思いは夢の中で
―――― 夢を視た。
見たかったようで、見たくはなかったそんな夢だった。
「俺は納得してない」
そう言ったのは、どこかで見たことがあるような雰囲気を持つ黒い髪の少年だった。
彼の表情には明らかな怒りと焦り、そして……、困惑が見える。
もう一人、よく似た男の子がいるが……、彼は何も言わず、近くにいた黒髪の小さな女の子だけを見ていた。
「黙って俺たちを置いて去るなんて絶対許さない。拾った責任は最後までとってくれ」
彼の言葉は非難のようで……、懇願にも聞こえた。
その言葉で、小さな女の子が身を竦める。
それを庇うように、彼女の母親と思われる女性が、その娘の頭に手を置いて困ったように口元に笑みを浮かべながらこう言った。
「悪いけど、詳しく説明している間もないの。この娘の様子を見た限り、本当に時間がないみたいだから。それに、これ以上、貴方たち兄弟を私たち親子の事情に巻き込みたくない。それも分かって欲しい」
その表情は穏やかで、笑っているように見えるが……、長年、彼女の傍にいた自分はよく知っている。
あれは……、泣くことを我慢している時の顔だと。
「今まで散々、巻き込んでおいて今さら何を!」
尚も、黒髪の少年は叫ぶ。
「落ち着きなさい、兄」
今にも女性に縋りこうと手を伸ばす彼を……、、別の手が後ろから制止する。
その女性に関しては、見覚えはなかったのだが、自分の友人に少し似ている……と、思った。
「今までとは事情が違う。それは察しなさい」
長い緩やかな金髪を上で纏めたポニーテール。
口元は笑みを浮かべているが、その金色の瞳は笑っていない。
そして、その首元に光る装飾品を見て、その女性の名前を察した。
確かに、その女性の顔に見覚えはなかったが、その装飾品に関しては、見覚えがあったからだ。
「それにこの転移門は使用許可がいるのは教えたよね?」
「そんなこと忘れた!」
「いや、貴方はそこまで愚かじゃないでしょう?」
一見、子供と大人の可愛らしい攻防。
でも、そこに漂っているのはそんな微笑ましい雰囲気ではなかった。
「この頑固さ。あ~あ、誰に似ちゃったのかしら?」
「師でしょう? そっくりだと思いますが?」
その皮肉を交えた言葉で、女性の中で、何かのスイッチが入ってしまったようだ。
大人気なくも繰り出されていく容赦のない言葉の数々は、確実に彼の心を抉っていく。
少なくとも、幼い少年に言うべきようなことではないような台詞も含まれていた。
それでも、その女性は育ちが良いのか、品のない言葉は一切使われていないというのは見事としか言いようがなかった。
そんなところも、自分の友人に似ている気がする。
「慇懃無礼」という四字熟語をそのまま表したような彼女の態度は、全く付け入る隙がないように見えた。
「か、母さま……」
震えるような声で、小さな女の子は自分の母親の袖を右手で掴んでいた。
その表情は蒼白で……、チラチラと自分の左手首をしきりに気にしている。
―――― ああ、なるほど……。
その左手首に視えない何かあるのだろう。
恐らくは彼女の周囲にも視えていない何かが。
それについての心当たりはあるけれど……、どこまで一致しているか分からない。
これはどこまでが夢でどこまでが現実なのか?
『声を出しても大丈夫です』
『ふえ?』
不意に聞こえた幼い声に思わず、自分の声が出てしまった。
でも、その姿は見えない。
声だけの不思議な存在。
『これは、過去視中なので、視ている人間の行動が、出てきた人物の行動に影響を与えることはありません』
でも、この声自体に聴き覚えはあったので、ちゃんと確認してみる。
『詳しいね、「過去のわたし」』
『この世界の人間の常識ですよ、「現在のワタシ」』
その声は笑ったのだろう。
少しだけ明るく聞こえた。
『わたしに魔界人の常識を言われても、誰かさんに封印されているからね』
わたしがそう言うと、声だけの存在は押し黙る。
それにしても……、やっぱりわたしの夢視は過去視なのか……。
過去にあった出来事を夢に視る能力というやつ。
どうせなら、未来を視るという「未来視」の方が良かったと思ってしまう。
わたしは少し間違えただけで、死ぬ可能性が高いらしいから。
事前に分かると対処しやすそうだよね。
「仕方がない。気がすすまないけど、『命令』しなさい。残念だけど、それが一番早いから」
そんな声が聞こえた。
わたしはその言葉の意味を理解する。
「嫌です!」
母親の言葉に間髪入れず返す娘。
『因みに、この時のことを覚えている?』
『忘れるわけないじゃないですか』
わたしの質問に「過去のわたし」は即答した。
ごめんね。
あなたは覚えているかもしれないけれど、わたしは全く覚えてないんだ。
そんな言葉を飲み込む。
わたしはこんな大事な出来事を全く覚えていない。
だから……、少しでも、覚えておかなければ。
「彼らは巻き込めない。そして、この様子では引いてくれる気もない。じゃあ、どうしましょうか?」
彼女の母親はそう言って微笑む。
『なかなか策士だのう……』
わたしは溜息を吐きたかった。
『あの母の姿を見てそう言いますか?』
『少なくとも、穏当だとは思う。まあ、悔しいけど説得が無理なら……、ある程度仕方ないかな』
わたしが知る「現在の彼」なら、多少は話し合いに応じてくれると思う。
でも……、この様子の彼と状況では無理だろう。
既に先ほど、師と思われる女性に言い負かされて、かなり、凹み気味の様子だから。
―――― こんな可愛らしい時代もあったのですね、雄也先輩。
わたしは、そう言いたかった。
そして……。
「『命令』です! 二人とも、わたし達親子の気配がなくなるまで、絶対にこの場から動かないでください!」
幼い娘が叫ぶ。
そして……、その場にいた二人の幼い男の子たちは動きを止めた。
『ああ……、ごめんなさい……』
わたしの傍にいる声だけの存在はしきりに謝っている。
『謝る必要はないよ』
わたしはそう言うしかない。
『この時のあなたや母にとって、最善を尽くした結果でしょう? それに彼らを巻き込みたくはなった……。今のわたしでもそうする』
まあ、その選択を選んだところで、結局、彼らは追ってきてしまうのだけど。
それでも、この時の、彼女たちの判断を誤りだとは思えなかった。
『彼らが一緒に人間界に行っていたら、多分、記憶を消させてくれなかった。それはあなたが望むところじゃないでしょう?』
その後のことを知っているからこそ言える言葉だと思う。
でも……、彼女たちの目的を考えれば、彼らを引き連れて行くことはできなかったことは間違いない。
『そう……でしたね……』
彼女はそう言って……、納得してくれた……、のだろうか?
「ごめんなさい」
そう泣きながら、小さな女の子は二人の男の子をそれぞれ抱き締める。
「ごめんなさい」
そう言いながら母親は彼ら二人の名を言い、抱き締める。
「ごめんね、恨むなら私を恨みなさい」
そう言って、金髪の女性も彼らを抱き締めた。
こんな時……、「命令」により、意識を無くしてしまう弟と、意識が残りながらも従ってしまう兄はどちらが辛いのだろうか?
弟はうつろな目のまま、兄は顔をぐしゃぐしゃにしながら……、小さな女の子と母親が手を繋いで、その先に向かうところを見つめていた。
『ワタシが視たかったのは……、この先です。視点がこのままだと良いのですが』
『この先?』
『ワタシたちがいなくなった後の……、この三人です』
『なるほど……』
確かに自分が知らない部分を見たいと思うのは、当然だろう。
彼らは事情を覚えていない今のわたしには語ってくれないだろうし。
ドオンッ!
突然、響く音。
まるで……、打ち上げ花火を花火大会の会場で見ている時のような轟音だった。
『今のは?』
『転移門を使用した時の音ですよ』
『結構、響くんだね』
『この時は他国の城に行くわけではなく、空間に穴を無理矢理空けるような状態でしたから、余計に大きかったと思われます』
なるほど。
確かに他国の転移門を目指すのではなく、彼女たちは母親の生まれた世界である人間界……、遠い星を目指したのだ。
これって、亜空間転移ってやつになるのかな?
『……でも、こうなると、知っていた?』
城で転移門を使用したら、王族には伝わるって聞いている。
それが通常以上に大きな音を立てたのなら……、普通なら、その異常を確認に来るのではないだろうか?
『ワタシもここまで大きな音だったとは思いませんでした』
そう言う彼女の声は……、どこか焦りを含んでいた。
そして……。
「行ったわね」
金髪の女性が呟く。
ここからはわたしだけではなく、彼女も知らない世界。
わたしはできるだけ、夢から覚めないようにと強く、願うのだった。
【序章】の別視点です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




