突き抜けて鈍い
主人が筆記具を握って、30分ほど経過した。
だが、一度氷像になったらなかなか解けないらしい。
これだけ見目の良い氷像なら貴族夫人辺りからいい値が付きそうである。
ピクリとも動かない辺り、本当に氷系の魔法の影響下にあるような錯覚を起こしてしまいそうになる。
『何、いつまでも固まっているんですか?』
とりあえず、氷像を解凍することにした。
「い、いや……、何を書いて良いか、分からなくなった」
『かっこよくもないくせに、かっこつけた文章を書こうとするからでしょう? 好きに書きゃ~良いんですよ、好きに』
変にかっこつけようとするから書けなくなるのだ。
どうせ、どんな文章でもあの聖女は気にしない。
寧ろ、喜んでくれるだろう。
文章を読むことが好きなようだから。
だが、このままではまた氷像になるだろう。
『そうですね~』
あの聖女に書く手紙なら、報告書の方が良い気がした。
『王家から魔獣退治を押し付けられたとか、面倒だけど頑張るから無事を祈って欲しいとか、シオリ様の体調はどうだ? とか、療養で休めているか? とか、貴女がいなくなって淋しいとか、早く会いたいとか、愛しているとか、今すぐ抱き締めたいとか、思いつくままで良いと思いますよ』
「前半はともかく、後半は参考にならないのが分かった」
前半だけでも参考にする気にはなったらしい。
それだけでも良かったか。
だが、後半こそ参考にして欲しいと思う。
『参考になるはずがないでしょう? これらは全てボクの言葉ですから』
「お前の……?」
主人が訝しげな顔を向ける。
『はい。陰気な主人とこんな狭い場所でずっと二人きりなんて嫌じゃないですか。それにシオリ様たちのいる生活に慣れてしまうと、静かで淋しいって気持ちはあります』
彼女たちがいない生活はこんなにも味気なく色もないことを思い知らされている。
余り変化がなくて、本当に面白くないのだ。
彼女たちはいるだけで、次々といろいろなことを起こしてくれる。
それは大変だけれど、楽しい日々だった。
『何より、アーキスフィーロ様だけではいつまで経っても、仕事が終わる気がしません。せめて、侍女だけでも先に戻して欲しいという切実な願いもあります。それに、ヴァルナ嬢にもそろそろ会いたいんですよね。あの冷たい視線がそろそろ恋しいです!!』
このままずっと二人で仕事を続けると、また書類が山積みになることだろう。
既にその兆しが見え始めている。
『そんなわけで、何でもいいですから、とっとと書いちゃってください』
そう言った時だった。
ふわり。
薄い黄色と青が混ざったような光の中、もう一通の状袋が届く。
『アーキスフィーロ様。お待ちかね、本命からの返信のようですよ』
揶揄うようにそう言うと……。
「そうだな。これが駄目なら……」
主人は祈るような表情で、それに向かって手を伸ばす。
そして、その状袋を開けて、中身を確認していく。
ふとその表情が緩んだ。
分かりにくい表情を持つ主人の分かりやすい反応。
心の声を聞くまでもなかった。
どうやら、二通送った伝書のうち、本命の方からは色よい返答が得られたらしい。
どうせなら、断って欲しかった。
だが、それは無理だと分かっている。
主人は、向こうからずっと熱烈な勧誘を受けていたのだ。
それを拒み続けていたのは主人の方で、向こうからすれば、待ち望んだ誘いだった。
断る理由など皆無だ。
それでも、どこかで拒絶して欲しかった。
だって、ふざけている。
都合が良すぎる。
相手のことを何も考えていない行動なのだ。
だから、馬鹿にするなと突っぱねて欲しかった。
自分にできないことを他者に望むのはおかしな話なのだけど。
だが、動いてしまったものは、決まってしまったことは仕方がない。
これで、こちらも肚を括るしかなくなったのだ。
それならば……。
『アーキスフィーロ様。大至急! トルクスタン王子殿下とシオリ様へ、手紙を書いてください』
肝心な部分が何も分かっていない主人に向かってそう伝える。
「言われなくても、シオリ嬢にはこれから書く。だが、トルクスタン王子殿下にはさっき書いただろう?」
『状況が変わってるだろうが。事前にそれを伝えず、『緑髪』を同行させる時、なんて言い訳するつもりだ?』
そうだ。
この時点で、もう説明ではなく、言い訳、弁明になっている。
それだけ、状況が悪い。
「そうだな。事前に伝える必要はあるか」
だが、突き抜けて鈍感な主人は気付かない。
何故、この状況でそんな呑気なことを口にできるのか?
この主人はこれまでずっと、まともな人付き合いをしてこなかった。
だから、何が悪いかも分かっていない。
しかも、トルクスタン王子殿下への書き直しはすぐに終わったのに、また氷像になっている。
世話が焼ける主人だ。
『そんなにシオリ様に書きたくないというのなら、ボクが代わりに書きましょうか? アーキスフィーロ様に任せていたら、夜が明けてしまいます』
「書きたくないわけではない」
『それなら先に封書の準備でもしたらどうですか? 差出人と宛名を書くぐらいなら考えなくても良いでしょう?』
それに相手の名前を書くことで、落ち着きを取り戻し、余計な力が抜けるのではないだろうか?
「そうだな。そうしてみよう」
主人は素直に頷き、封書を取り出す。
そこでまた何故か考え込んだ。
心の声は聞こえない。
……体内魔気で防御されている?
これまでにそんなことはなかった。
しかも、それを口にしたのは、十数分前のことだ。
その一度で意識的に防御できるようになったのか?
『まさか、シオリ様の名前を書くことすら戸惑うのですか?』
だから、そんな言葉で確認するしかできなかった。
「いや、どちらを使おうかと思ったんだ」
『どちら?』
だが、そんな問いかけを無視して、主人は封書に文字を書いた。
そして、それを見て……。
「ああ、そうか。だから……、うん」
一人で何かを納得する。
それはただ名前を書いただけの行為だったのだろう。
だけど、主人の中に何らかの意識改革があったらしい。
先ほどの氷像、置物状態だったのが嘘のように、次々と文字を並べて文章にしていく。
それはただの言葉の羅列。
だが、そこに人類は何らかの意味を見出す。
以前は、文字を残すなど、誰かに言葉を伝えるなど、そこにいた足跡を残すなど、意味はないものだと思っていた。
いずれは、その足跡だけを残して、自身は消えてしまうのだから。
だが、どこかの聖女はその行為の意味を教えてくれた。
遠い昔、自分の祖となった聖女から、自身へのメッセージを受け取るという奇跡。
それは本来ありえないことであり、同時に、彼女たちならあり得ることだとも思えてしまうから不思議だ。
そして、誰かに何かを伝えることの重要性。
それを聖女の護衛たちも知っている。
自分が持っている知識や情報を別の誰かに渡すことによって、自分たちの利となり、さらに活かされていくことを。
だが……。
『重い!!』
物理的にも精神的にも重い量の紙の束が生成されてしまった。
「筆が乗ってしまったようだ」
『それでもこれは書き過ぎだ!!』
厚さは何ミリメートルだ?
これは貰った方が困るやつだろう。
あれだけ書き倦んでいたというのに、書き始めてからはあっという間だった。
迷いも躊躇いもなく筆を進めるその姿は……、これまでの氷像状態は何だったのかと問い詰めたくなるほどだったのだ。
『しかも、この厚さだと、伝書用の状袋には入らないだろう?』
「はっ!? 確かに!?」
気付いてもいなかったらしい。
どれだけ夢中になって書き綴っていたことか。
だが、それだけ思いの丈を綴ることなんてこれまでなかったのだ。
そう思うと、減らせ、削れ……、などと言う気にはなれなかった。
そうなると……。
『ボクがトルクスタン王子殿下の元へ伺いましょう』
「お前が?」
『事前連絡を入れてください。書簡とはいえ、一国の王子の元へ伺うのですから』
気は進まないが、それしかないだろう。
突き抜けて鈍くて、人の気持ちに配慮できない主人のために、自分の柄ではないがこの身体を張ることにしたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
 




