完全に落ちる
「シオリ嬢への手紙はともかく、依頼については、遅くなる方が迷惑だ。すぐに書いて送る」
トルクスタン王子殿下からの伝書や、その従者からの書簡の内容確認をするよりも、そちらを優先したいらしい。
確かに、もう午後20時になろうという時間帯である。
だが、トルクスタン王子殿下に対してもあまり遅い時間というのは問題ではないだろうか?
いや、そっちは王命で出かけていたことを知っている分、まだマシか。
『本当に依頼を送るのですか?』
「今のままでは駄目だということは、お前も分かっただろう?」
『だからって……』
やはり、気は進まない。
いや、私情を一切、交えなければ間違ってはいないのだ。
だが、その私情と言うのが侮れない。
人間は感情だけで敵か味方かを判断する種族だから。
だから、分からない。
その種族の一員である主人は、何故、そこに気付かないのか?
いや、気付いていても、大したことじゃないと思っているのだろう。
そんなことを考えている間に、主人は手早く、用件だけ記した簡素な手紙を書き終え、それを複製魔法で複製する。
伝書だけでなく、重要な書類に関して控えをとっておくことは大事なことだ。
だが、この使い方はどうなのか?
『愛と誠意が足りない』
思わずそんなことを言っていた。
「それが必要な相手ならそうする」
主人は表情も変えずにその作業を終え、二枚の封緘紙に魔力を込めて伝書を送っていく。
そして、今度はトルクスタン王子殿下の従者からの書簡を読み始める。
「これは……」
主人が眉を顰めた。
気持ちは分かる。
あの従者殿からの書簡の内容は、こちらの状況が分かっているから、気にしないで仕事を全うして欲しいというものだった。
だが、普通に考えればそれもおかしい。
自分たちも驚いた突発的な仕事を何故、ローダンセ王家と関係のないあの人が既に知っているのか、と。
「トルクスタン王子殿下は俺たち以上の情報網を持っているということだな」
それも、王城の中に情報源があると言うことだろう。
あるいは、トルクスタン王子殿下自身が知っていたか。
『トルクスタン王子殿下の伝書の方は……』
大きく息を吐いた後、トルクスタン王子殿下からの伝書も読み始める。
そして、また大きく息を吐いた。
時間は従者殿からの手紙を読むよりも短かったから、内容は簡潔なものだったのだろう。
「読むか?」
『勿論』
心を読んでいたため、書かれている内容については理解した。
だが、驚くことに変わりはない。
同時に頭が痛くなるものでもあった。
―――― 「緑髪」と呼ばれている女を、お前の魔獣退治に連れて行って欲しい
そんな簡潔でありながら明確な願いが書かれていたのだから。
主人は二通の封書の中身を確認した後、まずは従者殿に対し、土壇場で面会要請を断ることになったための詫び状を書き、封筒に入れる。
そして、次の書簡はそれなりに長い文章を書き始めた。
この様子だと、これはトルクスタン王子殿下への返答か。
どうやら、返事は「了承」と出すことにしたらしい。
当然だな。
他国の王族からのほぼ命令に近い要請だ。
そして、主人にとってもかなりの利がある。
断る理由はない。
『こちらを先に読むべきでしたね』
トルクスタン王子殿下は急ぎではないと思ったらしいが、こちらからすれば、最優先事項だったと思う。
こちらが先なら、面白くない思いを抱えてまで依頼をする必要などなかっだのたから。
いや、これはこれで自分にとっては面白くないのだが。
「お前の話だと、『緑髪』と呼ばれている者は、女性だという話だったな」
『はい。「濃藍」がヴァルナ嬢で、その連れである「緑髪」もトルクスタン王子殿下の侍女だったと記憶しています』
あの様子だと「濃藍」は「緑髪」の同行者と言うよりもお目付け役なのだろう。
自分が知る「緑髪」という女は、加減というものを知らない。
手加減は知っているのだ。
だが、庶民感覚と言うものを知らない。
そして、一般市民がどういう生き物なのかも知らないらしい。
だから、やり過ぎてしまう。
多くの人間が焦がれ、妬み、恨む。
そんな魔力の強さを惜しみなく余すことなく見せ付けてしまうのだ。
それを庶民派代表として、「濃藍」がフォローしているというのが自分の見方だった。
尤も、その「濃藍」は庶民感覚を知っていても、ややズレたところがある。
庶民はあんなに丁寧な魔獣退治をしないし、素材を丁寧に処理しないし、買い取り交渉で強気に出ない。
あの黒髪の聖女の側にはどうして、一般の枠に収まらない人間ばかりなのか?
それが、「導き」だからだろう。
諦めるしかない。
「恐らく、俺も会ったことはある。『花の宴』で、トルクスタン王子殿下に付き従っていた王城貴族の一人だ。物静かで、とてもではないが、魔獣退治をするような女性には視えなかった」
そう言いながら、筆を止める。
書き上げたらしい。
『それは、アーキスフィーロ様の見る目がないだけでしょう。ヴァルナ嬢やルーフィス嬢を見てくださいよ。あの方々、平気で自分より重い武器をぶん回しているじゃないですか』
身体強化をしているとはいえ、あんなことはこの国の男でも容易ではないだろう。
持つだけならできる。
意のままに操ることができないのだ。
「お前の見立てでは、ヴァルナ嬢やルーフィス嬢のように強いんだな?」
『魔法だけなら確実に上回っていると思います。物理攻撃のイメージはないので、典型的な魔法使いだと考えて良いでしょう』
尤も、その魔法が桁外れである。
精霊族すら恐怖を覚える魔法使いなど、そう多くは存在しない。
「カルセオラリアは本当に人材に恵まれているな。あんな女性たちを何人も国外に出せるのだから」
『ソウデスネ』
ローダンセでは考えられないだろう。
基本的に国内だけで自己完結する国だから。
優秀な女性がいれば、囲い込んで利用するか、その成長の芽を摘むか、心ごと叩き潰すかのどれかだ。
決して、国外には出さない。
他国に取られるのは我慢できないから。
ふわっ
『おや?』
青い光に包まれて、白い状袋が主人の前に現れた。
それを掴むと、すぐに中身の確認をする。
「やはり断るか」
主人が皮肉気に笑う。
『アーキスフィーロ様に愛と誠意が足りなかったからでしょう』
「いや、断られるのは分かっていた。だから、問題はない」
そう言いながらも、書簡紙を握る手は震えている。
少しだけ期待していたのだろう。
どこかで諦めきれない思いがあったことはよく分かる。
「それよりも、緑髪殿のことだが、お前の方に問題はないな?」
『おや? ボクのことも気にしてくれるんですか?』
「俺が良くても、お前が気に食わなくて緑髪殿に非礼を働けば国際問題になるからな」
あの緑髪はトルクスタン王子殿下の同行者であると同時に、カルセオラリアの王城貴族でもある。
主人が気にしたのはそういうことらしい。
『そうですね。魔獣退治で緑髪様が足を引っ張ることはありません。アーキスフィーロ様は視界外からの攻撃を回避する能力もあるので、大丈夫でしょう』
「視界外からの攻撃?」
あの緑髪と共にいるためには必要な能力である。
だが、それを説明しても、今は理解できないだろう。
あれは一見しなければ分からないものだから。
『ただ……、ボクとは絶対的に相性が悪いです。雰囲気はギスギスすると思いますよ』
「お前が我慢しろ」
『え~? できるかな?』
「緑髪」はあの男の娘だ。
ソレが近くにいて、自分をどれだけ抑えることができるのか、見当もつかない。
「トルクスタン王子殿下からの頼みだ」
『分かっていますよ。頑張りますよ。トルクスタン王子殿下からのお心遣いですからね』
この国で味方の少ない主人の数少ない理解者である。
それが分かっているから、できるだけ我慢はするつもりだ。
だが、こちらが我慢して大人の対応をしても、向こうはどうだろう?
いや、今ここで考えても無駄なことだ。
『では、次はシオリ様への愛を存分に書き殴ってください!!』
今は主人を揶揄って余計なモノを溜めこまないようにしよう。
だが、その後、主人は氷像のようになってしまった。
まるで、数刻前の魔獣退治のようだ。
あの時は魔獣を凍らせたが、今度は自分が固まっている。
器用なことだ。
心の声を読む限りでは、なんと書けば良いのか迷っているらしい。
いや、好きに書けよ。
そんなに迷うことじゃないだろう?
『アーキスフィーロ様、早く書かないと、国王陛下にも書くのでしょう?』
努めて冷静にそう言った。
今回の魔獣退治は王命である。
そのため、達成はされていなくても、報告する必要はある。
「そちらを先に書く」
氷像から人類に戻った主人は、先ほどの魔獣退治の様子を次々に書いていく。
時間の経過、状況、魔獣の様子、そして、目的地にたどり着けずに撤退したことも含めて5枚程度の文章を書き上げ、伝書を送った。
気のせいか、書く速度……、いや、文章を纏める速度が上がっている気がする。
書く速度はそこまで変わっていないのに、思考する時間、筆が迷う間が減っていた。
これは、あの女性たちと会った三ヶ月で鍛えられたためだろうか?
意外な副産物である。
そして、書き終わった後は、再び氷像と化す。
―――― もう完全に落ちているじゃないか
そう思ったが、主人はそれを認めないだろう。
誰の目から見ても、事実だと分かることも当事者だけが気付かない。
本当に人類と言うのは面倒臭い生き物だなと思うのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




