偽装交際
「おはよ~、高田。風邪は大丈夫?」
教室に入るなりワカから声をかけられた。
わたしは昨日の休みを、風邪による発熱として、届けたのだ。
声でバレないかって?
もともと母の声とわたしの声はよく似ている。
だから、口調さえ気をつければ大丈夫なのだ。
……念の為付け加えておくけど、初犯ですよ? ホントだよ?
「いや~、随分、首元が涼しくなったね。もしかしなくても、熱はそのせい? でもちょっとばかり切り過ぎたんじゃない?」
短くなったわたしの髪の毛を見て、ワカはそう言った。
「うん。少しだけ、体重が落ちてたよ」
「それは……、羨ましいとも言いがたいね。実際、肉が落ちたわけでもないんだし」
「肉って……。でも、ちょっとだけ得した気分だったりする」
「その分、増えなければ……。ん?」
そんなわたしとの会話の途中で、ワカは変な顔をした。
「どうしたの?」
何かを睨みつけるようなワカの顔。
でも、敵意とかじゃない。
どちらかというとこれは……、彼女が困惑している時の顔だ。
もともと目つきが鋭いから誤解されちゃいそうだけど。
「……高田、来る時に、誰かと会った?」
その言葉にドキリとする。
まさか……、九十九のことがバレた?
「へ? なんで?」
とりあえずすっとぼけてみる。
ここで素直に言って良いものか?
「男の匂いがする」
「は?」
その言葉にわたしは驚きを隠せなかった。
確かに、あの場所から校門までずっと九十九が近くにいたけれど、接触は全然してない。
それなのに、簡単に匂いって移るものなんだろうか?
念の為、自分の袖やらを匂ってみるが、勿論、よく分からなかった。
「いや、気のせいならいいんだけど、高田の身体から、なんか……、整髪料っぽい匂いがした気がして……。高田、そんなの付けたことないし。」
鋭い。
九十九は、整髪料みたいなものをつけてる感じではないのに、そんな匂いがする。
あれは、家の匂いってやつなんだと彼の家に行った時、思った。
わたしの家ともかなり違うから。
「来る時、九十九に会ったからかな?」
「え?」
ワカが一瞬、停止して……。
「九十九って……、まさか、あの笹さん?」
ワカが確認する。
彼女も、わたしと同じ小学校出身だ。
懐かしい呼び名を口にした。
「うん」
「なんで?」
ワカが明らかに怪訝な顔をしている。
「昨日、学校を休んだ時に病院で会ったの。あっちは腹痛だって。それで、なんとなく、久し振りだねって話しているうちに意気投合しちゃって、その……」
流石に、ちょっと言いにくい。
いや、まさか、わたしがこんなことを口にすることになろうとは……、一昨日まで考えもしなかった。
「その?」
ワカが先を促す。
「男女交際というのをすることになりまして」
これは、昨日、2人で考えたことだった。
わたしがここにいる以上、危険は避けられない。
それなら、魔法使いに対して、ある程度、対抗策をとることができる九十九が傍にいることが最低条件となる。
そして、学校が違う男女2人が、常に一緒にいてもおかしくない状況を考えて……、出た結論は偽装彼氏&彼女!
「はあっ!?」
案の定、素っ頓狂な声をあげるワカ。
「昨日の今日で?」
「うん、まあ……」
「高田、そんな器用な性格じゃないのに?」
「うん」
「いや、笹さんが高田の初恋の相手ってことは知ってるけど……。だからって、3年も経ってるんだよ? 笹さんだって変わってるんじゃないの?」
「そうだね」
変わりすぎていたけどね。
いきなり魔界人とか異星人として再登場。
いや、元々そうだったのを隠していただけなのだけど。
「何考えてんの?」
「まあ、いろいろと?」
「いろいろ……、ねえ」
「でも、まだお試し期間ってやつだから」
「……ふ~ん。つまり、『あの男』のことはもう良いんだ?」
「へ?」
一昨日から、ずっととんでもない展開ばかりでそのことをすっかり忘れていた。
ワカが言ったのは、わたしが少し気になっていた相手のことだろう。
でも、正直、本気で忘れていた。
……というか、本当にそれどころじゃなかった!!
「本気で忘れてたよ。だから、もう、良いんじゃないかな?」
トラブルに巻き込まれたぐらいで、すっぱり忘れることができる程度の想いだったのだと思う。
いや、あれらを全て「トラブル」って言葉で片付けて良いかは謎だけどね。
「それに『階上』くんは、『真理亜』と付き合うことになったんだよ? 今更、そんなこと言ったって仕方ないじゃない」
「でも、あれはあの女がかなり強引だっただけで、高田がその気になれば、階上の1人や2人、なんとかなったんじゃない?」
いや、2人もいらないから。
「無理じゃないかな。真理亜の方が可愛いから」
わたしは、同級生の姿を思い出す。
いろいろ、あの子に勝てる気はしない。
「あれは男受けだけは何故かいいもんね~。まあ、あんな性格と言動だから同性にはすこぶる受けが悪いけど」
ワカにとってはかなり苦手なタイプらしい。
いつも、その子のことを言う時は、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「それに……、わたしには、もう九十九がいるから」
普通なら照れくさい台詞。
でも……、今のわたしにとってはトキメキ要素など皆無だった。
……と、言うか、真面目な話、魔界人に狙われる理由があるというわたしの周りにいることが出来る男は九十九か、まだ会ったことはないけどその兄ぐらいのものだろう。
少なくとも、ただの人間には無理だ。
あんな現実離れをした連中に太刀打ちはできないと思う。
それに……、わたしは人間じゃなかった。
彼らと同じ「魔界人」という奴なんだ。
あんまし自覚はないんだけど、あんな現実離れした連中と同様の化け物なんだ。
本当は、こうして普通の人間のフリして、学校に来ることすらも許されないかもしれないのに。
「……はぁ。……で?」
ワカが深い溜息を吐き、真面目な顔をしてわたしを見た。
「え? 『で? 』って?」
何に掛かる言葉か分からない。
「決まってるでしょ。笹さんはどうなってた?」
「はい?」
「いい男になってたんでしょ? 一年間、それなりに気になっていたあの男が頭から完全にすっ飛んでしまうくらいに」
表情と台詞が合っていないと思うのはわたしだけ?
この話題って、そんなに真剣になることかな?
「まあ、それなりに?」
「それなり~?」
「一目見たくらいじゃ分からなかったよ。あっちが気付かなかったら、そのまますれ違ってたかもしれない」
実際、分からなかった。
わたしがぶつかったからすれ違うこともなく接触することになったし、九十九の方が気付いてくれたから、ちゃんとお互いを認識できたのだ。
「ああ、高田は髪型くらいしか変わってないからね」
「ちょっとは背も伸びてるよ! 九十九と同じようなこと言うなんて」
「いや、雰囲気の問題。……背もあんまり変わってないのは事実だけど」
「後半は余計だよ!」
わたしは頬を膨らませた。
なんで、皆、身長のことを言うんだろう?
背が低いってそんなに悪いこと?
こっちだって、好き好んで背が低いわけじゃないっての!!
「なるほど、私も会ってみたいな、今の笹さんと」
……そう言うワカの口元は怪しく笑っていた。
まるで、何か新しい玩具を見つけたかのような顔。
「な、なんで?」
「だ~ってえ~、高田はまだ殿方とお付き合いしたことはないでしょう? それなのに、出会ってすぐ! 付き合います! なんて、簡単には信じられないわ~」
「信じられないって言われても……」
自分が一番信じられないのだから、ワカだって信じられないのは分かるけど……。
「いやいや、単純に私が笹さんを見たいだけなのよ。いや~、初恋補正が入っているとは言え、それなりに良い男に育ってるんだろうな~っと」
「初恋補正ってなんなの?」
「ん~? 思い出は美化されるって話。特に不完全燃焼だった恋なんて相当、きらっきらしいはずでしてよ?」
不完全燃焼が、きらきらしい?
「やけに具体的だけど、それってワカの経験談?」
「いや、人の噂話。私奴の初恋は……、0歳だったかしら?」
「なんでやねん」
こうやってワカは時々、かなり無理があることも平気でさらりと口にする。
ほとんどがありえない話だから分かりやすいけど。
初恋が0歳児だなんて……、もう雛鳥の刷り込みでしかない。
「見た目だけならねえ。階上は確かに良いけど、面白みはなかったし、女を見る目もないから、高田にはどうかな~って思っていた部分はあったのよ。でも、他人の恋路に口は出したくないじゃない。かえって燃え上がらせても盲目的でうざいだけだし」
「うざいって……」
ワカは基本的に容赦がない。
苦手なものは苦手と遠慮なくはっきり口にしてしまう。
でも、それなりに気遣いはするし、場所もちゃんと選んでいる。
さっきから、わたしが少し前まで気になっていた人のことを、あまりよく言ってないけど、これだって、本当に今までわたしに向かって口にしたことはなかった。
先ほどまでのわたしの言動から、もうここまで言っても大丈夫だと判断したのと、「とっととあんな男のことは忘れておけ! 」という意思も感じる。
ワカの気遣いは本当にわかりにくい。
彼女もそれを知っているから、ほとんどの女子に本音で話すことはあまりない。
わたしは……、彼女のこんなところ、嫌いじゃないのだけど。
「そんなわけで、私、笹さんにはかなり期待したいの。大丈夫よね? 高田?」
「おおう?」
上品そうな笑顔と優しく紡がれる言葉。
そして、そこに含まれるかなりの重圧。
九十九が今日来たら大変だと思うけど、彼は本当に来る気なのだろうか?
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