精霊の絵本
「精霊が好きっていうのは、小さい頃からの憧れだと思う」
水尾先輩はポツリと言った。
「小さい頃からの憧れ……ですか?」
精霊に対する気持ちを尋ねると、そんな言葉が返ってきたが、それはちょっと意外に思える。
「昔過ぎてはっきり覚えてねえけど、城にあった絵本に魔法が使えなかった女の子が精霊の力を借りて使えるようになるって話があったんだよ。私もマオもその話が大好きで……。確かきっかけはそんな感じだったと思う」
「は~。子供の頃読んだ絵本は特別な思い入れがありますよね~」
「だろ?」
わたしの記憶は人間界から始まっているが、その中に絵本の思い出も確かにある。
可愛い絵柄の動物の本とか、ひらがなの覚え方とか。
今でも覚えているほど印象強いものは、話だけではなく絵にもインパクトがあった。
まあ、わたしの場合、今でも魔界での文字を覚えるために読んでいるわけですが、魔界の絵本はあまり冒険心がないと思う。
でも、人間界の絵本は、ある程度、現実が分かってくると「なんでやねん」と思わず突っ込みを入れたくなるものが多いが、魔界の絵本は大人が読んでもちゃんと分かるものが多いのだ。
妙に現実的と言うのだろうか。
それは、歴史だったり地理だったり法律だったりとそんな大人向けの話を子供にも分かるように噛み砕いている。
まあ、ほとんどが自分で選んだものではないのでそういったものを渡されているだけかもしれないけど。
……そう言えば、魔法は出てきても、その使い方とか、魔法が主題になるようなものは渡されてない気がする。
そんなことを今まで気にしたこともなかったけど偶然かな?
「その絵本は、挿し絵も綺麗でキラキラしていて……」
そう語る水尾先輩の瞳もどことなくキラキラして見える。
これは、童心にかえるというヤツだろうか。
「そんな紅い髪の精霊が……、あんなギラギラしたイメージに塗り替えられたんだが……」
「おおう」
声の調子を変えて、水尾先輩は思いっきり肩を落とした。
それだけショックも大きかったのだろう。
しかし、よりによって、憧れた精霊と同じ紅い髪だったとは……。
心中お察しいたします。
「もし、その本をどこかで見つけたら高田にも見せよう。気に入ってくれると嬉しいんだけど」
「あ、それは嬉しいです。わたし、本読むのは好きなので……」
「……まあ、あれだけ部屋に漫画があれば……なあ」
「おおう。わたしの過去を知る人間がここにもいましたね」
人間界にいた頃は、わたしの部屋にはかなりの量の漫画があった。
自分で購入したものから、近所の人から頂いたものまで幅広かったのだ。
「あれ、どうしたんだ? かなりの量だった気がするんだが……」
「処分しましたよ。持ってこれないし、置いておくこともできなかったので」
泣く泣くという言葉も付けて。
まあ、こればかりは仕方がない。
「そう言えば、魔界には漫画という文化はないですよね」
「そうだな。漫画家という職種もないしそこは仕方がないだろう。一冊本ができれば昔の人間界みたいな苦労はないと思うが」
「苦労?」
「印刷機もコピー機も無しで魔法が使えれば複製可能」
確かに昔の人間界の印刷は15世紀中頃に発明された活版印刷機というのができるまでは相当な苦労があったと聞く。
木版印刷自体はかなり昔からあって、日本人なら一度くらいは木版画という図画工作をやったことがあるからなんとなく理解できるだろうが、それ自体はあまり本を作るのに向かない。
だから、写本が大半を占めている時代が長いとか。
確かにそんな人間界よりは紙も労なく手に入るし、本自体いっぱい出回っている魔界は良いのだろう。
でも……。
「……それは味気ないです」
わたしは素直にそう思った。
「こだわるなあ。私は読めるなら良いと思うけど」
「確かに読めた方が良いんですが……、魔法でポンポンと増やすのはこう発行部数とか印税とかの浪漫が足りなくて」
「……浪漫を語っているが、内容はかなり俗っぽいぞ」
「確かに」
まあ、現在、漫画を読むことはできなくてもなんとかなっている。
当初は禁断症状がでるかとも思ったが、絵本もまともに読めないような人間だ。
すぐにいろいろ諦めた。
その辺りは文字をしっかりと覚えてから考えるべきだろう。
「そう言えば、文字って……、大陸ごとに違うんですよね?」
「そうだな。まあ、私は六大陸全て読めるから問題ねえけど」
「なんで昔の魔界人は文字を統一してくれなかったんでしょうね」
そうすれば、もっと苦労はなかったのに。
「人間界も統一されてなかっただろ。でも、一番は文化の交流が昔は少なかったから。二番は自国の魔法書を他大陸に流出させたくないから。こんなところだろうな」
「一番目は昔からの理由。二番は現代に蔓延る理由ってところでしょうか」
「そう。他大陸の知識が欲しけりゃその文化を学べ。これが共通の見解。だから私たち魔法国家の王族は他国の文字も勉強させられるわけだ」
「大変ですね」
「いや、別に? 面白かったし。おかげで別大陸に来ても文字で困ることはねえもんな」
頭が良い人には理由がある。
素直にそう思った。
わたしも、読めないなんて泣き言を口にしていないで、頑張らないとね。
****
「しっかし、こいつら起きねえな」
水尾先輩が呆れたように言う。
「そろそろ起こします?」
わたしは、九十九に手を伸ばす。
「いや、通常のやり方じゃ起きねえと思う」
「へ?」
「ちょっと魔法を使ったし」
「はい?」
今、本当にごく自然な流れでなかなかの爆弾発言が聞こえた気がするんですが?
「いや~、この船って浮いているけどバク宙とか宙返りはできるのかな~とかなんとなく思って……」
「せ、先輩?」
「この場にいた男どもを眠らせちゃった」
てへっと笑いながら頬に手を当て、珍しく女性っぽい言葉の使い方をする水尾先輩。
いや、そこじゃない。
思い起こせば、水尾先輩は確かに彼らがなんで眠っていたかについてはあまり触れようとしなかった。
「な、何をやってるんですか?」
「いや、好奇心ってやつだな。あ、ちゃんとできたぞ。すっげ~な、この船」
「……中身が無事で良かったですよ」
普通に考えても、一回転させたら中身はシェイクシェイクされるはずだ。
でも、家具は無事。
わたしたちも長椅子に集まっていたけど無事だったと思う。
「重力……いやこの場合は引力制御されてるかのかもな。家具とかは固定されてないのに動かなかったぞ」
「……回転したのなら、遠心力で張り付いてたとか? ……じゃなくて、そんなことを、彼らを眠らせてまでやりたかったんですか!?」
「あ~、そうでもしないとできないと思ったから」
「つまり、怒られるのは分かっているってことですよね?」
「そこは仕方ない。甘んじて受け入れる」
キリリとした顔で、妙にかっこよく言う水尾先輩。
「じゃあ、一蓮托生しましょうか。わたしも見てみたいです、この船の一回転」
そんなわけで……、わたしは共犯になってから彼らを起こすことにした。
この船での一回転は、ジェットコースターのように風を感じず、座っていた椅子に押し付けられるような感覚もなかった。
窓から景色は見えるのだが、まるで映画をみているような不思議な感じだ。
何回もやられると酔っちゃうかもしれないけど、一回ぐらいならそこまででもない。
総じて言うなら……。
「思ったより面白くはないですね」
もっとワクワク大興奮! みたいなものを想像していたんだけど。
「……だな。やってることはかなり凄いんだけど」
「男性陣を敵に回してまでするほどのことでした?」
「……面白くないことが分かっただけでもスッキリするんだよ」
そう言って水尾先輩は肩を落とした。
ちょっと後悔はしているらしい。
まあ、好奇心を満たすことは大事だけどその結果、秤にかけた甲斐があったかどうかは当事者にしか分からない。
まあ、仕方がないのでわたしも怒られよう。
好奇心は満たされたわけだしね。
次話の更新は、本日18時です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




