誰よりも心を乱す少女
300話目です!
紅い髪の少年に強く抱きしめられながら、耳元で告げられた言葉。
それが耳の中でこだまする。
―――― 俺を殺してくれ。
彼は確かに、今、そう言った。
「断る」
だから、わたしは迷うことなくそう口にする。
「おまっ!? この状況でか!?」
まさか、断られるとは思っていなかったのか。
彼は慌ててそんなこと言う。
「いや、だっていきなりそんなことを言われても『はい、分かりました』なんて答えられるわけないでしょ?」
現代日本で人を傷つけてはいけませんと教え込まれた人間が、簡単に人を殺められると思うことがおかしい。
「空気を読め」
「読んだ上で言った」
わたしは彼の腕の中できっぱりとそう答えた。
「殺さなければ殺されるとしても……か?」
「現時点ではわたしが貴方に殺される可能性の方が大きいよね? それならば、今、何故殺さないの? 魔力封印中の今なら確実でしょ?」
何よりも今は彼に抱き竦められている状況だ。
これだけ接近して、さらに単純な力の差があるなら魔法を使わなくても、簡単にできることだと思う。
いや、勿論、殺されたいわけじゃないのだけど。
「お前を殺すことが俺の目的ではないからだ」
「じゃあ、なんで『殺せ』なんて言うの?」
「……今は、言えん」
わたしの疑問に対し、彼は簡潔な言葉を返す。
だが、その台詞を聞いて、わたしの中の何かがプツンと音を立てた。
そして、その勢いで力任せに彼を突き飛ばす。
「ふざけんな! 仮にも人に頼み事をする身でありながら、隠し事をするなんて。そんなんで相手からの信頼を得られるなんて思う!?」
思わず拳を握りしめて力説してしまった。
相手に頼み事をする際は、納得できるかどうかの情報を提示する必要がある。
それらを聞いた所で相手の願いを叶えるかは別だけど、それが理解できる行動につながるかどうかの判断材料にはなるのだ。
そして、「理由を聞かないでくれ」というのは、大半の人間は納得出来ないだろう。
それなら、ド素人のわたしなんかより理由を聞かずに任務を遂行するようなプロの殺し屋さんに頼んだ方が良いと思われる。
わたしより確実に丁寧な仕事してくれることだろう。
「分かってる。お前の言い分はもっともな話だ。だが、今、これ以上を伝えた所で、恐らく理解はできん」
「わたしに記憶がないから?」
「それもある」
記憶に関係しているのか。
でも、記憶があったからと言って、わたしが人を殺すなんて考えられない。
「あなたが、ミラージュの王族だから?」
「それも理由の一つだ」
「……分かんないよ」
「今は分からなくて良い。いずれは理解できる」
そう言いながら彼は少し寂しげに微笑んだ。
―――― あれ?
何かが頭の中を走り過ぎた。
―――― この表情、どこかで見たことがあるような気が……?
そんなことを考えた時だった。
「誘眠魔法」
「…………あ?」
「喋り過ぎたな。どうも、あんたにはいつも調子を狂わせられる」
ぼやけていく景色の向こうで、そんな声が聞こえた気がする。
それなのにわたしは、せっかく、「あんた」から「お前」に呼び方が変わっていたのに、元に戻っちゃった……と、我ながらどこか明後日な方向のことを考えていた。
そうして、わたしの意識は闇に溶けていくのだった。
*****
「変わらないな」
その場に崩れ落ちようとする栞を優しく抱き止めながら、紅い髪の男はそう続けた。
彼の腕に体重を預けて目を閉じている少女の身体からは、彼女自身の魔気をほとんど感じることができない。
だが、その分、他者の魔気がまとわりつきやすいようだ。
まるで、透明な水に水性インクを溶かすようにあっという間に周囲の人間が放つ魔気に染まってしまう。
「風が一番強い……か」
ここは風の大陸。
そして、当人が持つ魔気も元々風属性が主体だったことも関係しているのだろう。
しかし、他の理由として、風属性が主体である人間がこの少女の近くにいるためだというものがある。
そんな当然のことが、彼には少し腹立たしく思えた。
「……っと、これが、封印か。確かに普通の封印よりも強力だな」
少し封印に触れようとしただけで、激しい静電気のような衝撃があった。
これを施した人間の周到さが窺える。
まるで、半端な人間には解呪できないように。
「これを施したのは、間違いなくアイツだな。あの場に居合わせた縁とは言え、余計なことをしてくれたと言うべきか……」
それとも、礼を言うべきか。
彼女の魔力が封印されていなければ、今、このように触れることも近付くことすらできなかったかもしれない。
それだけ眠っている時の王族の魔気は、半端な防護魔法より異物に対する排除反応が激しいのだ。
だが、今、彼女はこの腕の中にいる。
それも何の抵抗もなく無防備な状態で。
普通なら手に入らないはずのものが。
今まで何度も手に入れ損なってきたものが。
不自然なぐらいこうもあっさりと。
本当なら、もっと早く……。
「随分と、訳知りのようだな」
だが、やはり、黙って見逃してはくれなかった。
背後からの殺気が籠もった声。
相手が近くにいることは気付いていたが、こうも早く行動に出るとは思わなかった。
尤も、転移魔法を使おうとした所で、既に周囲に結界が張られている上、簡単に気配を辿られてしまうだけだろう。
だから、使うことができなかったのだが……。
そのまま、紅い髪の男は栞を抱えたまま、その場から飛び去る。
「逃がすかよ!」
その高い声と放たれた魔法で、紅い髪の少年はその声の正体に気付く。
「アリッサムの王女殿下……。生きていたのか」
紅い炎を片手でいなしながら、彼は彼女に向き直った。
「……それを知るお前は何者だ?」
鋭い眼光が突き刺さる。
並の男なら怯ませる効果があるだろう。
「なるほど、双子だけあって見た目ではどちらかの判別はできないな。口調とその激しく燃えるような魔気から第三王女殿下とお見受けするが」
「答える道理も義理もない」
あっさりと自分を見極めた相手に対して、彼女は拒絶の意思を見せる。
「アリッサムの件なら、こいつにも言ったが俺は知らん。なるほど、当事者である王女殿下が近くにいたなら情報も掴んでいるわけだ」
「襲撃に関わっていなくても、それ以外のことを知っているなら全て吐け!」
その言葉と同時に、彼女の背後から熱い炎を纏った紅く大きな龍が現れた。
「これは……、すげぇ……」
話には聞いていたが、初めて間近で見る魔法国家の王族の魔法に、彼は目を奪われる。
紅く燃え上がった大きな龍に、感嘆の声しか出てこない。
「アイツら、よくこんな魔法から逃げ切ったな」
尤も、ここまで凄いものを見せ付けられたら、逃げ足が自慢だったとしても、その足すら止まってしまうかもしれないが。
「世辞はいらん。お前の口から聞きたいのはアリッサムのことだけだ。知っていることを洗いざらい吐いてもらおう」
「お世辞じゃねえよ、ミオルカ王女殿下。これだけの巨大な魔法を見たのは俺の短い人生で二回目だ」
その男の軽口に水尾は少しひっかかりを覚えた。
魔法国家の王女を前にしての余裕だけではない。
確かに、自身が持つ最高の魔法とは言わないが、そこそこの魔法を用意した。
だが、それと同等の魔法を既に彼は見たことがあるという。
そこに侮辱を覚えたとかそんな負の感情ではなく、単純に興味が湧いてしまったのだ。
そこが魔法国家に生まれた我が身の悪いところだと思う。
いつ、どんな状況でも、魔法に対する興味が尽きないのだ。
「最初ではない、と? 襲撃時に王妃殿下や姉の魔法でも見たか?」
「襲撃には関わっちゃいねえって。俺が国にいない時に起きた事件など知ったことか。その時期の俺は、まだ人間界で事後処理をしていたからな」
その言葉に嘘はないと水尾自身は気付いていた。
……と、言うのも、襲撃時に展開した大規模探知魔法で、その時、国内にいた大きな魔気を持つ襲撃者たちの魔気だけは覚え込んだのだ。
この屈辱はいつか必ず千倍にして返すから決して忘れぬようにと。
今、目の前にいる紅い髪の少年は多少、抑えているようだがそれなりに大きな魔力を持っているようだった。
そんな男の存在を見落とすとは思えない。
「お前の国の仕業だということは認めるんだな?」
「否定の材料もない。魔法国家の魔気判別は神業だ。他国からの襲撃なら確実に大陸だけではなくどの国かを当てることもできるだろう。記憶している該当魔気があれば……、だがな」
そう言われて水尾は一瞬、言葉に詰まる。
男の言うように襲撃者たちの魔気は酷く分かりにくかったのだ。
少なくとも、水尾が知っているような分かりやすい特徴を持った人間はいなかった。
「だからって……」
そこで水尾は片手を天に翳す。
「ここでお前を見逃す理由にならん!」
その言葉と同時に襲いかかる炎の龍。
そして、そちらばかりを気にしていたため、紅い髪の男は上から迫り来る物を見逃した。
「紅隕石 魔法」
「うおっ!?」
真正面とは別方向。
しかも、目と魔気探知のほとんどは眼前にあった巨大な龍に引き付けられていた。
そこで、視界の外、死角となる真上からの強襲。
紅い髪の男は咄嗟に防御をしようとして、……自身の外套で覆いながら身体を被せるようにして、腕の中の少女を庇った。
「ぐあっ!」
死ぬほどの威力はない。
精々、軽い火傷程度のものだ。
だが、それについては手加減した水尾にしか分からない。
そして、少女に届く前には消えるように手元で微妙な操作もしていた。
万一、彼女を盾にでも使おうものなら、その時こそ遠慮なく全力を出すつもりで。
だが、今、その魔法を食らった本人がそこまで気付いていたはずもない。
だから、今の行動の意味は……。
そんな風に水尾が思わず迷いを見せていた時だった。
300話目です。
読んでくださる方、ブックマーク登録してくださっている方々のおかげで、頑張ることができています。
本当にありがとうございます!
300話と同時に、別作品も始めました。
「乙女ゲームに異物混入」もよろしくお願いいたします。
こちらは不定期更新になると思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




