あの日、身に着けていた物
仮面舞踏会の日。
栞が身に着けていた服や装飾品は全て、行方が分からなくなってしまった。
あの日、準備した兄貴の召喚魔法にも反応がなく、探しようがなかったのだ。
消えた物の中で、特に御守りの消失が痛かった。
オレの魔力が込められた通信珠?
そんなものいくらでも新しい物が準備できる。
多少、高価であっても買えない物ではないのだから。
だが、栞の左手首に常時ついていた御守りだけはそんなに簡単に手に入るものではなかった。
大樹国家のクレスノダール王子殿下が自ら製作した金属で作られた鎖に、世界最高の法力使いである大神官が手ずから法力を込めた法珠がいくつも付いた、この世界に類を見ない御守りである。
どうしたものかと思っていたら、ソレらが何故か大神官の手元にあったのだ。
いや、なんとなく因果は分かる。
あの時、倒れた栞を連れ去った人間が、彼女が身に着けていたボールガウンや装飾品たちを持ち去った犯人でもある。
オレが見た時は、文字通り、栞は何も身に着けていなかったのだから。
だが、その犯人とこの大神官は複雑な関係にあったはずだ。
だから、この場にこれらがある理由が分からない。
しかも、昨日、兄貴が先にここに来ていたのだ。
その時に渡さず、今、オレに渡す理由も不明である。
「それらは、本日未明、私の寝所に届けられた物です」
「……なかなか大胆な侵入者ですね」
絶句するところだった。
普通に怖えよ!!
この方は、大神官だぞ!?
その寝所なんて、私室の中でも最も私的な場所だろう。
ただでさえ敵が多いため、常日頃から留守中も在室中も、結界が油断なく多重に張り巡らされているはずだし、この方に気付かれないように侵入する能力もおかしい。
しかも未明?
確か、深夜を過ぎて……、午前3時ぐらいだよな?
迷惑な話だ。
「ええ、かの者には距離も場所も関係ありませんから。一度、縁付けば、神の結界すらすり抜け、目的の魂の元まで移動することが可能です」
マジかよ。
どこにでも移動できることは分かっていたが、神の結界も通り抜けが可能とか、どれだけ規格外なんだ?
「それは、厄介ですね」
「はい。本当に厄介で人類を馬鹿にした存在です」
その表情はほとんど変わらないが、口から出てくる声が、少しずついつもよりも低く響き、冷たさと重さを増していく。
オレが悪いわけではないのに、怒られているような気になるのは何故だろう?
そして、大神官もちゃんと人間だったようだ。
「女性が身に着けた物全てを、本人以外の……、しかも男の私に送り付けてくる思考が理解できません」
それは……、確かに……。
しかも、御守りがなければ、栞の物だってことも確信できなかっただろう。
大神官はあの仮面舞踏会の栞の装いを知らないのだから。
しかし、全て……、か。
つまり、その厳重に封印されているのは、補整用装具を含めた下着類だということが分かった。
長手袋と仮面は、ボールガウンの箱に入っていなかったから、こちらに纏めて突っ込まれているのかもしれない。
「私は気にしませんが、女性である栞さんは気にされることでしょう」
……気にしないのか。
いや、確かに女物の下着を見て慌てる大神官を想像できない。
いつものように無表情で、てきぱきと仕分けしそうな気がする。
オレだったら……、多分、見たら焦るかもしれないが、そこまで慌てるほどでもない気もする。
それをラッキーだと思うほど軽くもないが、本人が身に着けていない状態の下着など、ただの布だ。
実際、手にしたら、別の感情が湧くかもしれないが、それが欲情の対象になるかと問われたら、下着そのものよりも、それを身に着けた本人を思い浮かべる方が良くないか? ……と、思ってしまう。
だが、確かに栞の方が気にすることだろう。
下着どころか、脱いだ服をオレが「洗浄魔法を使うから出せ」と言っただけで、始めは本気で嫌がられた覚えがある。
洗浄用の袋を用意し、その日着ていた服を突っ込んで、その中身を見ずに洗浄魔法を使うことでようやく、了承が得られたのだ。
それを思い出す限り、大神官の懸念は正しいだろう。
「尚、その白い箱については、栞さん以外が鍵や箱の蓋に触れると、一度目は静電気のような感覚が、二度目以降は死なない程度に感電するようになっておりますので、ご注意ください」
「承知しました」
この方が言う死なない程度とはどれぐらいだろうか?
そして、栞以外が開けることができないように設定されているのなら、オレや兄貴は開けようとするなということだろう。
まあ、この方が栞を害することなんて考えられないから、オレたちが開けて先に中身を確認する必要はないとは思うけれど。
だが、モノがモノだけに目の前で開けさせることもできないな。
どこでこの箱を開けるかは、栞の判断に任せよう。
これについては兄貴も反対はしないだろう。
そんなことを考えながら、オレは渡された箱たちを全て収納していく。
確認した限り、御守りにはまた白い輝きを持つ法珠が10個も付いていた。
新たに付けてくれたのだろう。
あの時、栞は御守りに込められていた法力を使ったから、空になっていたはずだ。
自分の魔法力を全て使い、法珠の中身を空にした上で、自分の魂も上乗せして……、それでも、ヤツの身体に入っている神を意識とやらを完全に封じることはできなかったということになる。
どれだけ、神という存在は出鱈目なのか。
栞も十分、規格外の存在だが、それでも人類であることに変わりはない。
関わらせない?
それはもう無理だ。
ガッツリ関わってしまっている。
その上、栞は、あの紅い髪をなんとかして助けたいという思いがある。
その感情は理屈ではない。
異性間の愛情とは違う何か。
そこにあるのは似た者同士、仲間意識、同族感覚なのだと思う。
栞は生まれる前から神の執心とやらを宿していて、あの紅い髪は事故に近い形でその身に神の意識を宿すことになってしまった。
過程は違うけれど、あの二人は似ているのだ。
だから、栞は見捨てられない。
どんな状態になっても、あの男を切り捨てることはしないだろう。
そこに複雑な思いはある。
愛情は芽吹き、育つものだ。
それはオレ自身がよく知っている。
だから、今後、変化しないとは言い切れないのだ。
特に紅い髪の方は分かりやすく、栞に愛情を持っているのだから。
ああ、くそ!!
栞の夢で会った時、引き剥がすためのラリアットの一発だけでなく、もっと顔面を殴りつけてやれば良かった。
あんな機会は二度とないだろう。
そう思ってしまうほどに、オレの心は狭いのだ。
「さて、そろそろよろしいでしょうか?」
箱たちを収納し終わった後、少しの時間をおいて、大神官はそう声を掛けてきた。
オレの精神が落ち着いていなかったためだろう。
ちょっと申し訳ない。
「はい、もう大丈夫です。お気遣いいただき、ありがとうございます」
そう言いながら、大神官に向き直る。
神が作ったとも言われる美貌は、いつ見ても翳ることがない。
連日の仕事に加え、割と頻繁に報告される「聖女の卵」のやらかし、王女殿下の我儘に振り回されているというのに、それを感じさせない表情。
心底、尊敬する。
「まずは、呼び立てたことをお詫びいたします」
そう言って、大神官はオレにまた頭を下げた。
先ほどは自国の王族の不始末の詫び。
今度は、大神官本人からの詫びである。
重さが全く違う。
「いいえ。必要なことなのでしょう?」
「はい。その通りです」
昨日は兄貴がこの大聖堂に来た。
集団熱狂暴走の話の前に、様々なことを告げられたが、中でも衝撃的なことが伝えられたのだ。
それが良いことか、悪いことかの判断が難しい。
栞を守る手段が増えたのか。
危険に晒す機会が増えたのか。
それが、オレたちにも分からないから。
だが、大神官が気付かなければ、オレたち自身は全く自覚がなかったことだろう。
それだけ凡人には、気付きにくいことだったから。
「貴方と雄也さん、そして、リヒトに神力の気配があります」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




