あの日、あの時、あの場所で
「もう一度、問う」
目の前にいる琥珀色の瞳を持つ王族は……。
「アーキスフィーロは、シオリ嬢を馬鹿にしているということか?」
主人に仕えているだけの哀れな精霊族に向けてそう威圧した。
『主人にその気はないと答えさせていただきます』
それは本当だ。
あの主人にそんなつもりはないだろう。
「ふざけるな!!」
さらに激昂する王族。
それでも魔力の暴走を起こす様子はなかった。
感情に振り回されていても、その魔力は揺らがない。
それを抑えるだけの器と精神力を持っているのだと思った。
同時に主人の未熟さも理解するのだが。
だが、これはどうしたものか?
このままでは良くない。
それが分かっていても、自分には止める術がなかった。
打つ手なし。
そんな時だった。
スッパーン!!
軽いが鋭く空気を裂くような音が響く。
「はい、トルクスタン王子殿下。落ち着かれますよう、お願いします」
そこに現れたのは、長い葡萄茶色の髪、緑の瞳を持ち、眼鏡を掛けた女性だった。
それも、気配もなくトルクスタン王子殿下の背後に忍び寄り、不思議な武器を手に思いっきりその後頭部をフルスイングしたのである。
それを止めることは、部外者である自分にはできなかった。
王子殿下が凶器で攻撃される瞬間を見ておきながら、声を出すことすら許されなかったのだ。
「どうしました? 使者殿を驚かせるなど、貴方らしくありませんよ?」
穏やかではあるが、そこには反論を許さない強さと冷たさがあった。
凛としたその姿は珍妙な武器を持っていても、その姿が偽りのものであっても、尚、美しい。
アリッサムの第二王女マオリア=ラスエル=アリッサム殿下。
近くでその御姿を拝見するのは、もう三年を超えているか。
残念ながら、本当の姿ではないが、そこは問題ではない。
自分にとって何度殺しても足りないあの男の血を引く娘でありながら、唯一、その煮え滾る怒りを向けられない相手。
そのマオリア王女殿下はトルクスタン王子殿下の怒りを一瞬で鎮圧した。
「リア……。お前……」
「ごめんなさい、トルクスタン王子殿下。噂の従僕が来ていると聞いたから、思わず出てきてしまいました」
噂の?
「誰が、お前に告げ口をした?」
「イズミラル」
「あの男は本当に、お前たち双子に甘い!! 俺の意見よりお前の意向を重視するってどういうことだ!?」
主人としての格の違いだろう。
そう言いたかったが黙っていた。
その男がどんなつもりで、マオリア王女殿下に告げたのかは分からない。
だが、この様子から、マオリア王女殿下は自分と会いたかったのかと理解した。
「さて、初めまして。御使者殿。主人の無礼を深くお詫び致します」
そう言いながら、頭を下げる。
「リア!!」
「トルクスタン王子殿下が驚かせるからでしょう? ほら、御使者殿の顔色がこんなにも悪くなっているじゃないですか」
顔色が悪くなっているのはトルクスタン王子殿下のせいだけではない。
会うかもしれない。
そう思ってもいたが、本当に会えるとは思っていなかった相手だから。
『初めまして、美しい御令嬢。こちらこそ、トルクスタン王子殿下に対して、ご無礼をしたようで申し訳ございません』
そう言って、頭を下げる。
顔は見たくなかった。
「手紙一つで感情を揺らしたのは、トルクスタン王子殿下の方です。使いである貴方には何の非はございません。それよりも、貴方のお名前をお聞かせ願えますか?」
『セヴェロ……と申します』
「そう。いい名前を貰えたんだね、実験動物2008号」
『――――っ!?』
まさか、そこまで気付かれていたとは思わなかった。
いや、それ以上に覚えていてくれるとも思っていなかった。
あの時の自分とは、姿どころか気配すら違うのに。
『はい、ありがたいことです』
自分は精霊族だ。
人類とは精神の在り方が違う。
だが、生まれてからずっと人類の側にいたせいか、人間臭い部分は少なからずあると気付いていた。
それが、こんな所で湧き起こるなんて……。
それは、なんて、無駄な感情、なのだろうか。
「貴方以外に逃げ延びた者は?」
『分かりません』
反射的に答えてしまう。
そんな声も震えそうになっていた。
これすらも、人間臭い感情でしかない。
「そう。解放が遅くて、ごめんなさいね」
『いいえ。貴女以外にはあの場所に来なかった。貴女がいなければ、私もあの場に残され、逃げることもできないままだったことでしょう』
あの襲撃の日。
自分たちの部屋には誰も来なかった。
知っている人間が少なかったのだ。
だから、それは仕方がないことだと今なら分かる。
魔法国家アリッサムが人工的に精霊族や魔獣を創り出しているなど、他国だけでなく自国でも知られてはいけない話だった。
もしかしたら、ついでに処分するつもりで放置されていたのかもしれない。
だけど、この王女殿下は供も付けず、たった一人であの部屋に来て、同じく「実験動物」と呼ばれた悍ましい存在たちが囚われていた檻の鍵を全て解除した。
そんなことをすれば、国が荒れると知りながら、マオリア王女殿下は、それでもその行動を選んでくれたのだ。
尤も、それが露見することもなかったようだ。
捉えられていた実験動物たちは全ていなくなり、その檻があったアリッサムは消滅したのだから。
自分も危険だったのに、あの檻を解除しに来た第二王女殿下。
その行動にどんな意味があったかは分からない。
同情か。
憐れみか。
だが、はっきりと言えることは……。
『あの日の貴女の行動によって私は生かされました。既に主人がある身であるため、恩人である貴女にお仕えすることができない非礼をお許しください』
あの日、主人に命を救われた。
あの場で契約しなければ、生命力が尽きていたことだろう。
「いいよ。仕えられても報いることができない。今の私自身、庇護してくれる者がいなければ生活できない身だからね」
そう言って、トルクスタン王子殿下を見る。
トルクスタン王子殿下は不服そうな顔ではあるが、黙って見守ってくれていた。
「それに、善意から貴方たちを助けたわけではない。アレらが他国の者たちに見つかれば、国として危ういでしょう? そう思ったから咄嗟に逃がしただけだよ」
それは王族としての本心なのだろう。
だが……。
『相変わらず、嘘がヘタだな。被験者38号』
こちらとしてはそう言いたかった。
「おや? 懐かしい響き」
「リア? 今のは?」
どうやら、トルクスタン王子殿下はその言葉を知らなかったらしい。
「ん~? アリッサムでの私の呼び名、その2? 被験者って意味だよ」
あの国はとんでもない国だった。
自国の王族ですら、探究のために犠牲にできるような国。
だから、余計に憎みたくなるのだろう。
もうあの国はないのに。
「なっ!? それは……」
「過去のことだよ。大したことじゃない。それに、ユーヤも知っていることだからね」
ユーヤ。
それはあの聖女の護衛の名だったはずだ。
そして、トルクスタン王子殿下の従者もやっている。
一体、一人で何役こなしているのだろうか?
「ユーヤはどこまで知っているんだ?」
「私が思い出せる所はほとんどかな~。でも、昔のことは結構、忘れちゃってるんだよね」
それは、思い出したくもないほどの目に遭ってきたということだ。
それが分かっているために、トルクスタン王子殿下はそれ以上の言及を避けることにしたらしい。
「俺が聞いても良かったのか?」
更に、そんな今更な話をする。
「構わないよ。全く関係ないユーヤが知っていて、庇護者のトルクが知らないのもおかしな話だしね」
そんなことを言いながら屈託なく笑った。
昔、表情がほとんどなかった「被験者38号」は、ニンゲンカイとか言う国で、笑うことを覚えたらしい。
「ところで、嘘がヘタって何? 私……、実……、違った、セヴェロに嘘を言った覚えがないんだけど?」
昔の癖で「実験動物」と言いかけて、今の名前に言い直してくれる。
その名に特別な響きがあったが、先ほどの声は格別な響きを覚えた。
『自分で言ったことも忘れたのか? ここで飼われ続けるのが嫌なら今すぐに逃げなさい……と、鍵を解除しながら被験者38号がそう叫んだことは忘れない』
「そんなこと言ったっけ? それも覚えていないや」
本当に覚えていないのだろう。
いきなり現れて、そんなことを叫びながら鍵を解除して、すぐに去って行ったから。
『まさか、生きてお会いすることができるとは思っていなかったです』
「そうだね。しかも、全く関係ない異国の地での再会だもんね」
そう言いながら、尚も笑うマオリア王女殿下の顔を見て、自分の中の何かが晴れた気がした。
そして、同時に……。
―――― マオリア王女殿下の今の本当の姿を見たい
そんなことを願ってしまうのだった。
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