城下の青年たち
「ところで、ディーン様。落ち込まれているところ、誠に申し訳ありませんが、そろそろミーヤ様をお迎えにあがりませんか?」
肩を落としている黒髪の青年に、濃藍の髪色をした青年が声をかける。
「分かっている。お前もそろそろ時間だからな、ラーズ」
「私の方はなんとかなりますが……」
そう言いながら、ラーズと呼ばれた青年はある方向を指した。
「本日は、南西にある広場にいらっしゃるようです。学問の神イデトスの神殿前で、猫と戯れているため暫くはそこから離れないことでしょう」
「やはり、今日も動物と一緒か。しかもよりによって、学問の神……の神殿前……とはな」
ディーンと呼ばれた青年はさらに肩を落とすしかなかった。
自分の妹の目的がかなり分りやすかったからである。
「城は……、小動物が飼えないからな」
城で生活している彼女は、脱走をするたび、何らかの小動物と戯れているのだ。
それは猫だったり犬だったり、うさぎのような生き物だったりと同じ種族ではない辺り、特にこだわりはないのだろう。
「ミーヤ様のいらした所では、動物とともにある生活というのが普通だったようですね。数年も動物と触れ合っていた日常から、接触禁止……、とまではいきませんが、動物がいない場所での生活は多少なりともお心に負担があるのかもしれません」
「しかし……、毎回、よくも見つけるものだと感心する。城下に並ぶ神殿でも基本的には、人型以外の動物の出入りを禁止していたはずではないか?」
実際、魔獣が簡単に通り抜けるようならば、かなりの問題である。
「城下の結界は城ほど強固ではありません。試したことはないので断言はできませんが、邪気がなければ通過できることでしょう。外にいる魔獣も人間に害意を持ったものばかりではないので、通り抜けすること自体は可能だと思われます」
「見回りの守衛はどうした?」
「守衛の数を増やしても、全てを見回ることは難しいと思います。悪意のない人間であれば、正しく道を歩いてくださるでしょうが、それは人が定めた規則にすぎません。それらに縛られない魔獣は思わぬ所を通っているのでしょうね」
「むう……」
そう言われては、黒髪の青年は眉をひそめるしかなかった。
動物に人の道を歩めということが二重の意味で難しいのはわかっているのだ。
しかし、現状で何も対策がとれないのも彼の立場としてはあまり良くない。
「城内で動物を飼う許可は……、無理だよな?」
答えは分かっているが、黒髪の青年はそう尋ねずにはいられなかった。
「城主である国王陛下と、大聖堂の管理者である大神官の許可を得ることができるのならば、可能ではないでしょうか」
濃藍色の髪の青年はその表情を変えずに返答したが、黒髪の青年は露骨に怪訝な表情をしてみせる。
「国王陛下はともかく……、大神官、大神官か……。歴代大神官の中でも間違いなく最高位に君臨し、歴代最高の堅物とまで言われる男が、私情からの要望に答えてくれると思うか?」
その言葉は、彼が国王陛下や大神官に要望を伝えることができる立場にあることを意味する。
「これまでの大神官ならば、許可しません。大神官は大聖堂の管理者であり、守護者でもあります。自ら規則を破るような行為はしないでしょうね」
「……だろうな」
予想通りの言葉に黒髪の青年は肩を落とす。
神官というのは基本的に規則を堅固する生き物なのだ。
そこに例外はない。
そもそも、この大聖堂がある城内や聖堂が建ち並ぶ城下で、愛玩のために動物を飼うことができないというのも、神は生物に優劣をつけないという考え方が根底にあるためである。
人間も魔獣も等しく同じ扱いをする。
それが神と呼ばれるものなのだ。
尤も、その神自身は、互いに優劣を競い合う存在であったりするのだが。
「……ですが、大神官が管理するのは大聖堂だけです。城内の神官たちが入ることが出来ない貴族たちの私的空間にまでは関与を致しません。それに、神官は貴族に意見する立場にありません」
「……つまり?」
「それらの場所なら、ディーン様がおっしゃる堅物の大神官の許可もいらないでしょう」
表情も変えずにあっさりと抜け道を提案する若き神官の言葉に、黒髪の青年はあっけに取られる。
「……お前は本当に敵か味方か分からない男だよな」
「私がディーン様に敵意を向けることはまずありません」
表情を変えずに迷いのない言葉。
その言葉を嬉しく思いつつも、少しの悪戯心もある。
「ならば、俺が神に弓を引いたら?」
「引くだけの理由があったということでしょう。敵意は向けませんが、お味方をするとも約束はできません。せめて、その前に一言ご相談はしていただきたいと思います」
濃藍の髪をした青年は、表情を崩すことなく答える。
「お前はそういうヤツだよな。幼馴染としては、行く末が本当に気になるよ」
「貴方が今、気にすべきなのは、私のことなどより妹であるミーヤ様のことでしょう。移動される前に保護された方が良いと思います」
「動物と戯れているのだろう? それならばお前が言うように、もう暫くはそこに留まっているはずだ」
城内に全く人間以外の動物がいないはまた別の理由がある。
少し前までは、大聖堂から離れた場所で貴族たちが魔獣を飼い慣らすこともあったようだが、数年前に、城内で魔獣が暴れ、高貴なる立場の人間に襲い掛かったという事件があった。
今もその魔獣を持ち込んだ人間は分かっていない為、疑われてはならぬとそれぞれが自粛し、魔獣を飼わなくなっていったのだ。
それでも、それから数年の月日がたち、城内の貴族たちからは害がない魔獣ならば良いではないかという声が少しずつ広がっている。
その辺りから話を持っていくことができれば、問題はないだろう。
もともと、城内では禁止令が出ていないのだから。
先程の会話で少し、光明が見えた気がするが、それでも決定ではない。
今まで我慢していたのに、いきなり解禁というわけにもいかないだろう。
それならば、今は僅かな時間ではあるが、少しでも、彼女の要望も叶えてあげたいと兄としては思ったのだ。
「ミーヤ様のお気持ちはそうでも、相手のお気持ちは違うかもしれません」
濃藍の髪をした青年は視線を外しながらそう言った。
「飼うために改良されているわけでもなく、使役のために誰かが制御しているわけでもない生き物です。構われ慣れていないようですので、早く行った方が良いでしょう。逃げるような気配がしています」
その青年の言葉で、状況を察する。
「……分かった!」
黒髪の青年は素早く駆け出し、あっという間にその姿を消した。
それを見て、濃藍色の髪の青年は少しだけ表情を緩める。
尤も、その変化がささやかすぎて周りにはいつもの顔にしか見えないだろう。
「私も貴方達兄妹の行く末が気になりますよ」
誰に聞こえるでもない小さな呟き。
全面的に禁止されているわけではない動物を、隠れて城内で飼うこともできるはずなのに、城下に出てまで野生動物に触れている理由。
「お二人とも、こんな形でしか息抜きができませんからね。それを思うと、ミーヤ様がどうしてこのような行動に出ているのかも分かる気がします」
そんな言葉を残して、彼はいつもの仕事に向かうことにした。
青年はその立場上、このままの姿で城にもどることはできない。
髪を首の後で下げて留め、黒を基調とした装束から、白を基調とするこの国唯一の装いに姿を変える。
創造神とも呼ばれる最高神の御羽と同じ白を身に着けることが許されるのは、神官の中でも最高位のみ。
彼の名は「ベオグラーズ=ティグア=バルアドス」
この国の若き大神官である。
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