話をする前に
「我が国の王女が、大変なご無礼を致しました」
そう言いながら、大神官は頭を下げる。
「いいえ、気にしておりません」
いつもの悪ふざけの延長だ。
本当にオレは気にしていない。
だが、大神官の方がそうはいかないらしい。
「まさか、九十九さんを辱める行為を平気で行うなど、思いもしませんでした」
そこまで大袈裟な行為をされた覚えはない。
だが、この方は大神官だ。
そして、神官という職業についているためか、妙に潔癖な部分もある。
あの程度の行為でも許せないのかもしれない。
しかも、それをやっていたのが自国の王族であり、好きな女でもあるのだ。
そのショックは凡人のオレには計り知れないものだろう。
そんなこの方が、クレスノダール王子殿下と共に、人間界で生活していたなんて、栞から聞いても信じられない。
いや、精霊族の術によって、映像だけだが栞の過去に登場していたために、信じざるを得ないのだが。
「私の方は本当に気にしておりませんから、大神官猊下がそこまで頭を下げる必要などございません」
寧ろ、本人が頭を下げるべきだっただろう。
あの女。
結局、最後まで謝ってねえし!!
でも、気まずそうにしていた。
だから、罪悪感はあったのだと思う。
「九十九さんと栞さんは、姫に甘すぎます。これまでされてきたことを思えば、貴方方は、もう少し姫に憤るべきです」
そうは言われてもな~。
そこまで酷いことはされていないし、無理なもの、嫌なことを強制されているわけでもない。
オレは本当に気にしていないし、多分、栞も気にしていないと思う。
寧ろ、栞は楽しんでいると思っている。
それに、気兼ねなく付き合える友人は、栞にとっては大事だとも思っている。
そして、若宮にとっても。
栞の側に水尾さんや真央さんはいてくれるけれど、彼女たちは栞にとって「先輩」という目上の人間である意識が拭えない。
だから、若宮の存在は栞にとっても貴重なのだ。
「確かに今回はいつもよりも悪ふざけが過ぎたとは思います。しかし、先ほどの表情を見た限り反省はされていると感じました」
若宮から悪戯直後に顔を逸らされるのはかなり珍しい。
それに、大神官が連れ出すまでは少しだけ大人しかった。
少しだけ。
「あれは反省というよりも……」
大神官は口元に手を当てて考え込み……。
「いえ、九十九さんが気にされていないのなら、良いのです」
そう言いながら、微笑んだ。
「それでも、ケルナスミーヤ王女殿下を指導する者という立場上、あの方に向かって九十九さんに対する態度に対する問題点を指摘することはお許しください」
「それは、存分にお願いいたします」
大神官はあの王女の教師でもある。
それも、勉学というよりも、作法の。
異性間の指導というのは、このストレリチアでもかなり珍しいのだが、栞と再会する前の若宮は、ストレスからか数々の指導者を辞めさせていた。
最終的に残ったのが、この大神官というだけだ。
尤も、栞は「ワカは意味なく辞めさせるなんてことはしないだろうから、何か事情があると思うよ」と言っていた。
実際、兄貴が調べたところ、法力国家なのに法力を使うことができない魔力だけの王女だと、若宮を見下す言動が目立つ指導者ばかりだったためらしい。
相手は王族だ。
思うところはあっても、それに対する敬意を忘れるなど、それこそ礼儀に反するだろうに。
「栞さんにも、今回のことはお伝えください」
「? ……と、言いますと?」
大神官の言葉の真意を掴みかねて、思わず問い返していた。
「先ほどの王女殿下の行いを包み隠さず伝えておかなければ、後でそれを利用して貴方のご主人に迷惑をかける恐れがあります」
「確かに」
あの女は不吉な予言もしていたからな。
今回のことを変な形で栞に伝えることは否定できない。
可能性として考えられるのは、「笹さんと帯回しをした」とそのまま伝えることだろう。
それも、配役の方は告げずに。
嘘は吐いていない。
だが、本当のことは隠す。
若宮の栞に対する常套手段だ。
栞は若宮の嘘や芝居を見抜くが、言葉巧みに誘導されてしまうところもある。
この点は、若宮がそう調教……いや、教育してきたのだろう。
あの女は栞を可愛がるために、手段を選ばないところがあるからな。
「承知しました。主人に必ず伝えます」
オレがそう言うと……。
「そこで、全く迷わないところが、九十九さんの美徳ですね」
大神官はそう返す。
迷う?
今の話のどこに迷う要素があったのだろうか?
「人間界の空気を感じる機会があれば、できるだけ呼べとケルナスミーヤ王女殿下より申し付けられているのです。また飛び出されるよりは……と、思って承諾したのですが……」
「それは、兄からも伺っております」
若宮は、大神官がいない時期に兄王子の隙を突き、人間界へ許可も取らずに勝手に行ったという前科がある。
しかも、栞と再会するまでは何度も城から脱走を企てて、それを実行しているのだ。
その時点で、普通なら信用はない。
尤も、その心配はもう杞憂だと、若宮を知る人間は思っているだろう。
グラナディーン王子殿下の婚約者が常に同じ城内にいて、その上、栞もこの世界にいる。
一度、手にした物を捨ててまで、人間界に行くとは思えない。
栞がこの世界の住人だと知って、即、人間界から戻ることを決めたような女だから。
それでも、「人間界の空気を感じる機会があれば呼べ」というのは、栞やオレたちに会う口実だろう。
あの王女殿下は本当に素直だけど、素直じゃないから。
一言、「会いたい」と言ってくれたなら、栞は余程の事情がない限り、若宮に会おうとするだろう。
あの二人は互いを思い合う、本当に両思いなのだ。
……複雑だが。
「さて、九十九さんからの報告書を読ませていただく前に、貴方方にお渡ししたい物があります」
そう言いながら、大神官は妙に大きい箱と、鍵付きの箱と、いくつかの小箱をオレに差し出す。
「拝見します」
なんだろう?
大きい箱は服……、ドレスや、鎧が入りそうなサイズだ。
だが、この重さでは鎧ってことはないだろう。
そうなると、また栞に「聖女の卵」の神子装束の贈り物でもあったか?
今も、大聖堂にかなりの量の贈呈品が届いていることは知っている。
「導きの聖女の卵」は、ほとんど顔を出すこともないのに、ストレリチア国内にいる神官たちから面会要請が後を絶たないのだ。
ただ一度だけ、ストレリチア城門で「導きの女神」の神降ろしをしてしまった「聖女の卵」の姿を見る機会は、不定期に儀式に色を添えるための神舞を踊る時と、定期的に肖像画が売りに出される時ぐらいしかない。
だが、「聖女の卵」への贈呈品は、一部を除いて、栞の手に渡ることはなかった。
目の前の御仁が、そこに込められた下心まで見抜いてしまうことが理由だろう。
今差し出された幾つかの小箱には、魔石や装飾品のような物が入っているようだ。
重さや、箱の中の動きと音から、そんな感じだった。
だが、この鍵付きの箱……。
これは、なんとなく開けては……、いや、下手に触れることすら許されない気配がひしひしと伝わってくる。
これは……なんだ?
何を封印している?
オレが戸惑っていると……。
「まず、その一番大きな箱から、ご確認ください」
そう言われたので、箱の蓋を開ける。
「これ……は……」
思わず、動きが止まり言葉を失ってしまう。
中に納まっていたのは、見覚えのあるドレスだったから。
あの日……、仮面舞踏会で栞が着ていたボールガウンだ。
兄貴が見立てたやつだった。
悔しいが、栞によく似合っていたし、それに合わせた髪や化粧も流石としか言いようがなかった。
白い飾り気がなさすぎる仮面がそれを台無しにしていた感はあるが、変に着飾って、また厄介な男たちを引き寄せても困るから、あれは仕方がない。
寧ろ、あれで良かった。
一部の人間しか、栞の正体に気付かなかったようだから。
「九十九さんがお仕えしている方の所有物でお間違いありませんか?」
「はい」
間違えようがないだろう。
あれから何日も経っているためか、このボールガウンから栞の気配は既に消えていた。
着ている時間も短かったしな。
「次はこちらを……」
そう言って勧められたのは複数の小箱。
「あ……」
栞が気にしていた御守りや二種類の通信珠、そして……3つ魔力珠が付いたヘアーカフスと、赤み掛かった魔力珠。
あの夜の栞は、通信珠と御守りだけでなく、魔力珠たちも身に着けていたらしい。
魔力珠のヘアーカフスと赤い魔力珠はそれぞれ別々の小さな袋に入っていた。
そして、それ以外の装飾品。
これらには小さいながらも身を守るために純度の高い魔石が付いていたはずだ。
だが、そのほとんどは魔石の効果が落ちていた。
特に抑制石は全てひび割れている。
どんなに質の良い魔石を身に着けていても、あんな事態には耐えられないらしい。
つくづく、オレたちの主人は規格外だと思う。
「兄にも確認しますが、恐らく、これで全てだと思います」
魔石については、正確な数を把握しているのは兄貴だ。
装飾品はともかく、オレは兄貴が準備したボールガウンの裏側に縫い込んである制御石の数までは確認していない。
だが、気になることがある。
この大神官は一体、どこでこれらの物を手に入れたのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




