例外な存在
水鏡族の精霊が彼らの前から姿を消したのとほぼ同じ時間。
「楽しんできたか?」
クレスノダールは目の前にある橙色に光り続けている魔石の輝きを見つめながら、独り言のように呟いた。
『ええ、十分、楽しんだわ』
誰もいないその空間から、若い女性を思わせるような声が響く。
「それなら良かった」
声だけの存在の言葉に対して、クレスノダールはフッと笑った。
精霊使いである彼としてはこんな状況は珍しい話ではない。
もともと、精霊のほとんどは目に映らず、声しか聞こえないことの方が多いのだ。
だから、気配だけで相手の姿が見えないぐらいで慌てることなどあるはずもなかった。
『貴方も随分、あの娘に入れ込んでいるみたいね。珍しいこともあるものだわ。同族の血が流れている人間しか興味を示さないかと思っていたのに』
「綺麗な女性は結構好きだが?」
声の方向も向かずにしれっと答える。
『あの娘はどう見ても、綺麗系ではないけど』
「将来性は十分、あるだろ。彼女の母親は昔、綺麗だったよ」
クレスノダールは15年以上も昔のことを思い出す。
父である国王陛下に連れられて、占術師とともに行った隣国にて、出会った不思議な女性がいた。
幼き日にほんの少しだけ会話を交わした程度の出会いだったが、不思議なことに、今でもはっきり思い出せる。
それほど印象的な女性だったのだ。
まさか、今もあのままの姿ではないだろうが……、ともクレスノダールは思った。
そして、こんな会話をしたことも忘れた数年後に、彼は心臓が飛び出そうになるほど驚くことになるのは全くの余談だろう。
『でも、基本的には精霊系統の血が流れている人間にしか親身にはならないもの。あの娘は森の神様の加護は授かっていたけど、精霊系統はないわ』
「人を精霊にしか興味がない男みたいに……」
『否定できる?』
「昔はともかく、今は否定する。精霊以外にも興味はある。確かに惹かれる人間は精霊の気配がすることは多かった気がするが……」
恋愛感情とまではいかなくても、彼が興味を惹かれるような女性も男性も、精霊の気配をまとっていることが多い。
その濃さに関係なく、多少は精霊に縁があったり、精霊の祝福を受けていたりすることが多かった。
『あの大神官と呼ばれる人類が最たる例でしょう?』
「いや、アレは例外。精霊の気配がなくたって、俺はあの男につきまとっていたと思う」
『……そうね』
だが、少し前のクレスノダールは確かに精霊の気配がしない人間に興味はなかった。
魔法国家の双子の王女殿下たちに会った時も、綺麗な顔をしていたことは認めるが、そこまでの関心は持たなかった。
隣国にいたチトセにしても、印象的ではあったが、占術師との関わりがなければそこまでしっかり記憶していたかは分からない。
それだけ、昔のクレスノダールにとっては精霊に縁があるかないかは重要だったのだ。
だからこそ、精霊の気配をほとんど感じないシオリのことが気になったのは、当時のクレスノダールとしてはかなり不思議に思ったことだった。
確かにそうなったきっかけは大神官だったが、それを差し引いてもあの少女のことは自分にとっての例外が多すぎる。
例えば、年齢的に5つも離れている異性には適当な言葉をかける方が多いのに、彼女に対しては何故か真面目に向き合いたくなるところとか。
厄介事に巻き込まれるのが分かっていても、その傍から離れにくくなるところとか。
困っている顔を見るとつい手を差し伸べたくなるところとか。
普段の自分では考えられない。
そんな感情は、あの占術師に対してしか抱いたことはなかったのに。
『それは愛ね』
「……色恋より慈愛の方なのは認める。あの嬢ちゃんはなんとなく放っておけない」
そもそも、城樹で迷子になる人間を初めて見た気がする。
『……なるほど。それでワタシが呼び出されたってことで良いかしら?』
「頼んだのはミオルカ王女の方だけどな。でも、セドルならあの嬢ちゃんに興味を持つだろ? 実際、かなり関わったんじゃないか?」
クレスノダールはからかうように姿なき精霊に言った。
『ええ、しっかり関わっちゃったわ。まさか精霊系統ではないのに、その周囲の人間にまで思わず祝福を与えたくなるほどの存在がいるとは思わなかった』
「それはなかなかのサービスだな」
『ええ、本当に。自分でもびっくりよ』
本来、精霊の祝福は気まぐれで与えるものであり、人間に多少、懇願されたぐらいで簡単にするものではない。
特にこのセドルは形を持たない水系統の精霊だ。
気分がころころと変わり、召喚者でも会話による意思疎通はできても、思い通りにはならない種族である。
『クレスノダール、ワタシをあの娘に会わせてくれてありがとう』
その精霊の言葉に、クレスノダールはさらに驚いた。
「熱でもあるのか?」
『水系統の精霊であるワタシが熱を出したら蒸発しちゃうわ。単純に、ワタシにとって必要だっただけ。無駄かもしれないけれど、少しぐらい対策はとれるから』
「対策?」
クレスノダールは問いかける。
『すぐじゃないけれど……、数年後。確実にこの世界は混乱する。既にその種は蒔かれてしまったみたいだから、その前にできることはしておかなくちゃ。時間稼ぎに過ぎなくてもね』
「混乱は精霊たちの中だけじゃないだろ」
『そうよ。だから、ワタシはちゃんと世界って言ったでしょ』
確かに言っていたが、クレスノダールは気になることがあった。
「……あの嬢ちゃんが原因で?」
『ちょっと違うわね』
即答されたことに、クレスノダールはホッとする。
『彼女は余計なことに巻き込まれただけ。縁は繋がれていたみたいだけど、その縁も結局のところ、無理矢理引っ張られたものだし』
「無理矢理引っ張られた?」
『元々、あの娘の母親はこの世界とは違う場所にいたでしょ。人間界……ってところ。母親がそのままそこにいたら巻き込まれることもなかったはずよ。でも、強い思念があの女性を呼び寄せてしまった。その結果……、歴史は繰り返されることになる』
「……壮大な話になってきたな」
クレスノダールは人間界にいた時に級友から勧められたゲームを思い出す。
どこかこの世界に似たようで、でもありえないようなご都合主義と呼ばれる力が働いたりする不思議な話が多かった。
『基本的に歴史は繰り返されるものだから。でも、前回はそれぞれ巻き込まれたのは自業自得な部分が多かったけれど、今回のは関係ないのに引っ張られた所がイヤだわ。余計なことをしている存在が多すぎる。人類はどれだけ私欲で動くようになっちゃったのかしら』
「似たようなことがあったのか?」
『まだ……一部だけね。全部が同じように進むとは思えない。既に少し前からどこかが狂ってるっぽいし』
「周囲にまで祝福を与えたのはそれが関係してるんだな」
『そう。今のままじゃ、本当に酷い結果にしかならない。それぐらい状況は悪いのよ。あの少女にあったのは幾多の神様からのご加護だけではなく、ご執心。その言葉がどういうことか、貴方なら理解できるでしょう?』
精霊の言う「神様からの執心」。
その意味は確かにクレスノダールには分かった。
確かにそれが本当ならかなりの事態だ。
『尤も、ワタシはあの少女を通してようやく知ったけど、精霊王はとっくに気付いてらっしゃったのではないかしら。だから、あの娘の存在を受け入れたのだろうし』
「精霊王が、嬢ちゃんのことを?」
『ああ、シオリじゃないわ。彼女は多分、精霊王には会えない。シオリには神様のご加護が強すぎる。……上位精霊すら、ほとんどは逃げるでしょうね。あの娘、『分神』を受けているみたいだもの。彼女に会えるのはワタシたち精霊族……、中位精霊ぐらいまでかしら』
「他にも規格外の少女がいるのか?」
『……いるわね。でも、その規格外の少女はシオリとは完全に違う存在。縁があれば会えるし、なければ会えない。でも、精霊の気配がかなり濃いから、クレスノダールはいずれその娘とも会うことになるかもしれないわね』
精霊はそんな不思議なことを言うが、この時のクレスノダールにはその意味はまだ分からなかった。
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