悪戯の仕掛け合い
「懐かしいな~」
そう言いながら、次々と目の前の対象物を描く主人。
様々な角度から、学生服に身を包んだ俺や弟、そして周囲を描いていく。
この部屋に来てから主人に一番多く描かれているモノは、恐らく椅子だろう。
次いで机。
人間界の教室にあった机と椅子は、ずっと見てきたはずなのに、意外と細部を覚えていなかったらしい。
そして、誰かが座っている図と言うのは、意外と難しいらしい。
さらさらと描いていく主人を見ていると、とてもそうは思えないが、本人がそう言うのならそうなのだろう。
「なあ、兄貴」
書いた記録を纏めたり資料を作っていた弟が、少し離れた位置にいる主人に聞こえにくいように小声で話しかけてきた。
「なんだ?」
「興味の対象が制服を着たオレたちより、部屋の内装に移っていないか?」
「そのようだな」
弟もそこが気になっていたらしい。
「なんだろう? この敗北感に似た何かは……」
「そうか? 俺は勝った気分だが?」
「あ?」
これは、弟にはないかもしれない。
「自分が準備したもので、主人がいつも以上に夢中になってくれる。これ以上の何を求める必要がある?」
準備を整えたのは俺だった。
だから、弟はいろいろ複雑なのだろう。
あの笑顔は自分がさせたわけではない、と。
そこを自覚していたかは分からないが、恐らく、そういうことだと思った。
「ああ、そうか」
弟は自分の胸を撫でながら、そう呟いた。
「オレも栞が喜ぶことを考えるか」
そう言いながらも、筆記具を動かす手は止めない。
ある程度は考えているのだろう。
尤も、普段から、主人が喜ぶことを考えている弟だ。
俺ほど深く考えずとも、いくつか、案は持っているだろう。
暫く、紙の上を筆記具が走る音だけが聞こえる。
まるで、試験中の教室を思い出させる光景だった。
「はぁ……」
尤も、時折、熱の籠った主人の悩まし気な吐息が聞こえてくるので、全く違うのだが。
あんな声が試験中に聞こえれば、ほとんどの男子生徒が居心地の悪い思いをするだろう。
現に、弟はもどかしさを覚えるような顔をしていた。
だが、止める気はないらしい。
今よりも幼い弟の姿を見ながら、本当にその年代ではなくて良かったとも思っている。
13歳など、今よりももっと落ち着きがない時期だ。
肉体年齢も若返っているはずだが、その精神が18歳であるためか、幾分、マシな状態であるようだ。
いや、単純に誤魔化し方を知っているだけか。
第二次性徴に入り、数年も経過すれば、澄ました顔のまま、人に気付かせない技術も磨かれている。
何の話か?
男の事情である。
逃げ場のない教室で、困った思いをした経験がある男子生徒など、星の数ほどいることだろう。
一通り、周囲を描いて満足したのか、今度は俺たちを正面から描くことにしたらしい。
主人は椅子を引いて、席に着こうとして……、止まった。
その普通の行動も、懐かしさを覚えたのか、口元に笑みを浮かべて何度か椅子を出し入れしている。
ただ椅子を引く。
それだけのことでここまで喜ばれるとも思わなかった。
暫くそれを繰り返して、席に着いた。
そして、そこからじっと俺や弟を見ては、次々と絵に描いていく。
あの黒い瞳に捉えられて、居心地が悪くなるかと思えば、意外にも気にならなかった。
寧ろ、そんな瞬間的に見ただけで、そこまで詳細に描ける記憶力と技術が凄い。
これは才能だ。
本人は笑いながら、「誰でもできることですよ」と言うだろうけど。
身体強化で描く速度を変えることはできる。
だが、絵は早く描ければ良いというものではない。
どうしても、技術的な腕が必要となってしまう。
何度も描き続けることで磨かれるものは確かにあるが、それだけずっと描き続けることは難しいのだ。
そして、絵を描く時の主人は実に多様な表情を見せる。
描いている絵と似た表情になる時もあるし、楽しそうに笑っている時もある。
それを真正面という特等席から見せてもらえる機会は、これまで俺は弟ほど多くなかった。
弟だけでなく、俺に対しても、それだけ気を許すようになったということだろう。
悪くはない。
「そろそろメシ、準備する」
弟がふと顔を上げて立ち上がった。
キリの良いところまで進んだのだろう。
振り向きもせず、部屋から出て行く辺り、俺と主人を二人きりにすることに抵抗は全くないらしい。
当然だな。
トルクスタンが気にしすぎるのだ。
確かに魅力的な未婚の異性を前にして、全く意識をしない従者や護衛はいないだろう。
その対象を「魅力的」と思っている時点で一定ライン以上の好意があるのだから。
だが、そこで手を出すとなれば、全く別の話である。
その後始末を考えれば、大半の人間はそんな愚行に走ることなどできないだろう。
人間は集団熱狂暴走によって狂った魔獣とは違うのだ。
同時に、人間と言う種族は変に知恵が回るものだから、姦計を巡らせてしまう愚者がいることも否定しない。
「雄也。今、ちょっと良いですか?」
「ん?」
いつの間にか、主人が手を止めてこちらを見ていた。
「少しだけ、悪巧みに協力をお願いしたいのですが……」
どうやら、主人も少しそんな気分になったらしい。
わざわざ弟が席を立った隙を狙う辺り、その対象はヤツなのだろう。
あるいは、俺が協力しなければできないことのいずれか……か。
「どんな悪巧みだい?」
その話を聞くと、本当に可愛らしい申し出であった。
「これは、雄也の協力がなければできないことでしょう?」
「そうだね」
しかも、その標的は分かりやすく弟である。
だが、面白い、と思ってしまった。
今のヤツなら、確実に効果が高いだろう。
「じゃあ、お願いします」
「承知した」
言われるままに主人の願いを叶える。
「どうでしょう?」
「驚くと思うよ」
俺がそう答えると、主人は嬉しそうに笑った。
恐らく、この悪戯は大成功だろう。
ヤツにそんな心構えはないはずだから。
そして、同時にヤツも何か考えているはずだ。
俺が主人を喜ばせたからな。
別の方向……、多分、得意の料理で主人を驚かせようと思って席を外したのだと思っている。
こうしてみると、実に似た者主従だ。
――――― コンコンコン
入室の合図がした。
「良いよ~」
椅子に座って、そう言いながらも妙な緊張感を漂わせる主人。
それでは、体内魔気で伝わってしまうのではないかと思ったが、黙っておく。
緊張感は伝わっても、何故、主人がそんな気配を漂わせているかまではヤツに予測できないだろうから。
「メシ、できたから持って…………は?」
弟がそのまま固まった。
だが、同時に主人も固まった。
……俺も思考停止させたかった。
ヤツにしては思い切ったことをする。
だが……、随分と身体を張ったものだ。
「懐かしい! 給食着だ!!」
最初に硬直から解放されたのは、主人だった。
椅子から立ち上がり、嬉しそうに叫ぶ。
弟は、白い割烹着を身に着け、白い三角巾を被り、白い布製のマスクをしていたのだ。
人間界で言う給食当番の恰好である。
「流石に給食帽はなかったけどな」
押してきたカートには銀色の寸胴鍋。
更には、樹脂製の食器も載せられている。
ここで配膳をするらしい。
「お前こそ、その恰好は……」
「どう? 似合う?」
スカートの裾を持ち上げて、お辞儀をする。
「お前は、その恰好が似合わなかったことはねえよ」
「あら、嬉しい」
確かに似合っている。
三年と少し前に、俺も弟も、この姿の主人を見ていたから。
―――― 九十九がいない間に、南中学校の制服を出せますか?
主人は俺にそう囁いた。
これが悪戯らしい。
弟と再会した時に着ていた服。
こんな所は、母親にとてもよく似ていると思ってしまう。
あの方も、初めて自分が国王陛下に会った時に着ていた服を、同じ年頃だった自分の娘に着せて会わせようとしたのだから。
「その髪はどうなっているんだ?」
「雄也がやってくれた。短く見える?」
「おお。本当に切ったのかと思って、焦った」
どうせなら、本格的に。
主人は中学生活のほとんどは長い髪で過ごしていたようだが、弟と再会した日にバッサリと切っている。
だから、肩よりも長い髪の毛を短く見せる髪型に変えただけだ。
「九十九も白い給食着がお似合いだよ」
「褒められた気がしない。そして、嬉しくもない」
その恰好を褒められたことは嬉しくないというのは本当だろうが、主人が笑っているのは嬉しいのだろう。
「いやいや、エプロンも似合うけど、割烹着も似合っていると思うよ?」
弟は基本的に料理をする時にエプロン等はほとんどしない。
だが、主人の側にいる時は、気分でエプロンを付けている。
「……と、言うことで描いて良い?」
「食ってからならな。メシが先だ」
「それなら、その配膳姿も目に焼き付けなきゃ」
主人が真面目な顔でそう言うものだから……。
「好きにしろ」
弟は苦笑しながらそう答えたのだった。
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