想いを否定しないで
どれくらい時間が経ったのか分からない。自分の瞳に映るモノは今、闇しかないのだ。
何度か、部屋の扉が叩かれる音を聞いた気もするが……、動く気にもなれない。
このままなら、彼女に会うこともそんなに難しくもないし、そう遠い話でもなさそうだ。
「なんで……」
自分に一言も告げずに死んだのか。
それもよりにもよってあの朝に……。
「俺が……悪いのか?」
確かに多少、強引だったことは認める。
だが、もういい加減、自分だって耐えきれなかったのだ。
だから、あの夜、部屋に呼び出した。
彼女の気持ちを知りたくて……。
そして、あの時、彼女に拒否する権利も、それだけの間や隙も十分、与えたつもりだった。
心底嫌なら自分だって無理強いをする気などなかったのだ。
そんなにも……、死を選ぶほど自分のことが嫌いだったというのなら、いっそ、拒んで欲しかった。
突き飛ばして、顔も見たくないと断ち切って欲しかった。
二度と会えなくなるぐらいならその方がずっと良かったのだ。
「俺が……」
誰に聞いても、自分が全て悪いと言われそうで、ソレを認めたくなくて。
知らせを聞いて、即座に後を追うと言う行為にも出ることができなかった。
そんな自分は、やはり臆病者なのだろうか?
彼女は迷うことなく、死を選んだというのに。
―――― コンコンコン
何度目かのノックが聞こえた気がする。
誰にも会いたくない。
このまま、誰にも会わないまま……。
「楓夜兄ちゃん……、いる?」
聞き覚えのある声。
今まで来た城の者とは違う声が自分の耳に届いた。
「嬢……、ちゃん……?」
占術師を発見したのは黒髪の少年だったと聞いていたが、その場に彼女もいたという話もあった。
「そのままで良いから、聞いて」
その声はいつもよりずっとか細く、震えていた。
「わたし……、あの日の朝。リュレイアさまと、会って、話をしたんだ」
「なんやて!?」
その事実に慌てて、その扉を開ける。
そこには……、黒髪の少女が、哀しそうな瞳を自分に向けて立っていた。
「痩せたね……、楓夜兄ちゃん」
泣きそうな声でそう微笑まれた自分は、どう返すべきだったんだろうか?
「じょ、嬢ちゃんこそ……、ちょっと痩せたんちゃうか?」
気の利いた台詞も思い浮かばず、そのまま言葉を返すことしか今の自分にはできなかった。
その黒髪の少女を部屋に招き入れる。
少女は、戸惑うことなく、部屋に入ってきた。
「りゅ、リュレイアとどんな話をしたんか?」
心なしか、声が上擦る。
自分がこんなに動揺するなんて思ってもいなかった。
「その前に……、一言、言わせてくれる? 『ごめんなさい』って……」
「な、何がや?」
この少女から謝られるような心当たりはない。
「いろいろ……かな。これからお話しするから。その前に一度言いたかったんだ」
「嬢ちゃんが……謝らないかんことか?」
「分からない……。でも、わたしには、謝ることしかできないんだよ」
そう言って……、彼女は少しずつ話し始めた。
あの日、リュレイアが俺の部屋から出て行った後……、たまたま、あの場所で会ったこと。
彼女はかなりの方向音痴だと言うことは、この城樹の中でも迷子になってしまうことからよく分かる。
「楓夜兄ちゃんとよく遊んだ場所だと言ってた。海が見える綺麗なところで……」
少女のその言葉だけで、それが、どこの場所かはよく分かる。
自分はここ久しく行っていなかったが……、リュレイアはあれから何度も来ていたらしい。
なんで、あの場所のことを忘れていたのか?
「リュレイアさまは、懺悔したいからわたしに話を聞いて欲しいって言った」
「懺悔……?」
それは俺とのこと……なのか?
「許されないことをしたって……」
「許せないことをされた……の間違いやないんか?」
「ううん」
俺の自虐的な問いかけに、少女は首を振る。
「あの人は自分が楓夜兄ちゃん……、『クレス』に惹かれたのが罪だって言ってたよ」
「そんな馬鹿な! リュレイアは……、俺のことなんて……」
弟程度にしか思っていなかった。
そのはずだ。
そうでなければこんなことにはならかっただろうし、俺とそうなったのも彼女は優しかったからだ。
拒むこともせず、俺のために彼女は犠牲になったのだ。
「出逢わなければ良かった……って。好きにならなかったらこんなに苦しまなかったって彼女は泣きながら言ってた」
「そんなはずは……。嬢ちゃんにしては、下手な慰めやな~」
少女は気を使って俺にそんなことを言ってくれている。
俺はそう受け取った。
だが……。
「否定しないでよ、楓夜兄ちゃん。お願いだから、わたしのことはともかく、リュレイアさまの言葉まで拒絶しないで」
「せ、せやけど……」
「最期にわたしを通してまで伝えてくれた言葉。その気持ちを否定されたら、彼女は浮かばれない」
分かってる……。
この娘は嘘を簡単に吐くような子じゃないってことぐらい。
それが証拠にリュレイアが、俺を「クレス」と呼んでいたことを口にした。
幼い頃……、二人で居た時にしか呼ばれなかったその名で。
それでも……。
「そんな慰めはいらん!」
そう叫ばずにはいられなかった。
少女はその剣幕に押されたのか少し黙る。
「悪い、嬢ちゃん……」
この少女はなに一つとして悪くないのに……。
5つも下のこの子に感情をぶつけたって仕方がないのに。
無言で暫く俺を見つめた後……、彼女はこんなことを言った。
「楓夜兄ちゃんは……、リュレイアさまのことが嫌いだったの?」
「え?」
突然の言葉に俺は戸惑いを隠せなかった。
「嫌いだったから……、それを否定しちゃうの?」
「違……、そんなことは……」
「一緒だよ。リュレイアさまは楓夜兄ちゃんのことを好きでそれで苦しんで、どうしようもなくて、一人でずっと悩んでいたんだ! それなのに楓夜兄ちゃんが否定……、ううん、拒絶しちゃったら、それこそリュレイアさまの気持ちはどうなっちゃうんだよ!?」
それは意外な言葉だった……。
彼女は泣きながら、それでも、俺から目を逸らそうとしない。
真っ直ぐに俺を見たまま、目を逸らしてばかりの俺を責めるように。
「わたしの言ったことを信じないならそれでも良いよ。占術で視てもらっても構わない。だけどホントのことだもん! リュレイアさまがわたしに言ったことに嘘はないってそれを聞いたわたしには分かってるから!」
その両目から流れ落ちる雫を拭いもせず、俺を見つめる。
何故だろう。
5つも年下の彼女に、今、俺は気圧されていた。
「リュレイア様がなんでそんなに悩んでいたのかは知らない。でも、あの人の悩みは、ベオグラーズさまって人が知っていると言ってた」
「ベ、ベオグラーズが!?」
な、なんで……、そこでその名前が出てくるんだ?
だってそいつは……。
「あの人は、このままじゃ楓夜兄ちゃんを苦しめてしまうから、それに耐えられないとも言っていたよ。だから……、わたしの目の前で、そのまま身を投げたんだ」
「な、な!?」
……眼の前で、そのまま、身を……、投げた?
「まさか……、嬢ちゃん……、見てたんか?」
「ご、ごめんなさい! 止めることも出来なくて……、わたしじゃ……、止められなくて。身体、全然……、動かせなくて…………。楓夜、兄ちゃんの……、大好き、な人が……、目の、前で、あ…………の……」
なんてことだろう………。
この少女は最後にリュレイアと会話しただけでなく、彼女が飛び降りる瞬間まで見てしまったのだ。
そして、彼女は堰を切ったように泣き出した。
これまで堪えていたものが吹き出したかのように……。
だから俺は……。
「泣かんでええ、嬢ちゃん。嬢ちゃんは悪ないんやから」
素直にそう言えた。
彼女が突き落とした?
それはありえない。
占術師が、そんな単純な方法では死ねるはずがないのだ。
それは、これまで数々の危機を予知した彼女自身が言っていた。
それに見通す能力を失ったとしても、少し先の未来予知すらできなくなっても、心が読める能力は残っていたのだ。
目の前で、人が突然飛び降りて、それで混乱しないでいることなどできるはずもない。
身体が固まって動けなくなるのも当然で……、この小さな少女が今まで、正気を保っていたことだって不思議なぐらいなのだ。
だが、封印していたとはいえ、その混乱が引き金となってアノ時と同じように魔力が暴走しなかったのは、この少女の心が成長したってことなのだろうか?
「でも……、わたしがもっとしっかりしてたら! もっとちゃんとしてたら!」
「それでも……、嬢ちゃんには止められへんかったよ。アイツは一度こうと決めたら頑固で、絶対に考えを曲げない。万一、嬢ちゃんが身体を張って止めようと飛びついたところで一緒に飛んでいただけやったわ」
そして、恐らくその考えは正しい。
彼女の身体が動かなかったことは、数少ない救いだったことだろう。
「でも! でも!! ちゃんと……もっとちゃんと!!」
彼女の後悔は激しかった。
多分、俺と同等……、いや、その場を見てしまった以上それ以上かも知れない。
だからこそ……、こんなに激しいのだ。
だが、魔法がほとんど使えないこの国で、一人の人間が飛び降りることを力尽くで制止するのは男でも難しいし、タイミング勝負だ。
不意を突かれたら、そこにいたのが自分でも同じ結果を出していたという自信すらある。
それでも……、一緒に身を投げる機会は得られたかもしれないが。
「嬢ちゃん……。一つだけ聞かせてくれ。ホンマにリュレイアは……、俺のことが好きやったって言うたんやな?」
一瞬だけ、彼女はオレを見て、思いっきり首を縦に激しく何度も振った。
それだけで、その反応だけで……。
「ありがとう。ちゃんとアイツに……、俺は……、想われとったんやな」
自分の想いが、一方通行ではなかったことが分かった。
「ふ……、やに……ちゃん」
「なんや、嬢ちゃんの涙が移ってもうたわ」
リュレイアが死んでから初めて泣いた。
それは、3日も経って、ようやく俺が……、愛していた彼女の死を受け止めることができたという証だった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




