微かなざわめき
「今の姿?」
「駄目だ」
試しに、マオリア王女殿下の今の姿を見たいと一応、言ってみたが、駄目だった。
本人ではなく、トルクスタン王子殿下が断る所は納得できないが、理解はできる。
人類は本当に心が狭い。
別に邪な意思があるわけではないのだから、良いと思うのだが。
「ごめんね~。今の飼い主が駄目だって言うから、駄目らしいよ」
「俺はリアを飼っているわけではない」
どこか険のある言葉を返すトルクスタン王子殿下。
「似たようなものでしょう?」
だが、マオリア王女殿下は気にした様子もなくそう答える。
この王子殿下は、マオリア王女殿下が魔法国家アリッサムでどんな扱いを受けてきたか、その全てではなくても知っている。
だから、似たような扱いを受けてきた自分を警戒するのも分かるのだ。
そこに潜む危険性も。
正直、マオリア王女殿下と対面して、こんな気持ちになるのも自分にとっては予想外のことでもある。
あの男の血が流れているだけで、全てが憎いと思っていたが、マオリア王女殿下に対しては同族意識の方が強かったようだ。
いや、これは別の感情か。
マオリア王女殿下と自分の扱いと立場は随分、違うものだった。
だから、羨むことはあっても、人類の王族なのにいい気味だと思ったことはあっても、同じモノだと思ったことは一度もない。
自分がマオリア王女殿下に対して、あの男の娘だと分かっていても少しはマシな感情を向けられるのは、やはり、解放してくれた恩があるからだろう。
そして、主人たちとの生活で、あの頃の感情が少し薄れたこともあるかもしれない。
それでも、蟠りに似た何かが、今も、この胸に残っているのは事実だが。
「それで、トルクは何をそんなに憤っていたの?」
マオリア王女殿下はそこを知らずに来たらしい。
「読め。そして、一緒に怒れ」
「内容によるかな~」
不機嫌なままトルクスタン王子殿下が差し出した書簡を、マオリア王女殿下も読み始めた。
恐らく、女性の方が怒る内容だろう。
トルクスタン王子殿下が言うように馬鹿にしたと受け止められてもおかしくはない。
「ルカの同行はオッケーか。良かった、良かった。ルカも喜ぶね」
「まあな」
その辺りは良いのだ。
問題は、それ以降の話である。
「おや?」
マオリア王女殿下の視線が止まって、戻って……。
「ああ、なるほどね」
何故か、笑った。
「セヴェロ。ここに書かれているのって……、私はこう記憶しているんだけど、それで間違いない?」
そう言うと同時に、強い思念が届く。
これまで完全に防御されていたのに、いきなり強い言葉が流れ込んできて、一瞬だけ眩暈がした。
「あれ? 強すぎた?」
『大丈夫です』
頭を押さえながらそう答える。
先ほど流れ込んできたのは、負の感情ではない。
単に事実確認の言葉。
だが、強い声だった。
このマオリア王女殿下は思念すら操るらしい。
「それで? 答えは?」
『御明察の通りです』
そう答えると、マオリア王女殿下は満足そうに頷いた。
「リアは怒らないのか? こんなにシオリ嬢を馬鹿にした話があるか!?」
「ん~? 別に、馬鹿にしているわけじゃないと思うよ。婚約者ではなく、候補の段階だから自覚が薄いのも当然だろうし、相手に対する配慮が足りないのは仕方ない。それに、何より、私情を殺しての王命優先は貴族子息として当然の責務だと思うよ?」
怒りを隠そうともしないトルクスタン王子殿下に対し、マオリア王女殿下はあっさりとそう答えた。
「王命である以上、それを受けた王侯貴族は当主からその子女、一族に至るまで全力を尽くすことが当然でしょう? それが分からないのは、トルクは命令を出す側であって、理不尽すぎる王命を受けたことが一度もないってことかな」
マオリア王女殿下の言葉に、トルクスタン王子殿下は目を見開いた。
確かに男女のことだけを見れば、主人の行動は良くないと見るだろう。
だが、貴族子息としての立場からならば、間違ってはいない。
本人だって、これまでずっと一切を拒絶していたのに、自分では無理だと判断したら、すぐに切り替えた。
そこに葛藤がなかったはずはないのに。
「何よりも、その行為を馬鹿にしているかどうかを判断するのはシオリであって、トルクじゃないんだよ。だから、トルクやそれ以外の人間たちが憤るのはお門違い、余計なお世話ってやつじゃないかな?」
マオリア王女殿下はそう言い切った。
「それに、シオリのことはちゃんと大事にしようとしている。だからこそ、その分厚い封書なんでしょう?」
そして、トルクスタン王子殿下が横に置いていた封書を指差す。
「これがシオリ宛だと何故分かった?」
「え? あ? ああ、そっか。トルクには読めないんだね?」
マオリア王女殿下は困ったように笑った。
王族であるトルクスタン王子殿下には読めなかったのなら、その文字は、一体、どこの国の文字なのか?
「これは日本という国で使われていた文字だよ。日本語って言うんだ」
そのマオリア王女殿下に浮かんだ表情に既視感を覚える。
主人も時々、同じような顔をするから。
もう二度と戻れない日々。
それを思い出すかのような切なげな表情を。
『ニンゲンカイの文字ということですね?』
「うん。そう」
隠すことなくマオリア王女殿下は答えた。
いや、隠すほどのことでもないのだろう。
マオリア王女殿下がニンゲンカイへ行っていたことは、主人だって知っていたことだ。
尤も、まだ生きていて、こんな所で笑っているなんて、一部の人間以外、主人も含めて誰も知らないことなのだろうけど。
「ニンゲンカイの文字だったのか? だが、これは……絵? いや、図か?」
「文字だと言っているのに、何故、絵や図だと思うの?」
トルクスタン王子殿下の言葉に呆れながらもちゃんと答えているところは優しいと思う。
「だが、こんな文字はないだろう? 四角が並べられているし、妙に線が多い。これなんかIかTに余計な線がいくつもくっ付いている」
「理解できないなら、文句を言わずに分からないと、素直にそう言いなさい。読めなくても、この世界では何の支障も言語だよ」
さらに何かを言おうとするトルクスタン王子殿下に対して、マオリア王女殿下はぴしゃりと言い切った。
「一度、覚えると凄く面白い言語なんだけどね」
そして、少しだけ淋し気な顔をする。
「いや、覚える!!」
それを見たトルクスタン王子殿下は勢いよくそう言う。
「トルクは日本語よりも、まず、シルヴァーレン大陸言語とグランフィルト大陸言語をもっとしっかりと覚えることが先だね」
だが、マオリア王女殿下はあっさりとそう返した。
「ぐっ!?」
どうやら、トルクスタン王子殿下はその二つの大陸言語が苦手なようだ。
漂ってくる雰囲気と流れ込んでくる心の声もそう言っていた。
それ以外の大陸言語を覚えているならそれで良いと思うが、それは貴族子息の話であり、王族はそうではないらしい。
考えてみれば当然だ。
王族は自国以外も気に掛ける必要がある。
それが中心国ならば、尚のことだ。
自大陸だけでなく、他大陸のことも学ばなければ侮られるだろう。
そのことを、この国の王族たちは一体、どれだけ意識していることか。
他大陸言語を意欲的に学んでいるのは、第二王子殿下と第五王子殿下、第二王女殿下か。
偶然かもしれないが、そのどれもがニンゲンカイへ行った者たちばかりである。
それだけの意識を持つことができる世界らしい。
「セヴェロ」
『はい』
トルクスタン王子殿下が自分の名を呼んだ。
そこに先ほどまでの緊張感は無くなっている。
「アーキスフィーロからの書簡、確かに預かった。それぞれに渡すので、安心するように伝えてくれ」
『承知しました。必ずや、主人にお伝え致しましょう』
ようやく解放される。
素直にそう思えた。
胸にまだ微かな騒めきがある。
それは気のせいだ。
「またね、セヴェロ」
『はい。またお目にかかる機会があれば幸甚に存じます』
そんな機会に恵まれるはずがない。
恐らくはトルクスタン王子殿下に阻まれるだろう。
万一、許されたとしても、当然、今回のようにトルクスタン王子殿下が立ち会うのだから、どうしても、気を遣った話となってしまう。
だけど、笑顔で手を振ってくれるマオリア王女殿下を見ると、主人がまた用事を押し付けてくれないかなと思ってしまうのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




