体感
『アーク!!』
そんなセヴェロの叫び声と同時に、魔獣の爪が俺に向かって振り下ろされる。
そして、その爪は腕を掠め、切り裂かれた部分から血が滲んだ。
「掠り傷だ。いちいち騒ぐな」
考え事をしてたために、目測を誤っただけである。
しかも、血が噴き出たわけでもないし、流れ落ちてすらいない。
服に滲み出た血が付くことなんて、これまでにも何度もあったはずだが、ヤツはどうしても、俺が傷を負うことに過敏だと思う。
「魔獣が多少、強化されたぐらいでは、ルーフィス嬢やヴァルナ嬢の足元にも及ばない」
翠玉色の髪をした女性と、濃藍色の髪を持つ女性を思い出す。
『いや、仮にも女性の姿をしている方々に対して、魔獣と比較するのはどうかと思いますよ?』
セヴェロは少し落ち着いたのか、そんなことを言う。
「お前は、あの二人の強さを体感していないからそう言うんだ」
本当にあの二人は恐ろしいまでに強い。
武器を構えずとも、持つだけで第二王子殿下の護衛たちが怯み、振り回す様を見れば大半の男たちが足を竦める。
俺も初めて見た時は、思わず足が止まりそうになった。
だが、足を止めれば手にした武器で眼前を振り抜いてくる。
そのため、踏み込むことを選べば……、ルーフィス嬢は笑みを浮かべながら、ヴァルナ嬢は表情を変えることなく、その軌道を変えて足元に叩き付けてきた。
あれは相手の気配を感じ取って、接近するか、退くかを判断しているのだろうけれど、その判断と行動速度が並ではないと思う。
そのためか、地下に来る第二王子殿下の護衛たちは日に日に増えていった。
特にヴァルナ嬢は「濃藍」として、名を馳せている。
その人気は城内でも高いらしい。
尤も、シオリ嬢が国へ帰ったことを知った第二王子殿下が地下に来なくなったため、ここ数日は、地下の書類仕事も捗って……は、いないな。
俺とセヴェロだけではやはり、その処理速度が全く違った。
『いやいやいや! 体感してますよ!? 二人同時に襲い掛かってきて死ぬかと思いましたよ!?』
「二人同時に……?」
ルーフィス嬢とヴァルナ嬢は基本的に交代でシオリ嬢に付いている。
二人揃うことも勿論あるけれど、その回数はそこまで多くない。
それが二人同時にセヴェロに襲い掛かった?
「何をやらかした?」
あの二人が意味もなくそんな行動に出るとは考えられない。
絶対に元凶はこの精霊族だろう。
『酷い!! 真っ先にボクを疑うんですね!?』
そう叫ぶが……。
「何をやらかした?」
俺がもう一度尋ねると……。
『シオリ様の前で、アークの暴走を誘発したことを咎められました』
思ったより素直に自白した。
「ああ、あの時か……」
俺がシオリ嬢に押し倒されたとか言われたやつだな。
しかし、ルーフィス嬢とヴァルナ嬢も怒ってくれたのか。
それは知らなかった。
だが、あの二人を同時に相手する……?
無理だな。
俺は一人でも勝てないのに。
年下の姉妹。
だが、二人とも途轍もなく強い。
一体、どんな人生を歩めばあんな風に育つのか?
「自業自得、同情の余地もないな」
『いや、アークの魔力暴走を見た後、シオリ様がどんな行動に出るかなんて気になるじゃないですか~。逃げられても嫌でしょう?』
「余計なお世話だ」
逃げられるのは慣れている。
俺に近付いて来た人間は、この精霊族を除いて皆、いなくなってしまった。
シオリ嬢が俺を頼るのも、自国の王族から逃げるためだ。
そのために、俺は利用されている。
それは、彼女自身もそう言っていたから間違いないだろう。
俺とシオリ嬢は契約関係で結ばれていて、それ以上にはなり得ない。
だから、いずれ、彼女も離れていく。
だが、俺はその時……、シオリ嬢を手放すことができるのだろうか?
『あ~、はいはい。そ~ゆ~のは、家に帰って、安全を確保した後で、じっくり考えてくださいね~』
離れた場所でセヴェロがそう言いながら、両手を叩く。
『次が来ますから』
その言葉とほぼ同時に魔獣が5体、俺に向かって襲い掛かってくる。
「水属性鞭魔法」
水で鞭を作り、魔獣たちの足を払った後、氷矢魔法で満遍なく貫いていく。
動きも、魔法耐性も、攻撃力も、全く違う魔獣たち。
普段は群れを成さない魔獣が集団と化している状態に違和感はある。
だが……。
「いつもと変わらない」
そう思えた。
「視界に入った魔獣全てを殺せば良いだけだからな」
誰かを庇うような守る戦いよりも、こちらの方が性に合っている。
俺の手によって、噴き出る色とりどりの血が、巻き散らされる毛や羽が、分断されていく手足や尾が、折れる爪や牙そして角が、溢れ出す魔力に似た何かが、魔獣たちを死出の旅路へと誘っていくから。
数が多いのも好都合だ。
魔法で狙いを定めることが苦手な自分が適当に放っても、その大量の魔獣たちのどこかに必ず中るのだ。
『それでも、数が多すぎません?』
「そうだな」
この異常事態を王家は知っていたとしか思えない。
いや、ここまでとは想定していなかった?
いずれにしても、目に入る魔獣の数が増えてきた。
しかも、そのどれもが俺を狙ってくる。
人間が視界に入ってもすぐには攻撃する姿勢を見せない魔獣もいるはずなのに、残らず自分に向かって来る姿は、流石に異様だと思えた。
『あの女からの誘い。王家からの命令。そして、トルクスタン王子殿下の従者による突然の面会要請。これって、全て偶然ですかね?』
俺に向かって、物理耐性強化を施しながら、セヴェロはそう言った。
確かに偶然にしては揃い過ぎだろう。
「ここで考えても仕方がない」
目の前の魔獣を一体でも多く駆除しなければ、この強さとこの量が近隣の村や人を襲わないとも限らないのだ。
『これは、まさか……』
「セヴェロ?」
不意に意味深なことを口にする従者。
『いや、まだそうと決まったわけではありません。アーク、ここまで来てあれですが、一旦、退きましょう』
「そうだな」
いつものような調査と言う名目の魔獣退治だと考えていたが、周辺の魔獣たちの全てが魔法で強化されたような強さだとは思いもしなかった。
つまりは、準備不足だ。
「来る時に見かけた魔蟲殺しの樹は覚えているか?」
ローダンセ城下とこの位置の中間に近い場所にその樹は立っていた。
その甘い匂いに引き寄せられた魔蟲が眠りについている間に、その生命力を吸い取るという恐ろしい樹。
人間界で言う紅葉……、いや楓のような特徴的な形の葉を持つため、俺でも覚えている。
「そこまで一度、戻るぞ」
『え~? どうせ戻るなら審査門まで一気に戻りましょうよ~』
「審査門まで戻ったら、この緊張感が解けて、再び魔獣討伐したいとは思えなくなる。この様子では目的地には辿り着くことは難しいと思うが、明日以降のために少しでも魔獣の数を減らしておきたい」
10や20の魔獣を減らした所で、焼け石に水ということは分かっている。
だが、100や200減らせば、少しは違うはずだ。
『え~? 明日もここまで来るんですか?』
「命令は魔獣の駆逐だけでなく、その地の調査も入っている。この魔獣たちの異常を調査しろと言うことだろう」
確かに、こんな状態ならばその原因の特定をしておきたいという王家の気持ちも分からなくもない。
俺より先にこの地に来て、王城に報告を挙げた人間は無事だったのだろうか?
それとも……。
『調査って、もう結論が出ているじゃないですか。指定の場所にはアークでも辿り着くのは困難。以上!!』
セヴェロは投げやりになったように言い切った。
「今日の所はそう報告する。連射式洋弓銃を練習しようと思ったがそんな余裕もなさそうだ。どちらかと言えば、服だな。魔獣の爪が掠ったぐらいで、こうもあっさり破れていては困る」
会話をしながら、少しずつ目的地の方向から離れる。
それだけでも、魔獣の圧力が薄れる気がした。
だが、なくなるわけではない。
いつもよりも存在感が増し、離れた所からその雄叫びを耳にするだけでも胆力のない人間は居竦んでしまうことだろう。
思ったよりも状況が悪い。
審査門から、北東に7キロメートルの位置でもこうなのだ。
ここから、更に3キロメートル先は、一体、どんな状況になっているのだろうか?
「この近くに集落はなかったよな?」
『はい。この先はもともと大気魔気が濃い場所ですからね。魔力が弱い人間は長く留まることができないでしょう』
「そう言えば、そうだったな」
大気魔気が濃いことと、今回の魔獣たちの変化は関係があるのだろうか?
確かに大気魔気が濃い場所は、魔獣の強さも増す気がする。
だが、それは魔力食いと呼ばれる、魔獣ばかりだと思っていた。
俺たちに敵意を向けて襲い掛かってきた魔獣たちの中に魔力食いのような魔獣はいたが、全てではない。
だから、気になった。
―――― これは、まさか……。
そんな先ほどの従者の発言が。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




