小型船、出航
「で、航路なんだが……」
そう言って、雄也先輩はいつもと違う地図を広げた。
これは海図というやつだろうか。
白い紙にいくつもの青いグラデーションが重なり、綺麗な図面だった。
そこにいくつもの線が引かれている。
「この付近に海獣の巣はないはずだから、基本的にはまっすぐにグランフィルト大陸にある港町クラチョゴに向かう予定。航行期間は一週間ほど……の見込みかな」
「一週間……。思ったより早いんやな。10日ぐらいはかかるかと思っとった」
「積み荷も少ないですし、寄り道する予定もありませんから。優雅な船旅が目的ではないので、速度重視で行こうと思っています」
楓夜兄ちゃんの言葉に雄也先輩が答えた。
「兄貴……、どれがエンジン?」
「ここが始動機。これの紅玉髄に魔力を込めて念を伝えると動き出すようになっている」
電気ではなく「魔力」と「念」で動くってことでしょうか?
魔法の力と意思で操るって解釈で良いのかな?
確かにこうしてみると、あの紅い髪の……、ライトが言っていた通り、電気に代わるものを使った道具って多い気がする。
「クレスノダール王子殿下、これってカルセオラリア製ですか?」
「せや、あの国のモンは高いけど信用できるさかいな」
それぞれが雄也先輩と楓夜兄ちゃんに質問していく。
わたしはと言うと、今から乗る船より、目の前に見える海の方が気になった。
魔界の海も塩辛いのかな?
見た所、人間界よりキラキラ成分は多い。
元々、魔界は明るいからかもしれないけど水面の光はかなり乱反射している。
だけど波は高いわけではない。
地図で見る限り、この海は外洋なのに、なんとなく内海みたいに思える。
いや、あまり海に詳しいわけではないからその認識であっているかは分からないんだけど。
わたしが人間界で住んでいた所がサーファー大喜びな波の多い地域だったので、こんな穏やかな海は不思議な気がした。
魔界人がサーフィンするかは分からないけど。
「速度重視ってことは、海に落ちたらお互いすぐ見失うってことか?」
「……阿呆」
九十九の言葉に雄也先輩が呆れたような返答をする。
それは困る。
わたしは泳げなくはないけれど、得意ではないのだ。
長く泳げるけど、速度は全く出ないので置いていかれたら絶対に追いつけない。
「これは高速船やないから、いきなり姿が見えなくなることはないとは思うで」
それでも、落ちたら危ないことに変わりはない。
転移魔法も移動魔法も使えないわたしは、気を付けないといけないね。
「王子、この辺りの海獣はどれぐらいの大きさだ?」
「ここ数年、定期船が遭遇した例はほとんど聞かへんな。ただ小型の漁船は餌と間違えられたことはあったと思うで。せやから、20メートル超えはいるかもしれんな」
水尾先輩の言葉に答える楓夜兄ちゃん。
だが、その言葉の意味を考えると思わず驚愕するしかなかった。
「でかっ!?」
そんなのに襲われたら、この船は沈んでしまう気がする。
20メートル級の生物。
大きすぎて想像ができない。
もしかして、恐竜の親戚でしょうか?
それとも海洋未確認生物ってやつですか?
「人間界でもそれぐらいの海洋生物はいたやろ? クジラとかイカとか」
「ダイオウイカの平均より大きいし、その大きさなら地球の最大種であるシロナガスクジラぐらいしか太刀打ち出来ないよ」
それらにしても知識はあっても本物を見たことはない。
わたしが見たことある生物の最大種はジンベエザメ。
それも水族館で見ることができるほどの大きさで、確か6メートルもなかったはずだ。
地上最大種である象も、動物園で見たことがあるのはアフリカゾウよりも小型な種類のアジアゾウだった。
それも6メートルはなかったと思う。
同じ動物園にいたキリンの方が、高さがあるためにもっと大きく見えた気がする。
「危険性は?」
「ここは本来なら定期船のルートやから、うっかり迷い込まん限りは凶暴なヤツはおらんはずや」
確かにいくつかの道があるならわざわざ危険な生物がいるようなところを通り道にする必要はないだろう。
人間界では危険な所を通らざるをえなかったこともあったらしいが、それは航路として他に進める場所が選べない時に限られたはずだし。
「そっかぁ。珍しい海獣と戦えるかと思ったのに……」
……水尾先輩?
危険よりそっちですか?
しかも、「見られる」ではなく、「戦える」っておかしくないですか?
「ミオは好戦的やな」
「好戦的ってか、どうせなら見たことのない魔法を見てみたいって思う好奇心かな。海獣や魔獣は人間が使う魔法と違う系統の魔法を使うらしいし」
「ああ、なるほど。なかなか魔法国家らしい発想や」
そう言って楓夜兄ちゃんは笑った。
でも、そんな話を近くで聞いていたわたしとしてはあんまり笑えない。
危険を冒してまで見たいものとは思えないから。
「そろそろ出港しても良いかい?」
雄也先輩が声をかける。
九十九は、なんか始動機と呼ばれた機械を睨んでいる。
「ええよ。こんな話なら船が動いとってもできるから」
「私も大丈夫。高田は?」
「あ、大丈夫です」
そう言いながら……周りを見る。
船って、シートベルトはいらなかったよね?
「じゃあ、行くか。行き先はグランフィルト大陸の港町クラチョゴだ」
「オレは行ったことないけど、それでも指示できるもんか?」
「始動機は初めての場所でも大方の場所が分かれば行けるようにできる。さっきの地図で大体の場所は確認したはずだ。それでも始動機が動かないようなら、お前の想像力が貧困なだけだな」
「え……っと」
相変わらず、弟に辛辣なお言葉ではあるが、九十九は慣れたもので、気にせず、目の前の機械に集中していた。
どうやら、出港は九十九がするらしい。
機械に付いているオレンジ色の石に手を翳しながら、難しい顔をしている。
「ここは一つ、出港のほら貝でも吹くべき?」
「どこの戦に行く気だ、お前は」
集中していても、わたしの声は聞こえていたらしく、九十九が突っ込む。
「あれ? ほら貝じゃなかったっけ? こう船が出る時にブオーってなるやつ」
「残念ながら汽笛そのものが付いてないみたいだね」
「……ってか、付いていたとしても早朝に大音量って迷惑だろ」
雄也先輩と水尾先輩がそれぞれ言う。
「よし!」
九十九が軽く拳を握った。
どうやら何かが上手くいったらしく、先ほどより表情は晴れやかだ。
「もう良いの?」
てっきりずっと機械の前にいるのかと思っていたのに、九十九はこちらに来た。
交代するのか、今度は雄也先輩が機械を見ている。
「おう! 無事、動き出したみたいだからな。後は、兄貴たちに微調整を任せる。オレの役目は終わった」
「へ?」
九十九の言葉で反射的に窓を見ると……いつの間にか港から離れ、周囲には海しか見えなくなっていた。
「う、動いている! それに……」
小さくなっていく陸を見る限り、結構な速度で進んでいる気がする。
これって高速艇じゃないって聞いていたけど……。
「速い。それなのに……なんで揺れないの!?」
先ほどまであったはずの船独特の揺れは一切なくなっていた。
乗り込む時には確かに浮遊感ほどではないが、ぐらぐらと揺れていたのに。
そんなわたしの疑問に対して、九十九はとんでもない返答をした。
「これ、空中に浮いてるからな」
「な、なんで?」
「小さい船だから」
「なんで!?」
「落ち着け、高田。乗り物が魔法で浮くぐらい魔界では日常の光景だ」
水尾先輩は窓に目を向けながらそんなことを言う。
確かにここは魔界。
魔法が日常に溶け込む魔法の世界。
でも、だからってさっきまで水に浮いていた物が進む時は宙に浮くのを事前情報、知識もなく受け入れろというのは納得できない!
「なんや、嬢ちゃん。カルチャーショックってやつか。そういった記憶がないのも大変やな~」
楓夜兄ちゃんがなんだかしみじみと言う。
「何? この状況を素直に受け入れられないわたしが悪いの? 確かに違和感があるけど、魔法の力と聞けば理解はできるんだよ。でも、何故、誰も先に言ってくれなかったの?」
「……聞かれなかったから?」
と、九十九が答える。
「知っとるもんやと思っとった」
と、楓夜兄ちゃん。
「その反応が見たかったから」
……水尾先輩?
「人間界でも飛行船や宇宙船って言葉があったから『船』って言葉自体に『浮かぶ』って意味があるもんだと思ってたんだよな~」
九十九が頬をかきながらそんなことを言う。
確かにそれらにも「船」って単語はくっついているけど、それはなんだか別の話な気がする。
「まあ、こんなのが水に浮くんだから宙に浮くこともあるだろう」
「その結論はどこか可笑しいことに気付いてよ、九十九」
物理は得意じゃないけれど、それぐらいは分かる。
それは船じゃなく、飛行機と言って差し支えがないだろう。
「先ほどまでと同じように水面に下ろして進むこともできるよ。ただ海より宙に浮かべて航行する方がいろいろな面で負担も少なくて済むんだ。海に浮かべるとどうしても速度が落ちてしまうしね」
窓の方に寄っていたわたしたちから少し離れた場所で雄也先輩はそう言った。
そこで考えてみる。
波の動きに左右されないので揺れることもあまりないし、かなり静かだ。
実際、九十九が言うまでは、動いていることに気付かないほどだった。
しかも、物理的にも水に浮かんで進むより抵抗がないというのも理解できる。
ここは魔界だから、魔法という存在によって、物理法則をある意味無視できるからできてしまう。
船舶と航空機の製造費用や運営費用などの負担に大差がなく、その上、速度で明確な差が出るのなら……そりゃ、航空機を利用するのは分かる。
勿論、安全面をある程度保証した上でという話だけどね。
こうして……、初めての魔界の船旅が始まったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




