紅い髪の男との対話
加害者国家の王子を庇ったかと思えば、自分の意見にも賛同の意思を伝える。
水尾にとって、彼の言葉は調子が良いとしか思えない。
「少なくともこの場にいる誰とも敵対はしたくないかな。それぞれの事情もあるから」
「この男とも?」
少なくとも、紅い髪の男は雄也にとっても、味方にはなりえないだろう。
「彼のことについては、九十九からしか話を聞いていなかったから正直、あまり良い印象はなかったけれど……。先ほどの栞ちゃんとの会話を聞いていた限りでは、そこまで害があるようには見えなくてね。人間界での行動も、彼しか分からない事情もあったということだろう」
「お優しいことだな。私ならどんな事情があっても他人に手を出す時点で十分、害悪だ」
水尾は苦々しげに吐き捨てた。
尤も、彼女も既に分かっていた。
現時点で、この紅い髪の男から聞き出せることは少ない、と。
当事者でないことは分かっているのだから、これ以上の追及は無意味であろう。
「……と、彼には個人的に興味がある」
「は?」
不意に怪しげな笑みを浮かべた雄也に、水尾の顔が引き攣る。
「これだけ不思議な魔気を、俺は感じたことはない」
雄也が口にするその違和感については、当然ながら水尾にも分かっていた。
この紅い髪の男の体内魔気から感じられているのは、火属性だとは思うのだが、どこかはっきりと断言できない。
何か、余計なものが邪魔をしているような、そんな感じがするのだ。
他属性の魔気が混ざっている状態とも違う。
主属性がはっきりと分からないなんて、水尾にだって初めてだった。
「アリッサムを襲撃したヤツらも……、こんな気味が悪い魔気を身にまとっていた。しかも、主属性は火だけじゃねえ。水や風、地もあった」
雄也の言葉を受けて、スイッチが切り替わったかのように頭がスッキリとしていくのが水尾自身も分かった。
行きどころのない復讐心が胸のうちに溜まってモヤモヤしていたものが、一気に吹き飛ばされたような気がする。
憎悪の念より、魔法や魔気に関することで知らないものを知りたくなるという魔法国家の好奇心が勝ってしまったのだ。
「上から後付しているのとも違うな。こうして間近で視ると、2つぐらいのモンがしっかり混ざっている感じだ」
地面に横たわっている彼に手を近づけて詳細を確認する。
「こんな魔法はあるかい?」
「別属性の魔法を操っている時に似ているけど……、それをずっと出し続けているわけにはいかないので違うな。魔気じゃなくて生命力を糧にする魔法という手段もあるが、それでもこれだけ長い時間、全身を覆い続けるのは無謀だ」
「生命力を糧にする魔法?」
水尾の言葉に雄也が反応する。
「禁呪の一種だがな。いろいろあるが、一番よく知られているのは、魔気を読み取るのに長けた人間相手に正体を隠すために使われるものだ。だから、知識としては……、私も知っているんだけど」
水尾は昔見た書物を思い出す。
だが、それをどこで読んだのかは思い出せない。
滅多に入ることが許されない書庫だった覚えはあるのだが……。
「……通常の変装ではいけないのか?」
「姿かたちを多少変えたぐらいなら私は見抜くよ。多分、姉貴たちもそう。体内魔気は抑えることや誤魔化すことはできても、その性質が簡単に変わるものじゃないから」
「……なるほど」
確かにその事実に雄也も心当たりがある。
封印していた幼馴染の体内魔気を見事に探し当てた弟。
あれは……、雄也にできなかったことの一つだ。
「流石にこれを先輩が知っていたら驚くぞ。さっき言ったように禁呪だからな。生命力に影響あるような魔法は、各国ともに厳重に保管しているはずだ」
「世に出ても大きな問題にはなりそうもないが」
生命力を使って姿を変えるだけ。
変装にしてはかなりの危険を伴うだろうが、魔気を誤魔化すという点においてそれを必要とする人間は確かに一定数いることは分かる。
しかし、悪用も可能なものなのは理解できるが、生命を糧にするというのなら、危険性と利益を計りにかけたところで得られるものがあるとはあまり思えない。
「生命力を糧にする魔法って状態変化させるだけじゃねえよ。魔法力で足りない部分を生命力で補うこともある。無駄に魔法力を放出する古代魔法に多いけどな」
「なるほど……。今の魔法とはその根本が異なるということか」
古代魔法とは「忘れられた時代」とされる時代より、さらに昔にあった魔法を指す。
歴史から文明が消えた時代以前にあり、時代の波による忘却や消却を逃れたものでもあるため、歴史的な価値も高い。
しかし、それらの痕跡すら見つけ出すのは困難を極める。
多くは国家の秘蔵品であり、秘匿品でもあるため、まず一般的には出回ることはないためだ。
尤も、出回った所でかなり非効率な魔法力の使い方らしく、貴族……いや、王族ですら扱うことは難しいとされる。
運良く機会に恵まれて契約をすることができても、「肩こりを治す魔法」や「対象相手を転ばせる魔法」など、使い所がかなり限られる魔法や、そもそもの使い道も分からない魔法も数多くあるため、莫大な魔法力を消費しても釣り合わず、誰にも伝えないまま魔法そのものを隠匿してしまう者もいるようだ。
それでも、その「古い時代の魔法」という言葉に価値があるため、古代魔法や古代魔法具などを探し出すことを生業にしている人間もあるらしいが、これらは余談だろう。
「体質かもしれんが……、そんな体質ばかりの人間が偶然にも集まっているとも思えねえ。なんか理由はあるはずだが」
水尾はまだ動かない紅い髪の男を見た。
「彼を起こして確認してみるかい?」
「どうやって?」
起こすことはともかく、その確認は簡単ではないだろう。
「ここにかなり苦味の強い気付け薬があるのだが。」
そう言いながら、雄也は懐から紫色の液体が入った小瓶を出した。
一見、人間界で言う葡萄ジュースを思い出させるような色だが、わざわざ「苦味の強い」と言う言葉を付け加えている以上、この気付け薬は見た目ほど甘い物ではないのだろう。
「それは面白い。やれ、先輩!」
そして、雄也が「苦味」と言うぐらいだ。
普通のものではないことを水尾は理解していた。
「……待て、起きてるからやめてくれ」
慌てたように、その小瓶をやんわりと避けつつ紅い髪の男は起き上がった。
その小瓶から漂うあまりの刺激臭に、彼は耐えられなかったようだ。
それは当然だろう。
数メートル離れていた水尾ですら顔をしかめたくなるほど強い悪臭。
そんなものを鼻元に突きつけられた男はたまったものじゃない。
それを自分で開けて平然とした顔をしていられる雄也はやはりどこか可笑しいと、その場にいた他の2人は思った。
「なんだつまらん。毒耐性がかなり高いはずの九十九ですら一撃で倒したものなのに……」
「……気付け薬で弟を倒すなよ」
「気付け……って言ってたよな? 先輩」
2人はこの場にいない彼の弟に同情の念を禁じない。
「気付けには間違いない。ただ九十九は口に入ったものを味わう妙な性質がある。うっかりその癖を発揮して、気がついた直後なのに倒れただけだ」
「どこから突っ込むべきなのか……?」
紅い髪の男は鼻を抑えながら言う。
既に雄也は小瓶の蓋をしっかり締めていたのだが、それでも鼻の奥に臭いが残ってしまっているようだ。
「好きなだけ突っ込んでくれて良いよ。但し、その分こちらも突っ込ませてもらうことになるけどね」
雄也はそう笑顔で答える。
あまり周囲は明るくはないため、普通ならそこまで表情は分からないが、何故か、今、彼がどんな顔をしているかが想像できる気がした。
「……何を聞きたいんだ?」
心底、面倒くさそうに、紅い髪の男は尋ねた。
「俺はあまりないのだけど、彼女がどうしても聞きたいことがあるみたいで」
「……あんたの方がありそうなんだが」
この一癖どころか何癖もありそうな相手から、そう簡単に引き下がられるとかえって不気味だと紅い髪の男は感じたのだ。
相手から何も語られないというのは、何も得られないのと同義である。
それならば、答えるかどうかは別として、せめて、何を考えているかは知りたかった。
「俺の欲しい情報に対する対価を考えなければね」
だが、食えない男はそう返事をする。
「現時点の俺は捕虜みたいなもんだぜ。そんなヤツ相手に情報国家みたいなことを言うなよ」
そう水を向けてみたが……。
「利他的行動では世界が成り立たないことを知っているからね。どうしても釣り合いをとるべく天秤は動くようになっている。後から別の所で予想外の何かが起きるのはできるだけ避けたいんだよ」
雄也はそうため息を吐くだけに留めた。
どうやら、過去に予想外の何かあったらしい。
そしてこれ以上誘導しようとしても、この男は絶対に答えないだろう。
そう判断するしかなかった。
「で、王女殿下は何を聞きたいんだ? アリッサムのことについては、俺が知っていることは少ないぞ」
「……アリッサムのことは別にもう良い」
「へえ」
自分に襲いかかった時の剣幕では、確実にその質問が出てくると思っていたが、紅い髪の男としては意外だった。
勿論、先ほどまでの彼女と雄也とのやり取りは聞こえていたが、それでも簡単に考えなんてものが変えるなんて難しいだろう。
それだけの説得力が雄也の言葉にあったのか。
それとも、王族ならではの自制心ゆえか。
「先輩が言った通り、その不可解な魔気の方が私には気になって仕方がない」
「ああ、これか」
「正直、気持ちが悪い」
「酷い言われようだな。だが、これは俺たちにとっては生まれつきのことなのでどうすることもできない」
紅い髪の男は水尾の言葉に対して、困ったように答えるのだった。
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