想いは高く放り投げるもの
うっかりぽろっとこぼれ出てしまった言葉に、慌てていたわたしとは対照的に、九十九は冷たい瞳のまま、無感情に台詞を続けていく。
まるで、事前に準備をされていたかのように淡々と。
「いきなり世迷い言抜かすな、馬鹿」
まるで真冬に頭から冷水をバシャッとぶっかけられた気がした。
そのために、先ほどから酷く混乱していた思考だったが、急速に何かに向かってスーッと通り過ぎて……。
「そうか……。わたしが九十九のことを好きだって言うのは、九十九にとって冗談や『世迷い言』にすぎないんだね」
そんな言葉が口から飛び出ていた。
「お、おい?」
九十九はどこか焦ったようにそう言うが……、一度、沸点に到達してしまったわたしの感情はなかなか元に戻らない。
身体の奥から熱くなり、波打つような感情の渦が沸き起こる。
これだけ苛立ったのは久しぶり、と言うより記憶にある中では生まれて初めてのことだったかもしれない。
ああ、人間ってこんなに感情に支配されてしまう生き物なのだなと、わたしは場違いにもそんな感情すら抱いていた。
今ならわたしは、自分の視界に入るものを全て吹き飛ばしてしまうことができる気がする。
それだけ凄く怒っているはずなのに、全身から血が沸騰しそうな程だったのに、それと対照的に何故だか妙に頭の中が冷めていた。
いや、実際は全然、冷めていなかったのだと思う。
信じられないぐらいの激しい破壊衝動とドロドロとした陰鬱な気持ちに飲み込まれて、わたしは冷静な判断ができなくなっていたのだ。
「じゃあ、なんで……?」
「え?」
「なんで、こんなものをくれたの?」
九十九に自分の左手首にあるお守りを見せる。
ほんの数日前まで……、いや、つい先ほど、あの瞬間までとても大切な宝物だったコレが、一気にその魅力と価値を失った気がしていた。
ドロリとした黒い感情が、そのままお守りごとその左手首からわたしを飲み込んでいくような気がして、気持ちが悪くなる。
「なんでって……」
「嬉しかったのに……、ホントに、嬉しかったのに……」
九十九が何かを言いかけたが、下手な慰めなど欲しくはなかった。
そんなことを言い出すぐらいなら、始めからこんなものをくれなければ良かったのに。
こんな物があるから、半端に期待してしまったのだ。
こんな物があったから、誤解してしまったのだ。
その時に、「駄目だ」と止める冷静な自分が頭の中にいたのは間違いない。
だけど、それ以上の憎悪や嫌悪に近い感情が沸き立ち、衝動的な行動に結びつく。
強引に、お守りを手首から引き抜き、そして……、感情のまま、海に向かってぶん投げてやった。
尤も、あの海までは距離が遠いから、本当に届くことはない。
実際は、真下の森に落ちていくのが見えたけど……、そんなのはもう関係なかった。
要は、今、自分から引き剥がせれば良かったのだ。
それに纏わる甘い感情とともに。
「そうだね」
お守りが森に落ちていくのを見送ると、わたしはそう言って、キッと九十九を睨み付けた。
「わたしが、九十九のことを好きだって思ったことは単なる気の迷いだったみたいだ」
そこで……一息つく。
九十九の顔は見えない。
「好きじゃない。もう、大っ嫌いだ」
それだけ言って、歩き出した。
九十九は……、何も言わなかった。
何も、言ってくれなかった。
ただ一言くらい……、何か言って欲しかったのに。
そうすればきっと……、何かが違ったのに。
わたしは甘えていたのだ。
相手に感情を押し付けても仕方がないのに。
だけど、突然の衝動を制御できるほど、わたしは達観できていなかった。
だから……、、物に当たり散らすことで、気持ちを発散させたのだろう。
そうでもしなければ、耐えられなかったのだ。
「痛い……」
無理矢理お守りを引き抜いたせいで、左手首が酷く傷んだ。
でも、その時、細い鎖のお守りは千切れなかったのだ。
だから、わたしの手首の方が傷つき、血が滲んでいるようにも見えたが、今はその方が良かった。
これが、夢ではなく現実だと思えるから。
そして、こんな時、いつも治癒魔法を施してくれる少年は、今は近くにいない。
そのことでますます焦慮してしまう。
「痛い……」
手首よりもずっと胸の方が痛かった。
本当に馬鹿な話だと思う。
自分で口にして初めて……、九十九のことが好きだったことに気付いたなんて。
そして、自分も気付いたばかりの恋心を……、彼はあっさり否定してくれたのだった。
確かに……、わたしのことが好きではなかったとしても……、もっと言い方ってものがあるだろう。
だけど、彼は完全にわたしを突き放し……、いや、思いっきり突き飛ばしたのだ。
この時のわたしは、ひたすら彼を責める心しかなかった。
同じ年齢の少年に、そこまでの気遣いを求めるには、過剰な要望だというのに。
「痛い…………」
あちこちが痛くて、どこが一番痛いのかも分からなくなってきていた。
ただ、はっきりと分かっていることは、わたしの好きになった人があんなことをあっさりと言える人だったということだ。
それだけでも、深入りする前に気付いて良かったのではないだろうか。
わたしは無理矢理にでも、そう思い込もうとした。
「なんで……」
わたしのことを、好きでもないのに、あんなに優しくしてくれたのだろう。
―――― それは九十九の性格で……。
「なんで……」
好きじゃないのに構ったり、護ってくれたりするのだろう。
―――― それはお仕事だから。
「なんで……!」
好きでもないのに、わたしのこと、好きではなかったのに!!
わたしが勝手に空回っていただけの話。
彼は、ずっと口にしていたではないか。
「生きるための仕事だからわたしを守る」と。
そうでもなければ、命を救われたとは言っても10年間、幼馴染を探すことはしなかっただろう。
しかも見つけた相手は、彼のことなどすっかり全てを忘れて、幼馴染ですらなかった。
それでも、ずっと守って、尽くしてくれたのは、全て「お仕事」だったからなのに。
そのことを忘れていたわたしも相当、馬鹿だったとしか言いようがない。
だから、暫く、九十九の顔は見たくなかった。
彼のことを見られない。
見ることが出来ない。
あんなにはっきりとわたしの感情を拒絶されて、また笑って話すことなんてできやしない!!
だけどそれ以上に悔しかったのは……。
「なんで!?」
好きでいたくなければ、大嫌いになるしかない。
そうならなければいけないのに、なんでさっきからわたしは九十九のこと以外考えられないのか?
そんな自分勝手な感情を抱く。
我ながら、ある意味単純な話ではあった。
九十九のことしか考えられないとそう思ってはいたが、実際、彼のことよりも考えていたのは自分のことだけだった。
自分の心を守るだけで精いっぱいだったのである。
その時の彼の心境にまで思い至るほどの余裕があったならば、そもそもこんな衝動的な行動は起こしていない。
少女漫画のヒロイン願望に似た何か。
降って湧いたような悲劇に酔っていたわけではないのだが、それでも、わたしの中に「可哀そうな自分」という気持ちが少なからずあったことは否定しない。
だが、決して、忘れてはいけなかったのだ。
わたしは毎夜、悲劇に涙するお姫さまを否定するような女だったことを。
それなのに、今、そんな女になりつつある。
そして、もう一つ。
忘れてはいけなかったことがある。
それはあのお守りに込められた意味。
そこに甘い感情はなかったとしても、絶対に放り投げてはいけないものだったのだ。
それに気づいてかなり慌てることになるのはもう少しだけ先の話。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




