存在自体が非常識
『アーキスフィーロ様を見殺しなんてしたら、シオリ様の怒りを買うことになるでしょう。ボクは、自ら殺してくれと望むような目には遭いたくないですからね』
そんな物騒なことを精霊族は口にする。
「シオリ嬢はそんなことはしないだろう?」
心優しく虫も殺せないような雰囲気を持つ女性。
それなのに、満開のヴィーシニャを見て涙する感受性豊かな面もあることも知った。
そんな女性が、何かに対して、どんなに怒りを覚えたとしても、相手が死を懇願するほど残酷なことをするとは思えない。
『おや? 自分なんかのために怒りを覚えるとは思えない……とは言わないんですね?』
言われて考える。
「なんとなく、シオリ嬢は知っている誰かを見捨てるような真似は許さない気がした」
『まあ、そうでしょうね。アーキスフィーロ様のその感覚は間違ってはいないと思いますよ。あの方、我が儘お姫様ですからね』
「我が儘お姫様?」
その言葉に違和感を覚えた。
お姫様という言葉の方は分かる。
ずっと大切に護られて育ってきたのだろう。
あの穢れの無さと無防備さは、人間の害意を知らないとしか思えない。
だが、我が儘?
そうは思えなかった。
少なくとも、贅沢を知る他の貴族令嬢たちとは違って、かなり強く自分を律していると思う。
『はい。シオリ嬢は我が儘で、強欲ですよ。あの方、自分が望めば何でも適うって思っているんじゃないですかね』
「強欲……」
やはりそうは思えない。
欲する物がほとんどなく、遠慮がちで、無欲過ぎるために、こちらが心配になるほどだった。
専属侍女であるルーフィス嬢とヴァルナ嬢が準備をしなければ、彼女は着飾ることもしない気がする。
「俺はそう思えないのだが……」
『そうですか? 婚約者候補の件だって、アーキスフィーロ様は一度、断ろうとしていたのに、強引に入り込みましたよ? しかも、「候補」と付けることで、アーキスフィーロ様だけでなく、周囲の態度も軟化させています』
「それは交渉が巧いだけだろう?」
カルセオラリアに打診して、来てくれるのは0他国の魔力が強い庶民の娘だとされていた。
それについて当主も先代当主夫妻もあまりよく思っていなかったようだが、トルクスタン王子殿下に連れられて、この家に現れたのがあのシオリ嬢である。
魔法勝負で兄を圧倒したことも、俺の魔法に耐えられる体内魔気の強さも先代当主夫妻に評価され、さらには「候補」と付けて、当主も受け入れた。
『出不精のアーキスフィーロ様が登城する原因もシオリ様でしたよね?』
「あれは、ローダンセ国王陛下に気に入られてしまったせいだ」
シオリ嬢は悪くない。
いや、庶民を同行させることを許可させただけで十分だろう。
それ以上に、城内であれば王族を力で排除できるという特例措置まで取り付けていたトルクスタン王子殿下の手腕の方に驚いたが。
『あの紅い髪の友人……、友人かは分かりませんが、魂を捧げる行為をしている。あれもかなりの我が儘ですよね?』
「あれは……」
我が儘とは違う気がする。
だが、思い出されたのは、二人の影が重なった瞬間だった。
『はいは~い。思い出しただけで、暴走するのは、止めてくださいね』
ひやりとした水が自分に触れる。
「暴走などしない」
『それは良かった』
セヴェロは笑った。
『まあ、シオリ様が願えば、人間と契約していない精霊族たちは、隷属の意思を見せるでしょう。それだけの力があの方にはあり、それを跳ね除ける力を精霊族は持っていませんから』
「精霊族が? 契約もしていないのに?」
いや、契約をしていても、目の前の精霊族のように思い通りになることはない。
だが、隷属?
それは服従よりも深いものではないだろうか?
『もしかしたら、精霊族ばかりか、魔獣でも従えそうですよね、シオリ様』
「馬鹿を言うな」
流石に今のセヴェロの言葉は聞き捨てならなかった。
「魔獣に言葉は通じない。人間に逆らわない召喚獣にするには、弱らせた上で、それ専用の魔法や道具と……」
『いやいや、アーキスフィーロ様? シオリ様にそんな常識が通用すると思いますか?』
俺の言葉を遮って、セヴェロはいつも以上に、にこやかに笑う。
「それだけ聞くと、シオリ嬢が常識外れのようではないか?」
俺が知る限り、シオリ嬢は常識人だと思っている。
少なくとも、目の前にいる精霊族よりはずっと常識的な思考……、いや、お人好しな面が目立つ。
自分の命を懸けてまで他者を救おうとするのは、人間界で聖人と呼ばれた人間ぐらいだろう。
『シオリ様の考え方は、割と常識よりですよ。どちらかという存在が非常識なんですよ』
だが、セヴェロの言葉は輪をかけて酷いものだった。
『あの方が普通の女性枠に収まってくれたことがありますか? この国に来て二ヶ月ちょっとですが、何度我が目を疑うようなことが起こりました?』
「それは……」
我が目を疑うようなことは、割と頻繁に起こっている気がする。
俺が人間界から帰って三年余り。
その中で、最も濃い二ヶ月だ。
だが、それは何もシオリ嬢のせいだけではないだろう。
トルクスタン王子殿下を始めとして、あの方が連れてきた専属侍女も十分、常識の枠に収まってはいない。
『つまり、こちらも常識的な考えをぶん投げるべきなのです』
「待て、それは絶対違う」
常識的な考えをぶん投げるな。
『怒りで我を忘れた魔獣に対して、『森へお帰り!』ぐらいは言う女性でしょう?』
「ちょっと待て? それはどこかで聞いた話が混ざってきたぞ?」
アニメには興味を持てなかった俺でも知っているぐらいの名作アニメ映画にそんな場面があった気がするが、それを何故、お前が知っている?
『ニンゲンカイって怖いですよね~。あんな異形の魔獣が蔓延る世界なんですよね?』
「お前は分かっていて言っているだろう?」
そして、その姿まで知っているのは何故だ?
読めるのは心であって、頭の中の映像ではないはずだよな?
『はい、勿論。人間の想像力ってステキ、と思っております』
どこまで本心か分からない言葉を笑顔で吐く。
信用ならない精霊族ではあるが、そんな相手しか頼れない状況である。
「馬鹿なことを言うな。存在が非常識……は、流石に言い過ぎだ」
『言い過ぎですかね~? シオリ様を深く理解している方々には賛同していただけると思うのですが?』
さらには、したり顔でそんな腹立たしいことを口にする。
それだけ聞くと、俺が何も理解していないようではないか。
確かにシオリ嬢がこの家に来てから、いろいろあったことは認める。
魔法耐性を図るなどと偉そうなことを言っても、動揺することなく受け入れ、耐えきってしまった。
俺は覚えていないが、魔力の暴走を引き起こした時も、あっさりと俺を倒してしまったと聞く。
兄の非常識な申し出も、堂々とした態度で断り、更には相手から持ち掛けられた勝手すぎる勝負も短時間で明確な勝利を収めている。
その後の家人たちの企みや兄の恥知らずな行動には、腹立たしい限りだった。
シオリ嬢以外の貴族令嬢だったならば、心に深い傷を負っていたことだろう。
トルクスタン王子殿下の有能な侍女たちを二人も専属侍女とすることはできたし、俺の私室の一部をシオリ嬢の部屋とできたのは悪くなかったが、それは結果論でしかない。
書類仕事でも随分、助けられている。
家の嫌がらせのような書類から、城での風変わりな内容の書類まで、かなり力を尽くしてもらった。
デビュタントボールでは、陛下から円舞曲中に投げられ、宙を舞うことになっても動揺することなく自分を律し、終始笑みを絶やさなかった。
彼女はこの国の人間ではないのに、早く馴染めるようにと円舞曲まで練習してきてくれたのだ。
花の宴では、第二王女殿下が突如としてふっかけてきた無理難題にも多くの人間を味方にして乗り越えてしまった。
陛下からの登城要請も、機転を利かせて対応してくれた。
本当ならば、俺が彼女を庇う立場だったはずなのに、逆に守られてしまったことが情けない。
その後、第二王子殿下を魅了し、第四王子殿下の要求にも応じている。
彼女が中学時代に描いた絵を何度か見たが、あの頃よりも、その技術が上がっていると感じた。
写真のような絵から、可愛らしいイラストまで幅広く描けるらしい。
更には、あの仮面舞踏会だ。
陛下の誘いも受け、次々と様々な人間を相手に円舞曲を踊った。
中でも、最後に踊った曲については聞いたこともなかったのだが、その後、俺の元へ届けられた手紙によって、人間界のものだと知った。
―――― 結婚ワルツ
そんな表題がついたあの曲を、あの紅い髪の男はどんな気持ちで彼女と踊ったのだろうか?
極めつけがその後だ。
事情の全ては分からなかったが、あの紅い髪の男を助けようとして、シオリ嬢は不思議な魔法を使った。
人間界で聞いた覚えがある祝詞と呼ばれる文言を唱えた後に使ったアレは、封印魔法の一種だとセヴェロは言う。
それらの一つ一つは他の人間でもできることだろう。
俺の魔法に耐えられる人間は少なからず存在するし、魔力の暴走を制圧することだって難しい物ではない。
それ以外のことだって、他の人間でも可能だと思う。
だが、その全てが一人の人間によるものだと思えば、確かに首を捻りたくなる。
それでも、「彼女の存在自体が非常識」という言葉にやはり、賛同はできないのだけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




