幼馴染の務め
「リアは……、この書簡をシオリに渡して良いと本当に思うか?」
呆れるほど分厚い封書を持ちながら、俺は幼馴染に確認する。
「うん」
いつもと違う髪の色と瞳の色を纏った幼馴染は、迷いもなく笑顔で頷いた。
「リアの言うことが理解できないわけではない。確かに王命を遂行するためには私情を殺すこともあるだろう。だが、そのためにアーキスの選んだ手段は、シオリに対する配慮が全くないと思う」
恐らく、ここに書かれているのは、その言い訳だろう。
そうと分かっていて、これをあの娘に渡して良いものか迷ってしまう。
「トルクらしくない。他者の色恋に首を突っ込んでも碌な結果にはならないってことは分かっているでしょう?」
「それは勿論、分かっているのだが……」
明らかに悪い方向へ向かうと分かっているのに、それを推し進めたくもないという気持ちが強いのだ。
何より、あの娘と従甥の縁を取り持ったのは自分である。
ロットベルク家からの要請であり、アルトリナ叔母上からの頼みでもあった。
三年前、婚約を解消し、その後、国内では新たな相手が見つからなかった従甥。
だから、自分が知る限り、最高の女性を連れてきたつもりだった。
それなのに、当の本人である従甥の方が何度もあの娘に対して不義理を行っている。
本当に申し訳ない話だ。
いや、あの娘にとってはその方が都合は良いのか。
自分に興味を持たれない方が安心できる。
この話は、彼女にとって、身を守るための契約に過ぎないのだから。
だが、厄介なのは、あの従甥はあの娘に興味がないわけではない点だ。
本当に何の関心もなければ、あそこまで気に掛けないし、あんなに彼女のために動かないだろうし、こんなに嫌がらせのような厚さの書類を送りつけようなんてことは考えないと思う。
今回のことに対する言い訳だけでここまで分厚くはならないだろう。
だが、逆に、神官たちが書く文章のように彼女への美辞麗句を並べているとも思えない。
本当に、一体、何を書いたんだか……。
「なるようにしかならないのだから、もう少しだけ見守っていたら? あの二人に縁があるならば、これぐらいで壊れないでしょう」
どこか楽観的なことを口にするリア。
「何より、変に取り繕っても、結局、同じことが何回も繰り返されるだけで何も変わらないよ。高田の婚約者候補くんは、他者に対する配慮に慣れていない子っぽいからね」
そう言いながら、くすくすと笑う。
この幼馴染にとっては、従甥の女性に対する配慮がない部分すら楽しいらしい。
だが、俺が同じことをすれば、確実に最近お気に入りの武器で、叩かれるだろうと思っている。
リアは気まぐれだから。
そして、特に俺に対しての判定が厳しいから。
だが、ユーヤには甘い気が……と思いかけて、あの男が女性に対して配慮しない図というのが想像できなかった。
男の俺の目から見ても、気持ちが悪いほど、女性を気遣う男。
そして、俺は想像の中ですら、そんなあの男に勝つことができないらしい。
だが、今はあの男について考えても仕方がない。
「それでも、そのたびにシオリが傷つかないわけではないだろう?」
アーキスがシオリに向けた最初の言葉も、今回のことも、女性にとっては侮辱に他ならないと思っている。
俺ですらそう思ってしまうようなことだ。
だから、それを無視して良い結果に繋がる気はしなかった。
「どうだろう? あの娘の方に好意があればともかく、なんとも思っていない相手から何を言われても傷付かないと思うよ?」
「はっきり言うなあ……」
確かにあの娘は従甥に対して好意を抱いている様子はない。
それはそれで複雑である。
彼女の側にいる男の水準が高すぎるのが問題なのだ。
しかも、それが二人もいる。
その時点で、あの娘が異性に求めるモノも高くなることだろう。
ある意味、従甥が気の毒ではある。
俺もあの男たちと真っ向勝負をしても、勝てる気がしない。
特に兄の方が厄介だ。
奴らに高い身分というものが備わっていなかったことは、本当に良かっただろう。
「それにシオリが気にしなくても奴らがキレると思うぞ」
「そうかな? ユーヤは苦々しい顔をするだろうけど、キレるようなことはないだろうし、九十九くんは案外、平気な顔をしていると思うよ? 二人のその顔を見ることができないのが残念だよね?」
そして、またリアは笑う。
「何がそんなにおかしい?」
「ん~? あんないい男が二人して、高田に振り回されている所? 全く、罪作りな後輩だよね」
「それのどこが楽しいのだ?」
残念ながら、共感はできない。
誰も幸せになれないと思っているから。
「トルクには分からないから良いんだよ」
ますます分からない。
何かはぐらかされているような気もする。
だが、恐らくこれ以上のことはリアも話す気はないのだろう。
それもいつものことだ。
そして、俺がこれ以上踏み込まないことも。
「そんなことよりも、イズミラルを怒らないでね?」
不意に、リアが俺の服を握った。
この幼馴染たちは、俺に何かを願う時、何故か服を握る癖がある。
恐らくは無意識なのだろう。
「イズミラルを怒る? 何故だ?」
「あの精霊族が来たことを、私に伝えたから」
「ああ、あれか……」
確かに余計なことを……と思った。
ユーヤから貰ったのはあの精霊族の情報だった。
相手を煽るような、神経を逆撫でるような揶揄いを好むところがある……と。
だが、先ほどの様子を見ているとどうもそうは見えなかった。
少なくとも、リアに対して何かをするということはないだろう。
ルカに対しては分からないが。
「私が頼んでいたの。もし、来ることが会ったら教えてって」
そう言いながら、リアは俺から目を逸らす。
「そうなのか?」
驚いて俺が確認すると、リアは肩を少しだけ震わせて、下を向いたまま……。
「その……、前々から高田の婚約者候補殿の従僕が精霊族……、それも水鏡族だって聞いていたし、それに、今日、会ったユーヤが、その……、あの子がアリッサムの実験動物だったって言っていたから、私が知っている精霊族かもしれないと思って……」
途切れがちに言葉を紡ぐ。
「いや、事情が分かったから、何も問題ない」
仲間意識のようなものだろう。
このリアは、故国でルカとは別種の虐待を受けていた。
その原因となった男は既にいないが、死んだという話を聞いたわけでもない。
いや、ルカの話ではまだ生きていると思っている。
正直なところ、生きていて欲しいと願っているところだ。
それならば、俺の手で始末ができるから。
魔法国家の王配相手に俺の魔法では話にならないだろうが、幸い、自分は機械国家の王族である。
魔法使いを無力化すること自体はできなくもない。
まあ、あの知恵者の手も借りることになるとは思うが、楽に死なせてやる気などなかった。
それだけのことをしてきた男だ。
仮令、リアとルカが止めても、俺は必ず、この手で息の根を止めてやる。
そして、それはあの精霊族も同じらしい。
実験動物。
それは魔法国家アリッサムで行われてきた、悍ましき実験の結果生まれた存在である。
尤も、我がカルセオラリアでも兄が似たようなことを行っていたのだから、なんとも言えないのだが。
今にして思えば、リアが兄のしていることを止めようともせず、黙認どころか協力までしてしまったのは、このアリッサムでの扱いに原因がある気がしてならない。
落ち着いていて、物事をどこか俯瞰的に捉え、自身のことでも他人事のような言動をする癖がある幼馴染。
「ただ、イズミラルに頼む前に、先に俺を頼れ。仲間外れは嫌だ」
「嫌だ……って……。トルク、なんだか子供みたいだよ?」
そう言って、クスクスと笑う。
リアは、カルセオラリアにいた頃よりもずっと笑うようになっている。
小さなことでも本当に楽しいらしい。
「俺は子供で良いんだよ」
だから、俺は敢えて言う。
「その分、俺よりももっと大人なリアとルカが支えてくれるだろう?」
そんな俺の言葉に対して……。
「トルクは本当に他力本願だなあ……」
リアは困ったように笑った。
いつもと違う髪と瞳の色。
でも、その表情は変わらない。
そんな幼馴染がようやく、些細なことでも笑えるようになったのだ。
だから、俺はそれを守ろう。
それが、幼馴染の務めだよな?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




