【第136章― 小休止 ―】懐かしい姿
この話から136章です。
よろしくお願いいたします。
「中学生九十九も、高校生雄也も久しぶりで本当に嬉しい~」
53枚ほど絵を描いたことで気が済んだのか、主人は笑顔でそう言った。
まさにご満悦の顔である。
「喜んでもらえたようで嬉しいよ」
どこに行っても受け入れられてしまったのは、複雑である。
二十歳の学生服など、顔が良く演技力のある俳優しか許されないと思っていたのだが、身内の懐の広さに驚きを隠せない。
「いや、俺は十八だし、兄貴も二十歳だからな?」
そして、そんなどうでもいい部分にツッコミを入れる弟。
一体、いつからこんなに細かい男になったのだろうか?
「実年齢はともかく、その制服はその時代でしょう? その状態で例の若返りの薬を飲んだら、ピッタリじゃない?」
「ピッタリじゃねえよ。この制服は今の身体に合わせて少しだけ大きくしてるんだ。この状態であの薬を飲んだら、この学ランやズボンはさっきのお前ほどではないが、そこそこダボダボした姿になる」
この迂闊な弟に「藪蛇」という言葉を100回ほど書いて欲しい。
「え? それは、見たい」
「あ?」
「ダボダボの制服を着た九十九が見たい」
考え無しな愚弟の発言に、主人が反応してしまった。
「13歳の九十九がダボダボの制服を着ている図を残したい」
「は? そんな状態を描いて、何が楽しいんだよ!?」
「え? ダボダボの服を着た子って、可愛くない? わたし、結構、好きなんだけど?」
主人の台詞に言葉を詰まらせる愚弟。
まさに愚かな弟だ。
今のは「好き」に反応したのだろう。
「そ、そりゃ……、嫌いじゃない……、けど……」
さらに動揺からか、余計なことを口にする。
「そうだよね? 小さい子のダボダボって可愛いよね?」
「あ? 小さい?」
かつてないほど温度差がある会話を見せられた気がする。
主人は純粋に乳幼児が大きめの服を着ている姿を愛らしいと思っており、弟は……、まあ、別方向のことを考えたのだろう。
大きいサイズの服を着た主人……、とかな。
「え? 違うの?」
「違わ……、ない、けど……」
キキンッ!!
激しい金属音が耳元で聞こえ……、弟の全身を光が包んだ。
弟も顔を顰めたから、かなりの何かが視えたのだろう。
「栞ちゃん」
「はい?」
「13歳の俺には興味がない?」
「あります!!」
弟から俺の方に意識を向ける。
流石に今の流れは哀れだろう。
いや、主人の趣味を読み違えた弟が悪いのだが。
やはり恋情というものは、咄嗟の判断力を鈍らせてしまうことがよく分かる。
「でも、13歳九十九ほどゆとりはないと思うけど良い?」
13歳ならば、確かにこの学生服に身を包んでいた17歳の頃よりも小さいが、弟ほどの差はないだろう。
それほど、この男の成長期は俺よりも遅かったのだ。
「良いですよ。わたしは、見たことがない雄也を見てみたいですから」
言われて気付く。
主人の方は13歳の弟だけでなく、13歳の俺も見たことはなかったのだ。
「ただ二人が学生服なのに、わたしがこの恰好ってちょっと浮きますね」
「罰ゲームだから、浮いているのは俺たちなんだけどね。でも、栞ちゃんの制服は持っているよ?」
「へ?」
「あ?」
主人だけでなく、背後で一人反省会をしていた愚弟も反応した。
「中学時代の制服、入学予定だった高校の制服、それと千歳様の制服。どれが良い?」
「ちょっと待て? 千歳さんの制服ってなんだ!?」
事情を知らない弟は叫ぶが……。
「高校の……、入学予定だった高校のっ! 制服をお願いします!!」
それ以上に切実な声で主人が叫んだ。
「はい」
俺はずっと預かっていた箱を差し出す。
「これ……は……?」
「栞ちゃんが合格していた北高校の制服だよ。採寸までしていただろう? 千歳様が、折角、合格したのだからと購入されたんだ。この世界に来る前に、手に入って良かったよ」
だから、この世界に来る日を制服が出来上がる以降まで待ったというのもある。
主人も、制服の採寸に行ったのだから、どこかに未練はあったのだろう。
いや、この世界に来ることを本当に寸前まで悩んでいたのかもしれないが。
「そう……、ですか……」
主人が箱を受け取る。
箱の外からでは分からない。
それでも、この場ですぐに開けようとはせず、箱の表面を震えながら見つめていた。
「サイズはそこまで大きく変わっていないよね? 隣で着替えてくると良い」
「はいっ!!」
更衣魔法で着替えるのは風情がないだろう。
俺が促すと主人は嬉しそうに返答し、そのまま部屋から出て行った。
「さて……」
それを見送った後、一言漏らすと、弟が反応する。
「悪い」
俺が何かを言う前に、謝罪を口にしただけマシか。
「本当にな」
俺は大きく息を吐く。
「だけど、あの流れは……」
「顔に出すな。体内魔気にも、だ」
「気を付ける」
言い訳など聞きたくはない。
「主人が戻ってくる前に薬を飲むぞ」
「ああ」
そう言って、互いにそれぞれの量を飲む。
「うおっ!? マジででけえ……」
「13歳のお前が小さすぎただけだ」
13歳の弟と18歳の弟では、その身長差は20センチ以上あるのだ。
Sサイズの男がLLサイズの服を着れば、そうなるだろう。
対して、俺の13歳時代と、この制服を着ていた17歳の時の身長差は15センチ弱ぐらいか。
こうして、当時の制服で確認すると、やはり大きさの違いははっきり分かるな。
「小さい、小さい……か」
弟は何やら呟いている。
「あの流れで、兄貴は誤解しなかったか?」
「お前ほど煩悩に満ちてない」
「いや、だって……。ああ、うん。煩悩だ。煩悩しかなかった」
誤解する気持ちは分からなくもない。
そして、弟も素直にそれを認める。
「その上でアホなことを言って良いか?」
「内容による」
13歳の容姿だが、中身は18歳だ。
あまりにも阿呆な言動をされたなら、うっかり捻り潰したくなるかもしれない。
だが、俺に許されたと思ったらしい。
「好きな女が自分の服を着るって、破壊力が凄え」
愚弟は頭を抱えながら、本当に阿呆な発言をした。
だが、捻り潰したくなるほどでもない。
俺が同じような状況になることはないだろうが、その心理としては想像できなくもない話である。
「そもそも、なんで、学ランを奪われたのだ?」
「奪われたというか……。栞が『着てみたい』と言ったから、貸したんだよ」
剥ぎ取られたわけではなかったらしい。
「そしたら、アレだ。いろいろ考えなければいけないこととかも、綺麗さっぱり吹っ飛んだ」
「学ランで吹っ飛ぶとは、なかなかマニアックな嗜好だな」
好みとしては、一般的ではないだろう。
「学ランでコレだ。オレのシャツとか着たらどうなることか……」
「俺は何を聞かされているのだ?」
そして、この男は水尾さんに自分の服を着せた時はここまでの反応がなかったのだから、誰でも良いわけではないのだろう。
「なんだろう? 非日常? よく分からないけど、栞がオレの服を着る機会なんてこれまでなかったから、そんなありえない状況に混乱しているところで、あの女は照れたように笑うんだよ。ぶかぶかのオレの服なんか着て、嬉しそうに」
その顔が目に浮かんだ気がした。
「絵の資料ってことは分かっているんだ。オレはそこまで自惚れる気はない。オレが出かけて、兄貴が同じことをしても嬉しそうに笑うってことは分かっている。それでも、こう胸が擽られるんだから仕方ねえ!!」
グダグダ言っていたものの、胸を押さえながら開き直った。
だが、兄としては一言、言わねばならぬことがある。
「共感する部分が全くないとは言わんが、それでも、返された服の香りを嗅ぐ行為は男としてどうかとは思うぞ?」
「うぐっ!?」
愚弟は胸を押さえたまま、屈みこんだ。
「いや、その、返された時、自分が着ていた時とは違う匂いがした気がして……、思わず、嗅ぎました。ごめんなさい……」
徐々に小さくなっていく声。
「俺に謝ってどうする?」
そして、そんなに後悔するぐらいなら、何故、するのか?
人間は過ちを犯す生き物だから仕方ないと言いたいが、血の繋がっている弟の愚行だから、看過できなかった。
「栞は気付いていたか?」
「気付いていたなら、虫を見るような目でお前を見ていたと思うぞ」
男側からすればそのような行動に賛否はあるだろうが、女性からすれば不快な行動ではあるだろう。
「それは、液体洗剤をぶちまけられるということか」
もう少し深刻に悩むかと思えば、存外、余裕はあるらしい。
液体洗剤は、例の召喚魔法だな。
主人相手にこの弟が虫を召喚したら、それで反撃されたことがあった。
「頭から爪先までしっかり洗浄してもらえ。煩悩塗れのお前には似合いだ」
俺がそう答えると、不服そうな顔をする。
だが、煩悩に塗れていることは否定しないらしい。
「あーっ!! クソッ!! これは気合でなんとか直せるものなのか!?」
「知らん。衝動による愚行には、個人差があるだろうがな」
「だよな~!?」
分かっていて確認したらしい。
俺と弟でも、その衝動自体が違うのだから、答えを出しても参考にすらならない。
「本体にはやるなよ?」
「既に手遅れかもしれない」
「変態に治療法はないな」
既にやってしまった後なのだろう。
それでも、主人に気付かせないようにはしているということか。
「どうしても衝動が抑えられないのなら、別の理由でも考えておけ」
「別の理由?」
「制御方法がないのなら、対処方法を考えるしかあるまい」
ゼロにできないのなら、その影響を最小限にする方法を考えるべきだろう。
「香りを確かめているところを見つかりうっかり咎められたなら、体内魔気や残留魔気の確認とでも言っておけ。主人ならそれで納得する」
「確かに」
素直だからな。
俺や弟の言動は、許容範囲までなら見逃してくれる。
尤も、全てを許すわけではないが、妥協はしてくれることだろう。
「それでも嫌がるような様子ならば、生理的嫌悪というやつだ。止められないなら、大人しく嫌われてしまえ」
「胸が痛むような言葉を重ねるなよ。好かれなくても、嫌われたくはねえんだ」
そんな情けない顔をしながら、情けない言葉を吐く愚弟を見ていると、やはり、恋情など邪魔なだけだなと俺は思うのだった。
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