不在
『シオリ様がこの家にいなくて正解でした』
セヴェロは大きく息を吐いた。
『今、この家に、いつになく、訪問者が多く、当主たちが対応に追われているようですから』
俺自身も当主から呼び出されることが増えた。
内容は同じだ。
―――― あの娘はいつ戻るのだ?
それについて、明確な答えを持たない俺は、いつも、トルクスタン王子殿下に確認するようにと答えている。
実際、分からないのだ。
シオリ嬢が回復のために国に戻っていることも、トルクスタン王子殿下から聞いたほどなのだから。
あの時、シオリ嬢は見知らぬナニかに連れ去られた。
―――― 悪いけど、二、三日預かるよ
―――― 死なせたくないなら、承諾しな
そんな捨て台詞から、連れ去ったのは彼女の命を助ける行為だったことは分かる。
セヴェロの反応からも、アレは恐らく、精霊族なのだろう。
そして、その後、トルクスタン王子殿下には連絡を入れたのだと思う。
トルクスタン王子殿下は俺と共に、当主たちの前で彼女の不在を告げているから。
尤も、その理由は魔法力の枯渇ではなく、体調不良ということだった。
生活環境の変化に加えて、陛下の魔力に中てられたのかもしれないと付け加えると、「魔力ではなく、振り回されてショックを受けたのだろう」と当主は返していたが。
あの仮面を付けた女性がシオリ嬢であることは早々に当主たちにはバレていたらしい。
いや、他家からの手紙で知ったのかもしれないが。
シオリ嬢が国に戻ったことに関しては、半信半疑と言ったところか。
彼女の家名も知らないのだから、出身国と想定されているセントポーリアに書簡を出すこともできない。
一庶民のために、セントポーリア国王陛下に直接、書簡を出すことも非常識だ。
セントポーリア国王陛下がそんな書簡を受け取ったとしても、庶民の名など覚えているはずもないのだから、意味が分からないだろう。
そのシオリ嬢の不在を確認するために、邸内への侵入者が格段に増えた。
だが、この地下にまで下りようとする勇気ある愚か者の数は少ないらしい。
この国では地下の部屋は、忌むべき部屋、お仕置きする部屋、罰を与える部屋であることが多いからだ。
しかも、勇気を奮い起こして地下に下りても、その先にいるのはロットベルク家の「呪われた黒公子」なのである。
この異名を恐れる者は、この国では少なくないらしい。
そして、そんな思いをしてまで来ても、本当に目的の女性がいるかも分からないのだ。
実際、カルセオラリアの王族は、一時的に国へ帰ったと言い切っているのだから。
だが、その異名も、若い世代には通じないらしい。
実際、俺が人間界へ行っていることを、知っているからだろう。
そして、その時に何もなかったのだ。
人間界での第五王子殿下の衰弱を、一時は俺のせいだと思い込んだヤツもいたようだが、明らかに別の要因があったことが分かっているから、その話は本当に一部に留まっている。
そんな世代は、強引にもこの地下へ向かおうとして……、俺やこの精霊族に排除されている。
相手は人間だ。
そのため、魔獣と違って手加減しなければならない。
難しいことだが、以前よりも魔法の制御がマシになっているようだ。
それに、ルーフィス嬢やヴァルナ嬢が第二王子殿下とその部下たちの対応する姿を見て学んだこともある。
倒さずとも、相手の戦意を喪失させること。
魔獣にはできないが、人間相手ならそれができるのだ。
寸止めは武器を持たない俺には無理だが、高威力の魔法を見せた上で、当てないことは可能である。
ルーフィス嬢とヴァルナ嬢にはまだ見せていないが、ここ数日、連射式洋弓銃の練習を始めた。
つまり、弓道ではなく弓術である。
そして、幸いにもこの国は弓術国家だ。
城下に行くと、意外にも洋弓銃が売られていることに気付いた。
今の時代、戦闘も魔法が主になっているため、弓は廃れたと聞いていたが、そうではなかったらしい。
尤も、弓道と違って師がいないため、完全に我流ではあるのだが、意外と当たるようだ。
精神鍛錬が目的である弓道は、実戦に向かないことは分かっていた。
弓道は弓道として鍛錬は続けるが、誰かを守るためには弓術の方が良い。
そして……、侵入者という練習には事欠かない、動く的でもある。
普通の部屋ならともかく、一階よりも下へ向かう階段に足を踏み入れ、そのまま進んでいる時点で、「迷った」、「間違えた」の言い訳は通じない。
ここに来てシオリ嬢の不在を確かめるだけが目的ならまだ良い。
俺はともかく、トルクスタン王子殿下の言葉を信じていない時点で、許し難いが。
だが、それ以外の理由……、兄や家人と同じようにシオリ嬢を害する目的があった時は、うっかり、的に矢が当たってしまうこともあるだろう。
和弓は数年嗜んだが、洋弓銃は、まだ手にしたばかりの初心者だからな。
未熟故、許していただきたい。
シオリ嬢が不在となった後、庇護しているトルクスタン王子殿下の方へ行く者がほとんどいなかったのは、家人がシオリ嬢の私室が地下にあることを漏らしたのだと考えている。
ただ地下のどこにあるかまでは分からないだろう。
この地下には家人ほとんど来ることがないから。
俺の私室と同じにしていると考えているかもしれない。
当主に許可を取ってはいるが、シオリ嬢が来てすぐに一室増やしているなんて考えてもいないと思う。
本当に信用できない使用人たちばかりだ。
そして、漏らしたのは身内ではないだろう。
先代当主夫妻はシオリ嬢を気に入った。
当主はシオリ嬢に利用価値を見出した。
兄は……、自分が手にできなかったモノを、易々と他者に渡そうとするとは思えない。
だから、初日、トルクスタン王子殿下が滞在されている部屋に一人で忍び込むなんて馬鹿な真似をしているのだから。
『まあ、これ以上は考えても仕方ありません。そろそろ出ましょうか』
「そうだな」
セヴェロに促されて部屋から出ようとして、一度だけ振り返る。
『珍しい。不安ですか?』
「ああ、この部屋を留守にするのが怖いなんて初めてだ」
これまで、何度も無人になっているというのに。
『そうですね。跡形ぐらいは残っていてくれると良いのですが……』
セヴェロが肩を竦める。
恐らく、そこまで酷い状態にはならないだろう。
「一体、何人の人間がこの階段に転がることになるんだろうな」
「普通なら、一人目で異常を察して引き返す気がしますが、この国は平和ボケしているから難しいでしょうね」
この階段にはトルクスタン王子殿下の厚意によって、これまでとは違った結界が張られている。
いや、正しくは張られるようになる……か。
俺がこの扉を出ることを合図に、始動するものだ。
何でも、正しい手順で扉を開閉すれば問題ないのだが、少しでも間違えてしまうと罠が作動するらしい。
そして、その罠は一種類だけではないと聞いている。
それも、トルクスタン王子殿下の配下の性格が悪い男が考えた嫌がらせのような罠とのことだ。
うっかり手順を間違えても、扉を閉めることでもう一度やり直すことは可能とも聞いているが、何も知らない侵入者がそんなことを知るはずもない。
手順を間違えて扉を開けた時に、この階段が赤く染まるために、失敗が見た目でも分かるようになっている。
警告の色を青ではなく、赤にしたのは理由があるのだろうか?
いや、侵入者たちもその色にはギョッとするだろうから問題はないが。
できれば、罠に嵌る前に、引き返していただきたいと切に願うばかりだ。
『どんな罠なんでしょうね~。ワクワクします』
「お前は呑気だな」
『え~? 気になりません? 今日が初でしょう? つまりは、記念日ですよ、記念日』
この罠は、シオリ嬢がいなくなった後、そのお詫びとして、付けられた機能である。
「確かに初披露ではあるが、記念日と言うほどではないだろう」
トルクスタン王子殿下は何も悪くないはずなのだが、やはり、俺に一言もなく、国に帰してしまったことに対して、紹介者として申し訳ないと言われては、それを受け取らないわけにはいかないだろう。
それにお詫びは口実だと思っている。
それだけ、シオリ嬢に対する守りを増やす必要があるのだろう。
それは同時に、彼女はここに戻ってきてくれるということでもある。
それが分かっているだけでもありがたいのだ。
「行くぞ」
『承知しました! 部屋の無事を祈りましょう!!』
俺たちはそんな会話をしながら、通路の仕掛けを作動したのだった。
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