想いを閉じ込めて
少女がその場から立ち去ってから暫く……、彼は呆然としていた。
もの凄く怒っているはずなのに、それを感じさせない冷えた顔。
彼女が……、あんな顔を自分に向けたのは過去を含めて、恐らく初めてだった。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
彼女とは対照的に自分の顔が熱くなっているのが分かる。
だが、それは照れとかそういう可愛いものではなく、どちらかと言うと、怒りに似た感情だった。
自分が彼女のことをそういう対象として見てないし、これから先も見ることが出来ない以上、自分は彼女を拒絶する以外ないのだ。
それに……、「好き」の直後に「大嫌い」と言われた。
一気に感情が変化したのはその表情からも分かる。
そして、彼女は自分に対して本心から「大嫌い」という単語を口にしたことも。
「あ~もう! わけ分からねえよ!」
女は本当に感情に正直だ。
感情だけで物が言える生き物なんだ。
少年は女性のそう言う部分が嫌だった。
皮肉な話……、彼女が感情を剥き出しにしたことで、彼が彼女に対して「女」を意識したことになった。
悪い意味での「女」だが。
そんな些細な意識の変化も今の彼や彼女には意味のないことだった。
****
「ふむ……、天照大神の再光臨か……」
「先輩……、そんな冗談を言ってる場合かよ」
水尾はどこか呑気な口調でそう言う雄也をジロリと睨んだ。
日がすっかり暮れた頃、栞は一人で城樹に戻ってきた。
そして、帰ってくるなり、部屋にまた閉じ籠もったのだ。
そうなった経緯が分からない水尾としては、不安で仕方がなかった。
「クレスノダール王子殿下も……、船の手続きでいねえし……、少年もなんか暗い顔してるしよ~。また占術師のことでも思い出したか?」
「いや、違うだろう」
雄也は水尾の考えをあっさりと否定する。
「それならば、九十九まで妙な顔をしているはずがない。恐らくは、あのわずかな時間で二人に何かあったんだろう。多分、弟が彼女を傷つけたと思うのだが」
「少年が? 高田を?」
護っている立場にあるはずの彼が、護るべき対象を傷つけた?
そのことに水尾は首をひねる。
「そんな馬鹿な……」
少なくとも、水尾の知る限り、あの少年はそんなタイプではなく、どちらかといえば、過剰なまでに守る方だと思っている。
「アイツは言葉を選ばない。気を遣わずに物事を口にする。彼女のような繊細な年頃の娘さんには堪えるようなことでも平気で言うだろうな」
「でも、高田だって、ちょっとやそっと言われたぐらいでぺこんとへこむようなヤツじゃねえだろ?」
中学校の後輩を思い出すが、そこまで凹んだ所を見た覚えもなかった。
試合で大差がついて負けた時も、直後は落ちこんでいたものの、暫くすればチームメイトと笑いあえていたのだ。
「それは、ちょっとやそっとのことじゃなければ凹むと言ってるようなもんだよ。それに、今の彼女は通常よりも刺激を受けやすい状況にある。それも分かるだろ?」
少女は人が死のうとする瞬間を見た。
直接、遺体は見ていなくても、並の少女ならば、もう少し立ち直ることに時間はかかったかもしれない。
「……分かってるけど」
「けど?」
雄也は経験から、他人の「けど」という言葉の後には否定しか続かないことを知っている。
だから、続きを促した。
水尾自身にも、ガス抜きをさせるために。
「こう毎日毎日湿っぽい空気が流れてたらいい加減こちらもイライラするんだよ!」
雄也が思った通り、素直に水尾は爆発してくれた。
こんなに扱いやすければ、あの少女ももっと苦労はしないのに。
日頃から感情を抑え込んでしまうようなタイプは、自身の激しい感情の揺れに慣れていないのだ。
今回はそんな問題なのだろうと思う。
「イライラは美容の大敵だよ」
「しかも、ここ最近じゃ、先輩とばっかしか会話してねえし! あ~イライライライラ、イライライライラ!」
髪を激しく掻き散らしながらそう喚く水尾。
そこに王女の威厳はなく、普通の少女にしか見えない。
「俺は構わないけど」
「私が構うんだよ!!」
「でも、暫くは我慢してくれ」
雄也は肩をすくめる。
「そして、今は……、九十九にも話しかけない方が良い」
「なんでだよ。がしっと首根っこ捕まえて吐かせりゃ……」
「彼女のためにならない。これは、彼女が乗り越えるしかないんだ」
「先輩……。実は、何か知ってるんだろ?」
助言のような言葉に訝し気な顔をする水尾。
「二人の表情から察したぐらいだ。それが真実とは限らない。でも、そこまで大きく外れてはいないとは思っている」
「ソレで良い! 教えてくれ!!」
「憶測を語るのは趣味じゃないから」
「良いから、語れ! 憶測推測なんでも構わねえ!」
水尾は不安だったのだ。
それは、自分だけが外れている疎外感。
栞がいれば、2人の中には入れても、栞がいなければ3人の中に入ることができない気がしていのだ。
だから、少しでも3人の輪に近付きたかったのだ。
「多分、恋愛感情がらみだよ」
涼しい顔をして雄也はそう言った。
本当に大したことではないとでも言うように。
「え?」
「大方、栞ちゃんは九十九に振られたんだろうね。それもかなりこっぴどい言い方で」
「は?」
それでも、突然の雄也が口にしたある意味予想外ともいえる言葉に、水尾は頭が真っ白になった。
何故そうなっているのか?
そんな疑問すら頭に浮かばない。
だから、雄也の言葉をそのまま返す。
「なんで、少年が高田をこっぴどく振るんだよ?」
「九十九がガキだからさ」
「はあ? それを言ったら高田も十分、ガキだろ?」
水尾は小柄で自分の一つ下とは思えない少女を思い出す。
「いいや。男と女じゃ男の方が随分ガキだよ」
「そうか~?」
そうは言っても、水尾の目の前にいる人物はガキに見えない気がした……。
年齢を5歳ぐらい鯖読んでいると言われても納得してしまうほどに。
「そうだよ。だから、告白したかどうかまでは断言できないが、少なくともそれに近しいことがあったと思われる。それを彼女の気持ちも言葉を選ばずに拒絶したってとこだろう。アイツは馬鹿の上、ガキで不器用だから」
「でも、なんで、振る必要が……? ああ、主従関係か」
水尾は少し考えて思い至る。
少女は公式的な身分を持たないが、その能力は間違いなく、この世界でもトップクラスのものを隠し持っていることは分かっている。
少なくとも、並の少女が不意打ちとはいっても聖騎士団に所属するような人間の意識を一瞬で刈り取ることはできない。
しかも、それは攻撃魔法ですらなかったのだ。
それだけでも脅威としか言いようがなかった。
いずれ、彼女のその能力は、魔力の封印を解放し、成長するとともに誤魔化し切ることはできなくなってくるだろう。
魔法国家の王女である水尾はそう考えていた。
もし、他国にその存在が知られたら、確実にあの後輩は自国だけではなく、他国の王族にすらその身を狙われる。
そして、そんな時、彼女の近くに仲が良すぎる異性の従者がいることは、互いに障りにしかならない……とも。
そんな彼は主人に対して、疑似恋愛を楽しませるような器用な従者でもないことを水尾はもう知っている。
彼女が好意を向けても応えることも誤魔化すこともしないだろう。
「それもあるが……。まだ、九十九に惚れた腫れたという感情がよく分からないんじゃないかな。特に、今回のことで、彼女だけではなく九十九も大きく動揺していたから……」
「は~。惚れた腫れた? そんなの私にもよく分からねえことだな」
遠い昔、水尾の初恋は無残にも砕け散った。
陶器製の鈍器とともに……。
あの日、あの時のことは今でも思い出しては身震いするほどのものだから。
「俺にも分かってないよ。だから……、そういう意味ではあの子が一番大人なのだろうね」
雄也はそう言って笑う。
「……それは複雑だな」
彼女が一番年若いのに、もうそんな感情が心の中にあるのだ。
「お互いね」
そう言う彼も、水尾の知らない感情をいくつも経験していることだろう。
彼が人間界にいた時に身にまとっていた空気は、同じ年代の少年が持つものではなかった。
だが、それもここのところ、やや薄れている気がする。
そうなると、もともと彼自身のものではなく、外付けされたものということだ。
だからこそ、水尾は彼を試したのだ。
審判の火を持って。
その結果について、始めは納得できなかった水尾だが、数日行動を共にして、なんとなく理解できた。
彼もその弟も、普通の主従ではない。
だから、型に嵌った感覚では測り切れないものが多いのだ。
それを器用ととるか真逆に受け止めるべきか……。
今の水尾では分かるはずもなかった。
ただ今、考えなければいけないことはそんなことではなく……、どうしたら、小柄で可愛らしい天照大神は顔を出すのだろう?
今は、その解決方法を考えるべきだと思い直したのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




