法力国家の王女殿下
前話同様、主人公は出てきません。
法力国家ストレリチアの王女殿下と呼ばれる少女は、神に対する信仰心というものがそこまで強いわけではない。
それ故、彼女の法力は極めて微弱だと言われている。
しかし、彼女自身は神の存在を信じていないわけではなかった。
神を信じて祈ったところで、人間が救われることは何もないことを知っているだけのことだ。
神は気まぐれに人間たちを振りまわす存在であり、そんな傲慢さが彼女には我慢できなかった。
だから、彼女は神に祈りを捧げない。
神に救いを求めない。
それだけの話だった。
そして、周囲の誰も彼女に対して信仰心を強制しない。
この国は法力国家であるが、神への祈りを義務としているわけでもないのだ。
でも、目の前の青年は、そんな彼女とは違って、神を信じ、その身を捧げているようにしか見えない。
どんなに困難があっても、それを神の試練として受け止めてしまうことだろう。
「たった一回だけで、発情期と言うその苦行から解放されるなら、行きずりの異性とでも……って考えたことはないの?」
……だからと言って、大神官に対して一国の王女がこのようなことを口にするのはどんな神からの試練だというのだろう。
「考えたこともありません。それは相手にも失礼ですし、自分の心を偽ることにもなります」
だが、答える大神官のその言葉には一切の迷いはなかった。
それを見て彼女は溜息を吐く。
「つまんない男ね」
「そうですよ。今頃お気づきですか?」
きっぱりと断言する。
彼は本心からそう言っているのだろう。
だが、それが、彼女は気に食わない。
「その考え方って……結局の所、大神官さまは誰も選ばないってことでしょ? 誰一人として特別な人間はいない、と。人を愛せない人間に人は救えないと思うんだけど?」
「愛せないわけではありません。私は、全ての人を愛しています」
「でも、心から欲する人間もいないってことよね? 博愛主義は結構なことだし、お綺麗だとは思うけど、そんなんじゃいつまで経っても自分は救われないわよ」
「神にお仕えする以上、自分は必要ありません」
何を言ってもいつもこんな返答しかない。
大神官の在り方としては理想的ではあるのだが、捨て置くことはできなかった。
そこに自分というものが感じられないから。
だから、お節介だと理解しつつも、王女はこう口にする。
「自分を蔑ろにする人間は、いつか、裁きを受けるでしょう。貴方が敬愛する神の手によって」
そう言う彼女の瞳は、15歳の少女とは思えないものだった。
「それが神の判断だというのなら、私は喜んでその捌きを受けることにしますよ」
そんな彼女の目にも少しも動揺することなく、涼やかに20歳の青年は答える。
王女とはいえ、まだ少女の領域にいる娘の言葉だ。
それぐらいで心を揺らされては大神官など務まらない。
王女は目の前にいる「大神官」と呼ばれる青年を改めて見つめる。
彼女が生まれた時には既に兄王子の傍らにいた存在。
そう考えると幼馴染と言えなくもないが、あまりそんな自覚はなかった。
物心ついた頃には、兄王子の身の周りの世話をする側仕えだと認識していたせいもあるかもしれない。
実際は、同じ乳母に育てられているために一応、乳兄弟に当たるのとは聞いている。
因みに、その乳母が後の王妃……、この王女の母である。
王女の母は、この城にある大聖堂に女性神官である「神女」として仕えていたが、婚儀を期に退任……、還俗した。
しかし、兄王子が生まれる直前に夫と生まれたばかりの子を一度に亡くし、途方に暮れていたところをこの国の王に拾われ、王子と後の大神官となる赤子の乳母となったらしい。
元々身分が低くはなく、神女としても聖堂建立の支持をできる「正神女」だったために、未亡人という立場であっても正妃が亡くなった後に継室として、国王の横に座ることが許されたと聞いている。
そんな経緯もあって、兄王子は妹である王女よりも、大神官の方が実の兄弟のように見えるのだ。
兄王子との血の繋がりは半分。
そのこと自体はこの世界では珍しくもない話。
弓術国家ローダンセは、国王の御子全て母親違いだというぐらいだ。
王族である以上、血を絶やさぬことも務めの一つである。
そして、現在、この国の王の横に並ぶのは四人目の妃。
兄王子は法力があり、神官としても優れているが、妹である王女は信仰心があまり強くないためか法力は強くない。
万一のために、今以上に王族が欲しいと父王が願うのは不自然ではないし、そのことについて、王子も王女も関心はあるけど興味がない状態である。
尤も、王女が城を出ていた間に国王が子宝に恵まれることはなかったようだが。
この国は法力国家ではあるが、宗教国家ではない。
神官たちはそれぞれ「主神」と呼ばれる存在を持つが、人間界のように主となる神以外の存在を認めない唯一神教とは異なる。
他の神々を認め、自分の神が一番優れている! という考え方ではなく、どの神々も素晴らしいが、自分はこの神を敬愛するという精神であるため、状況に応じて「主神」以外の神に祈りを捧げることもある。
そんな思考が根底にあるためか、夫婦間や家族間に対する考え方も多種多様なのである。
そして、他者に対して当事者から請われれば助言をすることはあっても、早婚や晩婚、子の養育方法、果ては個々の人生観に口を出さない者が多い。
共通の考え方として、個々の思惑はあっても、他人にそれを押し付けないことというのが主流なのだろう。
尤も、残念ながら考え方の違いから起こる軋轢に全く無縁とはいかないのだが。
実際、この魔界と呼ばれる世界では考え方の違いから争いが起きることはあったが、信じる神の違いで争うことなどはない。
そもそも、神の優劣を人間が決めつけること事態が傲慢な考え方であり、神の思考を人間が我が物として語ることこそ傲岸な態度だと思われている。
勿論、全ての神官がそんな心を持っているわけではない。
日々、修行を重ねてはいるものの、人間の身である以上、その精神は感情という名の私心によって揺さぶられるからだ。
神官たちが理想とする清廉で寛大な精神を持った寛仁な人間。
目の前の青年はその頂点と言えるだろう。
「何か?」
王女が黙って見ていたため、青年の方から口を開いた。
普段の大神官ならば、女性が黙って見つめていたところで自分から声はかけない。
だが今は彼女の学びの時間である。
そのために、その手や思考を止めさせるわけにはいかないのだ。
それでも、それなりの時間は彼も黙っていたのだが。
「綺麗な顔だなと思って」
これはお世辞でも、その場しのぎの口から出た言葉でもない。
実際、目の前の青年はかなり整った顔をしているのだ。
何も知らなければ性別に関係なく見惚れてしまうような中性的な美しい顔立ちで、詩心がある人間などは「神に愛された存在」とまで言う。
しかし、彼女からすれば当人の性格がそのまま表れているだけだと思っている。
真面目で融通が利かず面白みのない顔。
口の端だけで微笑むことはあってもそれは「笑う」とは言えない。
青年は笑いたいから笑みを浮かべるのではなく、必要だから口角を少しだけ持ち上げているだけなのだ。
そこに彼の感情は込められていない。
周囲から、「穏やかな笑顔」と評されるものは、実は事務的で作られた顔なのだ。
それでも、彼女が城を出る前の彼は本当にどこかで見た能面のように表情が変わらず、今とは別の意味で何を考えているか分からなかったのだが。
「そうですか。それでは気が向いたら、その私に向けた視線を少しだけ下に落としてくださいね」
大神官は暗に「自分など見てないで勉強を続けろ」と言う。
面白くはないが、ある意味、囚われの王女は素直に書物を読むことにした。
本当に面白くはないのだが!
ここまでお読みいただきありがとうございました。




