青の令状
目を閉じれば浮かぶのは黒髪の女性。
少し前までは、その瞳は青い女性だったのだが、ここ数日は黒く大きな瞳をもつ女性へと変わっている。
ほんの二ヶ月。
たった二ヶ月で、あの女性は俺の内側に入り込んでしまった。
俺の境遇を知り、怒ったり、泣きそうな顔になったりする優しい心を持ちながらも、俺に責務を果たせと厳しいことも口にする。
自身の世話をしてくれる侍女たちに対して感謝をし、頭を下げずに礼を言う。
あれだけ優れた侍女を持ちながらも、必要以上のことはさせないし、彼女たちの意思を尊重する貴族令嬢としては珍しい女性。
『――――様! アーキスフィーロ様! アーク!!』
そんな頭に響く声がする。
『女のことを考えて、ボーッっとしないでください!!』
もう聞き飽きた口が悪い従者の声。
『聞き飽きたなら変えますよ。シオリ嬢の声で良いですか?』
「良いわけあるか」
無視し続けるつもりだったが、思わずそう返答してしまった。
『やっと、反応した』
口が悪い従者……、俺がセヴェロと名付けた精霊族は満足そうに頷いた。
『本当に行くのですか?』
呆れたように俺を見るセヴェロ。
『青の令状だ。行くしかないだろう』
少し前、俺の元に直接、伝書が届いた。
それも普通の伝書ではなく、真っ青な封筒に国章、王家の紋章、国王の印章と三つ並んだ封緘紙を貼りつけられた「青の令状」と呼ばれる大変、有難くない王命である。
これに逆らうことは、王家に叛意があると見なされ、邸内に調査隊が押し入り、家人が生活する場所だけでなく、空き部屋など含めて徹底的に家探しされると聞く。
当主ならともかく、たかが貴族子息に宛てるにはおかしなものでもある。
だが、中身を見て、納得した。
―――― 即、審査門から北東10キロメートル周辺を調査し、その付近に生息する魔獣を駆逐せよ
指定された場所の近くに村を含めた集落はなかったはずだ。
恐らく、その付近に危険な魔獣が目撃されたのだろう。
距離と方角が指定されていると言うのはそういうことだ。
そして、この命令に関しては、ロットベルク家当主や長子は全く役に立たない。
だから、俺が絶対に出なければならないものということか。
『緑髪と濃藍が数日、活動しなくなっただけで、すぐこれですよ? この国も終わりましたね』
「セヴェロ」
『はいはい、不敬不敬』
俺が睨んだところで、この精霊族には全く効果がない。
「今回の魔獣退治の依頼の何が気に食わないんだ?」
明らかに不機嫌な顔を崩さない精霊族に確認する。
いつもはここまで突っかかることはないのに。
『いつもと違うからですよ。これ見よがしに真っ青な状袋に入れた、簡潔で反論を許さない命令書。しかも、その方向は明らかに肌にピリピリ突き刺さってくる嫌な気配がします。十中八九、厄介事ですよ』
さらにはそんなことを言うものだから……。
「王家からの指令や命令で厄介ではなかったことなど、これまでにあったか?」
俺がそう言うと、ようやく押し黙った。
王家からの書簡のほとんどは、厄介で、面倒で、こちらの都合を全く考慮しないものばかりである。
今回もそうだった。
魔獣退治は普通、入念な準備が必要だ。
それなのに、すぐに行けと命令されている。
俺に予定がないと思われていたのかもしれないが、なんとも間の悪いことである。
「トルクスタン王子殿下の従者には申し訳ないことをしたな。折角、俺なんかに会いたいと言ってくれたのに、その先約を破って、王命を優先することになってしまった」
トルクスタン王子殿下の従者より、面会の要請が入っていたのだ。
貴族子息としてまともな社交をしていない俺にとっては、珍しいことであった。
だが、今回の王命によって、その邪魔をされたのだ。
トルクスタン王子殿下を通して謝罪はしているものの、本当ならば対面して頭を下げなければならない。
だが、王命は「すぐに行け」だった。
トルクスタン王子殿下が上手く伝えてくださっていれば良いのだが……。
『あ~、そうですね。後が怖そうだ』
「怖い?」
トルクスタン王子殿下のよく見かける男性従者は二人いるが、どちらも隙はない印象がある。
だが、手強そうなイメージがあっても、怖さはない。
『いや、あの人。ルーフィス嬢と同種ですよ』
凄く嫌そうにセヴェロはそう言った。
黒髪の従者と、シオリ嬢の専属侍女の一人である翠玉色の髪色をした女性を思い出す。
その立ち姿に隙はないし、優能な雰囲気を漂わせているが、見た目の性別が違うためか、あまり同類とは思えない。
それでもさらに共通点を探ろうとすれば、眼鏡をかけている……ぐらいだろうか?
よくよく思い出してみれば、トルクスタン王子殿下が連れている従者も侍女も、眼鏡をかけているな。
シオリ嬢の専属侍女となったルーフィス嬢も、その妹のヴァルナ嬢もトルクスタン王子殿下からの紹介だった。
そして、いずれも眼鏡をかけている。
「トルクスタン王子殿下の従者は眼鏡をかけることを義務付けられているのだろうか?」
偶然にしては、眼鏡の使用率が高い気がする。
トルクスタン王子殿下の趣味だろうか?
『今、考えるべきところはそこじゃないよな?』
口の悪い従者は、俺に向かってそう言った。
「そうだな。早く行かねば」
『やっぱり、行くんですね』
「行く」
それ以外の選択肢が今の俺にあるはずもない。
セヴェロが大きく肩を落としたのが見えた。
「引っかかるのだ」
『引っかかる?』
「これだ」
俺が別の封書を取り出すと、セヴェロは露骨に顔を顰めた。
その表情は、仮にも仕えている人間の前でしてはいけない種類のものだろう。
「読め」
『え~? それって、アレでしょう? しつこい誘い。これがなんだって……。あ?』
面倒くさそうな顔をしながら、読みだしたセヴェロの声と目が止まった。
『これは……?』
「少しのズレはあるかもしれないが、大体は同じだろう?」
「そうですね」
その手紙に書かれていたのは、今回、王家から出された命令の位置とあまり変わらない場所が指定されていた。
―――― 二ヶ月ほど城から北北東18LM付近で、魔獣退治に付き合って欲しい
王家から示された位置は審査門から北東10LM。
その手紙は城から北北東18LM。
完全に同じ位置ではないだろうが、そこまで大きなズレはない。
この手紙は、ロットベルク家にシオリ嬢が来てから届くようになった。
だから、俺を家から引き離そうとしていたのかと思っていたのだが、違うらしい。
「これが偶然だと思うか?」
『いいえ、罠ですね』
俺の問いかけにセヴェロははっきりとそう言った。
「お前……」
『いや、面倒な王命と、面倒なお誘いの一致! 面倒×面倒! 面倒を超えた面倒で、超! 面倒!! これは罠以外ありえないでしょう!?』
「そんなに面倒を連呼するな」
ただでさえ気乗りしないのに。
「内容的に、王家が持て余すほどの魔獣がいることは間違いないだろう?」
俺よりも先に、あちらに依頼が行ったと考えるべきだろう。
だから、協力を要請した。
それを俺が無視し続けたから、俺宛に直接、王命が出されたのだと思う。
『え~? 行くんですか?』
「罠でもなんでも放っておくことはできない。この国で魔獣退治ができる家や人間など、多くはないのだ」
王族を除けば片手で足りるほどだろう。
我がロットベルク家も、武勇を馳せた先代当主は高齢であり、現当主は若い頃に数回、魔獣退治に行ったきりだと聞いている。
それだけ、この国に集まってきた魔獣退治屋たちに、任せすぎたのだ。
だから、少し、手強い魔獣、変異体が現れただけで慌てることになる。
『限られた人間に全てを押し付けてきた結果でしょうに。貴方が割を食う理由にはなりませんよ』
「だからと言って見捨てる理由にもならない」
俺はこの国で生まれ育った。
だから、この国が望むなら動くのは当然である。
『分かりました。ちゃっちゃと行って、片付けましょう。ただし! ボクだって、命は惜しい。不利と判断したら、とっととズラかりますからね?』
「ああ、それで構わない」
一人でも行けるだろう。
だが、万が一のことがあれば、知らせる者が必要だ。
この精霊族が付き従うようになったから、俺は、周囲に声を掛けずに魔獣退治ができるようになったのだから。
『言っておきますけど、無理だと判断したら、貴方が戦闘中でも、首根っこをひっ捕まえて、ふっ飛ばしますから覚悟しておいてくださいね』
「……首根っこ? ひっ捕まえて? ふっ飛ばす?」
何故?
『当たり前でしょう? あんた、精霊族との契約をなめてんのか? 契約相手であるあんたに死んでもらっちゃ困るんだよ』
有無を言わさず契約しろと迫った精霊族はそんなことを口にする。
『それに……、アーキスフィーロ様を見殺しなんてしたら、シオリ様の怒りを買うことになるでしょう。ボクは、自ら殺してくれと望むような目には遭いたくないですからね』
さらに、口調を戻した上で、そんな物騒なことを言うのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




