言うべきか、言わないべきか
「それで、栞にはどうする? 結局、『集団熱狂暴走』のことは伝えないのか?」
「伝えたくはない」
「つまり、伝えるんだな」
俺の言葉を受けて、弟はあっさりとそう言った。
「『伝えない』ではなく、『伝えたくない』んだろ? その時点で、兄貴は嫌々ながらもそうせざるを得ないって分かっているってことだ」
感情の読みにくい表情のまま、記録に目を通しながら言葉を続けていく。
「オレも大神官猊下の予測は的確だと思う。栞をここに置いたままでも、『ヴァルナ』の身に何かがあれば、絶対に気付くし、何も考えずに飛び出すだろうな」
「随分、自分を高く見積もっているな」
「そんなんじゃねえよ。ただの事実だ。栞に性格を考えれば、そうなる。兄貴も分かっているから、ここまで書いているんだろう?」
その通りだ。
弟の自惚れでも何でもない。
「主人がここに残り、お前がローダンセにいても気付くと思うか?」
「気付く。オレもローダンセにいたのに、栞がここにいることに気付いたから」
そう言うが、主人と弟の感覚が同種のものかは分からない。
何より、弟は主人に対する執着がある。
主人の方はどうだろう。
ないとは言えない。
熱量や方向性は違う気がするが、少なくとも俺と弟を手放したくないと願う程度には思ってくれるようになったから。
「『ヴァルナ』に、何事も起きなければ問題ないとは思わないか?」
「思わない。オレは過信しない。治癒魔法があっても、怪我する時はする」
それはまるで、怪我することが前提の話である。
そんな覚悟は必要ない。
「それなら、お前と二人でここに残すか?」
俺がそう言うと……、一瞬、本当に一瞬だけその顔を綻ばせたが……。
「それもやめた方が良い。水尾さんに何かあった時、どう弁解をする?」
すぐにその顔を引き締めた。
「…………視たのか?」
先ほどから妙に断言する。
推量ではなく推測でもない断定の言葉。
それならば、未来視が働いていてもおかしくはない。
「み……?」
だが、俺の言葉の意味を掴みかねたらしい。
眉を顰めて……。
「ああ、違う。そのことについては夢で視てねえ」
俺の言葉を否定した。
「そうだろうな」
「あ?」
「集団熱狂暴走を夢に視ていたなら、今の反応はない」
反応が遅れたと言うことは、そう言うことだ。
真偽を見定めるまでもない。
だが、「そのこと」?
別の夢は視たということだろうか?
そこが引っかかったが、弟が報告していないのなら、大したことではないと判断したか。
あるいは、言いたくもないほどの悪夢だったかのどちらかだろう。
夢視はどこまでが真実か分からない。
六感に訴えてくるほど現実と錯覚するほどの夢がどこまで本物かなんて、過去に戻れないのだから確認できないし、その未来が来るまでは判断のしようもないのだ。
「単純に、ヤツが水尾さんの身を案じた。つまりは、それだけ危険ってことだろ?」
「そうだな」
俺たちは主人の夢の中で、集団熱狂暴走の情報を得た。
主人をよく知る男によって。
その全てが正しいかも分からないが、少なくとも、あの状態の主人に害を齎すようなことを口にする意味はないだろう。
「水尾さんの身に何かあれば栞が気に病む。ただそれだけのために、ヤツは、あの場所に居合わせたオレたちに伝えたのだと思っている」
弟ははっきりとそう言い切った。
それだけ主人の夢の中に現れたあの紅い髪の青年のことを信じていると言うことらしい。
奇妙な話だ。
弟にとってあの青年は恋敵であり、主人の身を狙う相手でもあるのに。
それでも、どこかで強く信頼している。
俺はそこまであの青年を信じることはできない。
主人を害しようと狙う国の王族。
それが、国王であり父親でもある人間の意思に、どこまで逆らい続けることができると言うのか?
「これらを見た限り、ローダンセの城下近くに、集団熱狂暴走の兆候があることは間違いないんだろ?」
「そうだな。大神官猊下も、アリッサムの第二王女殿下、第三王女殿下も同じ結論を出しているから、その点において間違いはないと思っている」
「それなら、答えは簡単だろ?」
俺の答えを聞いて、弟はあっさりと結論を口にする。
「栞にはちゃんと話す。その上で、ヴァルナが水尾さんの補助をして、ルーフィスが栞を護る。それが一番、マシじゃねえか?」
だが、その意見に対して……。
「阿呆」
そんな言葉しか返せなかった。
「あ?」
「主人に話していたところで、ヴァルナに何かあれば同じことだ。ルーフィスの制止を振り切って、主人は飛び出してしまうだろう」
「いや、そこは止めろよ、専属侍女」
呆れたようなようにそう言うが……。
「逆に聞こう。お前なら、主人を止められるか?」
「無理だな」
それが全てだ。
主人が本気になれば、止めることなどできない。
「俺は言われたことがある。指示に従わずごねたら、『強制的な手段を使わせてもらう』とな。その時点で、俺もお前も本当の意味で抑止にならない」
―――― 強制的な手段を使わせていただきますが、よろしいですか?
崩れゆく城。
瓦礫などの破片が降りやまぬ中、俺は強い光をその瞳を宿した少女から、そう告げられた。
「そういう女だから、望みを妨げない方が良いんだよ」
だが、弟はそんなことを言った。
「事情を話して、妥協点を探した上で、栞が約束を破れば、それがあの女の負い目になる。その方が後々、罪悪感から無茶はしなくなるだろう。契約、約束事を一方的に破ることを良しとしない人間だからな」
それは酷く冷めた声で……。
「ヴァルナが怪我をしないなんて確約はできない。だから、傷を負ったぐらいで動くなとは言っておく。それだけで、栞はすぐに動くことを一瞬だけ我慢して、様子を見てくれるはずだ」
自分の身を担保に、主人の足止めをすると言う。
主人が迷うのは、弟が言うように一瞬だろう。
だが、その一瞬の猶予を与えられただけで、俺は十分動ける。
強制的な手段は人間界で言う言霊のようなものだ。
その言葉を口にしない限り、主人は俺たちに対して、強制命令権を執行することができない。
「あと、単純な意見として、見えない所に置くより、見える所に置いた方が、管理しやすい」
「お前、主人を物のように言うな」
「物の方がマシだ。少なくとも、勝手に動かない」
酷い言い草である。
尤も、そう言いたくなる気持ちも分からなくはないため、これ以上、余計なことは言わない。
「だが、その場合、お前の目が届く場所ではないぞ?」
そこは言っておく必要がある。
弟の考えを基本指針とすれば、主人とは離した方が良いと言うことになるだろう。
それをこの弟は気付いているのか?
「分かっている。でも、兄貴が栞を護ることに集中してくれるなら、オレは栞の大事な友人に手を貸すことができるだろ?」
俺が主人の守りに集中するのは当然だ。
だが、それはこの弟から集中力を欠くことにも繋がるのではないだろうか。
「そこは、お前が主人の大事な先輩を護るとは言わないんだな?」
俺がそう問いかけると……。
「オレが? 水尾さんを? 護る? どう考えても逆だろう? いやいや、ぜって~、オレの方が護られるだろ?」
弟は当然のようにそう言った。
「阿呆。単純に魔法が強いだけで、ウォルダンテ大陸の集団熱狂暴走がなんとかなると思うのか?」
「思ってねえよ。それなら、あの紅い髪がわざわざ栞の夢の中で、水尾さんに対して名指しも同然の形で気に掛ける理由にならねえだろ?」
俺の言葉にもそこまで感情的にならずに反論をする。
「オレにできる範囲なんて限られている。誰がどう見たって護られるのはオレの方だろう。だから、オレは水尾さんの手伝いをする。彼女の目が行き届かない所をカバーするだけでも全然違うだろう」
弟は事もなげにそんな言葉を口にしているが、この世界で、魔法国家の王女殿下の補助することができる人間など、一体、どれだけいるのかを知っているのだろうか?
生まれつき魔力が強く、その手から繰り出される魔法の数は千を超えるという。
王族として着飾った姿よりも、魔法を放つその姿に魅了される者は多い。
見る者全ての視線と自由を奪う魔法を持ち、国を守るために我が身を犠牲にして生きる禁欲的で高潔な魔法国家の第三王女。
これまで、その王女の手助けができる人間などほとんどいなかった。
だから、これまで主人や弟との模擬戦闘を見た限り、魔法国家の第三王女殿下が使う魔法は、周囲に配慮しないものばかりである。
視えない透明の炎は、当人以外にその位置が分からない。
大きな火の鳥はその周囲までも焼き焦がす。
炎の壁は誰も近付けない。
そんな魔法を何度も、何種類も見てきただけでなく、自分に向けられたことすらあるのに、それでも平然と接する主人や弟のような存在は、第三王女殿下にとって貴重な存在だろう。
「まあ、結論を急ぐことはあるまい。主人がここから離れることができるようになるのはもう少し時間を要する。どうするかはそれまで考えれば良い」
「それもそうだな」
俺の言葉に弟も頷く。
その上で……。
「だけど、集団熱狂暴走の話だけは、先にしておいた方が良いと思うぞ」
俺に向かって生意気にもそんな忠告染みた言葉を口にするのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
 




