決して壊さないように
「ちょっ!?」
目の前で何が起きたのか、分からなかった。
いや、本当は分かっているんだ。
高田の意識が一瞬で飛んだだけ。
だけど……、そんな状況が普通じゃないことはオレにだって分かる。
倒れ込んでくる高田の身体を咄嗟に受け止める。
胸元でずるりと力が抜けた彼女を見た時、顔から一気に血の気がザッと音を立てて引いたのが自分でもよく分かった。
あの精霊が口にしていた「呪い」とやらが発動してしまったのかと思ったのだ。
だが、その不吉な考えは……。
…………すぅ~っ、すぅ。
どことなくのんびりと聞こえる呼吸音で否定される。
改めて顔色を見ると、悪くはない。
どちらかというと少し紅みが差しており、会話をしていた時よりも血色がよく見える。
脈も落ち着いていた。
呼吸もゆっくりだが、割と一定。
思い起こせば、彼女は確かに「寝る」と言った。
そして、その言葉どおりの行動をとっただけ。
だが、タイミングが悪い。
何らかの「呪い」とやらを受け、それがいつ、どんな形で表面化するか分からない状況なのだ。
オレは治癒魔法を施したが、誘眠系の魔法は一切使ってない。
つまり、自然に意識を飛ばしたことになる。
彼女を抱きかかえたまま、オレは宙に目をやった。
一体なんなんだろう、この状況は。
「し、信じられねぇ、この女」
護衛とはいえ、仮にも男の目の前で意識を飛ばすとは無防備ってレベルじゃない。
襲ってくれと言っているものじゃないのか?
いや、勿論、そんな気は微塵もない。
これっぽっちもない。
絶対にない。
単に警戒心の問題だ。
これを好意的に取れば、それだけ信用されているってことなのかもしれないが、単に男扱いされてないだけのような気もする。
だが、オレも一応、男だ。
こんな柔らかくて温もりのある物体をいつまでも抱えていることに対して緊張がないわけがない。
いや、素直に言おう。
ものすごく緊張している。
少し力を入れただけで簡単に壊してしまいそうな気がするのだ。
普段の言動からは頑丈そうに見えるのに、なんだ、この生き物は?
しかし、場所が悪い。
ここは始動機前にある椅子だ。
そして、一人席。
そこに彼女の身体はオレに体重を預け、倒れ込んでいる状態。
第三者が見たら、オレが襲われているように見えるかもしれない。
それはそれで問題だが、この際、横においておく。
最近、彼女は眠れていないと言った。
そして、目の下にはクマ。
顔色も悪かった。
そんな彼女を叩き起こすのも、護衛としてはどうかという話でもある。
少し考えて、椅子をどかし、オレは床に座り込むことに決めた。
そして、そのままなんとか起こさないように彼女の身体を動かす。
彼女の身体を仰向けにさせ、オレの右肩に頭を乗せる。
さらに、床に直接降ろさないように、オレの太ももに乗せ、自分を座椅子のようにした。
すっぽりと彼女の小さな身体を覆う形となるが、オレは始動機から離れられないので、多少の寝苦しさは許してもらうしかない。
オレは布団じゃないのだ。
見た目もどうかという気もするが、状況的に仕方ない。
それに……、この場合、オレは全く悪くないと思う。
それでも、当の本人は平和そうな顔で眠ったままだ。
そのことに少しだけ安堵する。
「……相変わらず小さいな、お前」
昔から彼女は小柄で年相応に見えなかった。
オレもガタイが良くないので15歳に見られないが、彼女はもっと幼く見られるのだ。
ただ……、少し前にも思ったことだが、目を閉じている時の彼女は少しだけ大人びて見える。
彼女の大きな瞳がより幼く見せている原因だろう。
後は、ころころとよく変わる表情も一因だな。
だが、小さい身体であってもオレとはまったく違う形なのは分かる。
首から鎖骨にかけてのラインとかはかなり華奢だし、肩幅だって男のオレと比べればそこまで広くない。
ソフトボールをやっていたせいか、二の腕や太ももは少しばかり肉があるような気がするが、これぐらいは太っているうちに入らないだろう。
腕はともかく、太ももに関しては相手が眠っているとはいえ、あまりしっかり見るのは流石に男としてというより人としてどうかと思うので、少しだけ、広がってしまった裾は戻しておくことにする。
オレに変態の趣味はないのだ。
「まつ毛もかなり長いな」
目を開いていても長いまつ毛だが、こうして目を閉じているとかなり長く見える。
きっとマッチ棒が乗る世界だ。
何本乗るかチャレンジさせてみたい。
片方に付き2本は間違いなく乗るだろう。
肌の色は白い方だと思う。
日焼けもしていないようだ。
頬は薄いピンクだが。
唇もピンクだな。
薔薇や珊瑚じゃなくて桜の花びらような感じだが、柔らかそうで水まんじゅうみたいにツヤツヤしている。
それでもこの光り方はリップクリームのようなものを塗っているように見えない。
改めて見ると、彼女は水尾さんほどではないがそこそこ整ってはいると思う。
ただ、思考が顔に出やすく、言動も残念な方なので、あまり綺麗な異性という印象はない。
可愛いとは……言えるかな。
それでも、これならば、化粧でかなり化けることはできるだろう。
少し、試してみたい気がした。
水尾さんも似たようなものだが、あの人は、言動を差し引いても顔がかなり整っているので問題ない。
まあ、彼女は高田以上に黙っていた方が良いとは思うが。
正直、高田のことは嫌いではないのだと思う。
……どこか、以前付き合っていたヤツに似ているような気もするし。
だが、決して恋愛対象ではない。
それだけははっきり言える。
見た目が少し幼いとか、言動がかなり残念とかが問題なのではない。
オレが持っている感情は親愛、家族愛みたいなもんで、今更、異性として見ることなどできないだけだ。
そんな気持ちはあの日、捨て去ったはずだから。
「む……?」
そこでふと気づく。
少し前に彼女から「好き」と言われたことに。
それは、オレにそんな感情はなくても彼女にはあるということだ。
それなら、もしかしてこの状況は据え膳というやつだろうか?
ひょっとしてこれは、手を出せと言われている?
少しだけそう思ったが……、そんなはずもない。
そんな手段を使うような人間じゃないと信じている。
それに、色仕掛けをするには、まだまだ「色」が足りない。
こんなガキみたいな寝顔にそそられるほど、オレは少女趣味でもないし。
何より、彼女はオレをそこまで好きだとは思えない。
危険から護ってくれる便利な男。
だから、単純に錯覚を起こしているだけなのも分かっている。
人間、危機的状況になると近くの異性に惹かれるというやつだ。
吊り橋効果……、いや、雪山遭難効果?
そして、やはりオレもそこまでの感情は持てない。
ここまで接近してみてそれがよく分かる。
多少、緊張をしていることは認めるが、それは好きな相手に対する感覚ではなく、高価な壊れ物を手にしている緊張感だと思う。
例えるなら細くて薄い上に脚が長いカクテル・グラス。
格好つけて脚の部分だけでうまく持とうとしても妙に手が震えてしまうような不安定な感じがよく似ている。
少しでも取扱いを間違えると悲劇が待っている。
そんな印象がある。
ふと、そこまで考えてオレは大きく息を吐いた。
今のオレがしなければいけないのは、高田との関係を深く考えるより、始動機をしっかり操作すること。
それと、あまりよく眠れていないと言っていた彼女を少しでも休ませること。
高田との関係だって、記憶が戻ればどうなるか分からないのだから、今、深く考えてもすぐに答えなんか出せるわけがない。
なんとなく彼女の髪を撫でる。
さらさらと手からこぼれ落ちるが、それだけだ。
そこに心が揺れる気配はない。
次に頬をなでてみる。
柔らかい。
大福みたいで美味そうとは思う。
今度は額に触れてみる。
熱を測っているような気分になった。
少しひんやりしているけど人肌だ。
さらに、目を覆ってみる。
こちらは額よりさらに冷えている気がする。
やわらかく、少しだけ動いているのが分かる。
これだけ触れても無駄に感情が揺れはしない。
なんとなく看病に近い感覚だと思う。
まあ、目が開いている時にはこんなこともできないし、するつもりもないけど。
彼女の左手首を見る。
例の「呪い」とやらはこの場所を侵食しているらしい。
よく見ると、銀色の細い鎖に小さな紅い珠が3つ付いている飾りがあった。
決して存在感がないわけではないのに、相当意識しなければ分からなくなっている。
「なんで、まだ付けてるんだよ」
これはあの時、彼女自身の手によって投げられたものだ。
投げたふりではなく、間違いなく遠くに飛んで落ちていくのを見た。
だが、クレスノダール王子が言ったように、それがいつの間にか彼女の手に戻っている。
彼女自身は魔法が使えないはずなのにどうやって彼女の手に戻ってきたかは分からないが、これが別の物ではないことは間違いない。
これは、あの時、オレが買ったものだと。
何故なら……。
「おや、なかなか役得やないか、色男」
からかうような口調で背後から声を掛けられ、思考が中断した。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




