魔法だけじゃなく法力で封印されているヤツって珍しいし」
魔法で簡易封印されているものなら、少年自身でも解除は可能だ。
しかし、法力で封印されている人間など、なかなか目にすることはない。
「彼らにとって、一番の目的はそこじゃないだろうが」
黒髪の青年は溜息を吐きながら言う。
本音を言うなら、彼も封印解除される瞬間を見たいはずだ。
昔の記憶を持ち、自分たちよりも遥かに高い魔気を秘めているはずの少女。
しかし、物事には順序というものがある。
彼にとって優先順位を述べるなら、他国の王子の色恋沙汰などより、仕えるべき彼女の方が大切だ。
だが、当の彼女がそれを望んでいるわけでなく、例え、そのことを知ったとしても、彼女は王子を優先させるというだろう。
それならば、彼は主である彼女の意思に従うまでだ。
「ああ、そうだったな。あの占術師が遺した言葉に従って、高田はここに来たわけだから……」
そんな兄の気持ちを知ってか知らずか、思い出したように黒髪の少年は言った。
「それに高田自身、封印の理由は知らねえんだ。状況次第では、王子……っとクレスの口添えがあっても、すぐ封印解除ってわけにはいかねえだろうな」
そう言って、黒髪の少女も彼女たちが消えた方を見た。
法力国家であるこの国の城下は、セントポーリア、ジギタリスに比べ、かなり静かだった。
勿論、ここが商店街から離れていることもあるだろうが、それにしたって活気というものがあまり感じられない。
人が少ないというわけでもない。
寧ろ、人は多いぐらいだ。
それなりに広い大通りは、「見習神官」たちの姿が絶えない。
しかし、行き交う人々は、あまり口を開かず、ただそこを通っているだけという感じだった。
「何というか……。暗い城下だな……」
セントポーリア城下が基準となっている黒髪の少年がそう呟く。
「暗いというより、厳かと言う方が適切な表現だろうな。荘厳で典礼にも厳しいのがこの国の特徴だ」
「オレには合わないな……。『てんれい』って……礼儀とかだろ? 他人にとやかく言われたくはねえっての」
「しかし、最低限の礼節は必要だ。他大陸を含めて婚儀前の女性たちは一定期間ここで花嫁修業させる者も多いと聞く」
「……所詮、付け焼き刃じゃねえか。それに……、礼節を学んだところで手遅れのヤツもいるだろうよ」
ちらりと、傍にいた黒髪の少女を見ながら少年は正直な感想を口にした。
「少年、こっち見ながら言うな!」
自分でも多少の自覚があるようで、彼女はムキになる。
「知らないよりは知っているにこしたことはないだろう? それに、礼節というのは、生活に欠かせない礼儀のことだ。一般常識がある者なら、少し学べば理解できる」
「理解しても、身に付かなきゃ一緒だろうに……」
「礼儀を身につけるって……、歩き方から正されるのも嫌なんだよな~。普通に歩かせて欲しいんだ、こっちは」
どうやら、一国の王女は礼節を学んではいたが、あまり身に付かなかったようだ。
「淑女は慎み深く……か。オレならそんな固い女より、もっと一緒に馬鹿なことやれる女の方が良いけどな~」
「友人や恋人としてなら、その方が良いかも知れないが、妻に望むのは別だということだろうな。妻は、慎み深い方が何かと安心だ」
「恋人から妻になるんだろ? じゃあ、恋人に望むことが妻に望むことってなるんじゃねえのか?」
「お前は、ガキだから、まだ分からないんだろうな。恋人と妻は違う。理想の恋人だからと言って、理想の妻になるとは限らない」
「? なんで?」
黒髪の少年は兄の言葉にきょとんとした顔を見せる。
「ここまで言っても分からない者に、説明するだけ、時間の無駄だ」
「そんだけの言葉で分かるかよ。もっと具体的に例を出してくれねえと……」
弟は不服そうな顔をする。
「つまり、先輩の場合、恋人や女友達は軽いノリで付き合えるヤツが良くて、妻にするなら慎み深く貞淑、謙虚で素直な女の方が良いってことだろ?」
黒髪の少女は溜息混じりに言った。
「そこまで具体的に言ったつもりはないが……」
「でも、否定はしないんだな、兄貴……」
「恋人……、軽い付き合いで良ければ身持ちが堅い女より、すぐにヤれる女の方が、都合が良いだろう? だが、本命は別ってことだ。浮気性な男ほど、本命の相手を拘束したがるって話だしな」
自分の浮気は寛容であれ。
相手の浮気は絶対に許さない。
そんな勝手な男が多いからと、彼女は付け足した。
「……うわ。兄貴を理解してる」
「してない、してない!! ……ったく、毎回、人を色魔みたいに」
「「色魔じゃねえか」」
「二人して口を揃えるなよ。俺は色魔じゃない。事実、栞ちゃんにも水尾さんにも手を出してないだろうが」
黒髪の青年は溜息を吐く。
こんな話を、主である少女の前でされなかったことを幸運に思いながら。
「私に手を出すほど女に不自由はしてねえはずだし、仕えるべき主人に手を出すほど馬鹿でもねえだろう?」
「いやいや、わっかんねえぞ~? それでなくても、女に手の早い兄貴。隙を見ていつか……とか」
「うおっ? そ、その可能性は考えてなかった。流石、弟……。兄の行動をより理解しているな」
「兄弟やって15年ですからね」
「お前等な~」
流石に酷い言われようだと思う。
「うわ~。先輩の前で隙を作らないようにしないと……」
青年の目から見れば、彼女も立派に隙だらけだとは思ったが……、黙っていた。
そんなことを口に出したら最後、「色魔」の烙印はより大きく強く押されてしまうことは間違いないから。
「ん?」
その微かな違和感に最初に気が付いたのは、黒髪の少年だった。
「なんか……、向こうの通りの方がここと少し雰囲気が違わねえか?」
そう彼が指差す方向は、確かにこの通りと違い、少しだけざわめいている気がした。
それでも、セントポーリア城下の喧騒ほど賑やかではない。
ただ、この辺りより人の気配がはっきりと分かる。
「おかしいな……。商店街はまだ向こうのはずだが……」
よく見ると、この通りも神官たちが足を止めたり、周りを見回したりして、どこか落ち着きがない感じになっている。
「どういうことだ……?」
黒髪の青年はこの城下は初めてではない。
建物についての知識は深くなかったが、彼は自国の王子の供で、何度か来たことがある。
しかし……、この現象はそんな彼にも初めてのことだった。
そして、少年は、この城下も初めてではあったが、それでも、先程までとは空気が一変したのは分かる。
「何が……、起きてるんだろう?」
少年の漏らしたその言葉は、この場にいる者に共通した意見だった。
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