思いが重い
『ロットベルク家第二子息アーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルクの使いで参りました』
ノッカーを使って入室の合図をした後、そう告げる。
「扉を開けることを許す」
中からそう返答があった。
人類の技術は本当に不思議だ。
基本的に扉の向こうの音、声は聞こえないようになっているのに、ノッカーを握っていると、中の音が聞こえるようになる。
そして、それは人類だけでなく精霊族にも有効らしい。
今、初めて知った。
『ありがとうございます。失礼致します』
あまりこう言った状況に不慣れではあるが、主人のために仕方ない。
扉を開けると、焦げ茶色の髪、琥珀の瞳を持つ男が奥の椅子に腰かけているのが見えた。
どうやら、一人だけのようだが、まるで薄皮が剥がされるかのように、肌に微かだが鋭く痛む感覚がある。
このために一人になっていたか?
その行動は、人類の王族にしては不用心だと思うが、耐性がなければ、悲鳴が出てもおかしくはないほどの圧力があった。
これまで、主人と共に何度か会っているが、こんな気配を纏っているのは初めてだ。
あの黒髪の聖女の言葉を借りるならば、「王子モード」というやつだろうか。
実に人類の王族らしい雰囲気を漂わせていた。
普通はこの客室で誰かを待つならもっと奥の部屋だろうが、手前の控えの間でわざわざ待っていてくれたらしい。
いや、奥には入れたくないかもしれない。
本来、控えの間には従僕や女中、侍女たちがいる場所だ。
だが、この王子殿下は侍女たちを最奥の部屋に置いている。
そのために扉を開けてすぐの部屋であるここで待ち受けていたと考えるべきだろう。
「入れ」
扉を開ける許ししか得ていなかったために、そのまま入り口で待っていたら、そう声を掛けられた。
『失礼致します』
一礼して入室する。
人間は本当に面倒臭い生き物だ。
形だけの様式に一体、何の意味があるのか?
本当に良く分からない。
『主人より使いとして参りました。下賤の生まれ故、無作法、不調法な面がございます。多少の非礼は御寛恕いただければ幸いに存じます』
「元より、人の道を外れない限り、礼儀は気にしない。楽にしろ」
トルクスタン王子殿下はそう言うが、本当に楽にするわけにはいかないだろう。
「アーキスフィーロより聞いている。何か、届け物があるそうだな?」
『はい。主人よりお預かりしました。ご確認ください』
そう言いながら2通の封書と、そして……、厚さ7ミリメートルほどの分厚い封書を取り出す。
「それは……?」
『まずは、トルクスタン王子殿下宛の書簡にございます。お受け取りください』
白い封書に差出人と宛名が書かれたシンプルな封書だった。
それをトルクスタン王子殿下の前に行き、跪いて頭を下げた上で差し出す。
『そして、こちらがトルクスタン王子殿下の従者様にお渡ししていただきたいお詫びの書状です』
王子殿下宛の書簡を渡した後、続いて従者宛の手紙を差し出す。
「ヤツは今、ここにはいない。だが、必ずや渡しておく」
『申し訳ございません』
わざわざ詫び状とは律義なことだな……と言いながら、トルクスタン王子殿下は受け取ってくれた。
一国の王子を配達員として使うことに忌避感はないらしい。
その点は助かる。
普通なら不敬だというのに。
『そして、こちらが主人の婚約者候補様へお届け願いたい物となります』
一番、分厚くて重い封書をトルクスタン王子殿下に差し出す。
「……シオリ嬢に……か」
トルクスタン王子殿下が難しい顔をした。
この王子の立場からしても複雑らしい。
自分の従甥が何かを吹っ切って前向きな姿勢で婚約者候補と向き合おうとしているのは、その分厚い封書からも分かる。
だが、同時に、その従甥にあの聖女を任せても良いのかという不安。
特に聖女の背後にチラつくものがある限り、それは消えないだろう。
従甥のことは素直に可愛い。
これまで苦労を重ねてきたことも知っている。
どこかの幼馴染のように、自身や魔獣の血に塗れながら生きてきたことも。
あの主人を可愛がってくれるのは、単に親族だからというだけではない。
親族というだけで可愛がるならば、あのアホで頭が可愛らしすぎて救いようのない主人の兄も同じように扱うべきだろう。
自分の幼馴染に重なって見えるから、余計に見捨てられないのだ。
そして、そのために、幸せになって欲しいと願う気持ちもある。
だが、主人の幸せがあの聖女の幸せに結びつくとは思えない。
これまで聖女を見てきた男なら当然の考え方だろう。
神の試練にしても程があるだろうと思うほど、いろいろなことに巻き込まれてきた聖女だから。
「随分、重い愛情のようだな」
そこで笑うから、この王子殿下は王子なのだろう。
複雑な気持ちも覆い隠して、外には出さない。
尤も、心の声が強すぎる。
脳内でそこまで言葉が渦巻いているのに、全く出さないのはやはり見事だと思うが。
この国に、そんな強い王族はいない。
皆が皆、自分のことしか考えず、負の感情が渦巻いている。
だから、嫌いなのだ。
「承知した。こちらも間違いなく届けよう」
届けさせるではなく、届ける……か。
誰かを使わずに自分の手で渡すということらしい。
いや、この重さを伝書で送れるのか。
しかも、本人宛に。
どうやらこの王子殿下は、主人の婚約者候補殿から伝書を使うことを許されているらしい。
尤も、婚約者候補殿に向けて送っても、そこで侍っている男たちが先に中身を確認するだろう。
あの朴念仁の主人が婚約者候補殿に何を書いたのかは分からない。
アホなことを書いていなければ良いのだが……、そう願うばかりである。
『療養中のシオリ様の御心をお慰めできれば幸いに存じます』
だが、これぐらいは言っておきたい。
あの聖女に少しでも、こちらを見て欲しいから。
「いや、慰め? この量の文章を読むのは悪化しないか?」
同意する。
だが、ここで頷くことはできない。
『シオリ様は文章を読むことがお好きなようですから、ご負担にはならないかと。何より、婚約者候補様を案ずる主人の心を汲み取っていただきたいと存じます』
「アーキスフィーロはこんなに情熱的な男だったか?」
分厚い封書を見つめながら、トルクスタン王子殿下はそう大きく息を吐く。
『情熱的かは断言致しませんが、淋しがり屋で甘えん坊部分があることは否定しません』
「なるほど。シオリ嬢がいなくなって、淋しいのか」
『ここ三ヶ月ばかり賑やかな日々が続きましたから、私と二人では物足りないのでしょう』
三年以上、ずっと二人だった。
必要以上に他者と関わることもなく、あの地下の部屋で過ごしていたのだ。
だが、そこに他者を入れることを許した。
あの日から、主人の生活に色が付いたのだ。
黒髪で黒い瞳の小柄な聖女が現れたあの日から。
「こちらは先に読ませてもらうぞ。内容によってはこの場で返答を書く」
『ここですぐに読まれるのですか!?』
それは困る。
「? 何か不都合でもあるのか?」
ある。
それも物凄く不都合なことが。
だが……。
『いいえ』
そんなこと、口に出せるはずもないな。
『トルクスタン王子殿下の度量に期待しましょう』
だが、これぐらいは言わせてほしい。
絶対、良い方向に進まないと分かっているから。
「どういうことだ?」
トルクスタン王子殿下はそう首を傾げながらも、それ以上、追求することなく主人からの手紙を読み始めた。
その表情は変わらない。
だが、幾分、和らいでいたはずの雰囲気が再び、肌に突き刺さるようなモノへと変わっていく。
いや、先ほどよりも酷い。
肌に鋭い棘を突き刺し、さらにそれを強く圧しつけるような感覚が伴い出した。
どうやら、主人からの手紙は一国の王子を怒らせるものだったらしい。
「アーキスフィーロは、シオリ嬢を馬鹿にしているということか?」
そう言いながら、こちらを向くトルクスタン王子殿下の表情は、主人が怒った時の顔によく似ていて、変な所で血の繋がりを感じさせるものだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




