常に最悪の事態を想定する
「お前は、この大陸のスタンピードを防げると思うか?」
トルクスタンは真面目な顔をしてそう言った。
先ほどまで阿呆な会話をしていた人間と同一人物とは思えない。
だが、優先順位が違うと思うのは俺だけだろうか?
「分からん。俺は魔獣の専門家ではない」
だから、集団熱狂暴走のことを今更調べているのだ。
理解していると思っていたことを、実は全くその本質を知らずにいた自分を恥じ入るばかりである。
「俺自身、集団熱狂暴走は、十年前、シルヴァーレン大陸で体験した一度きりだ。兆候段階の魔獣退治に出たこともない」
人間界での生活もあったため、それらとタイミングが合わなかったことが大きいだろう。
そして、魔獣に対する学びも、対処方法が中心である。
その特性も生態系も理解しているつもりではあったが、相手は生身だ。
それらが変化することを失念していた。
その最大の変化、変質が集団熱狂暴走だ。
だが、その集団熱狂暴走については、関わることはないとどこかで思い込んでいたのだろう。
国の上部が対応する自然災害だからと決めつけて、ほとんど調べもせずに放っておいた。
だから、それに関する情報は、誰でも知っているような上っ面のものしかなかったのだ。
反省すべき点しかない。
「だが、その集団熱狂暴走を何度も兆候段階で押さえ込んだ経験を持つルカ嬢が発生一月前と思われる現時点で焦っている。つまり、このまま放置すれば、甚大な災害が起こる可能性はあると考えていた方が良いだろう」
何も起こらないなど、楽観的な考えは持たない方が良い。
常に最悪の事態を想定する。
災害はそう考えて動くべきだ。
「お前もローダンセでは防げないと思っているのか?」
「防げない。お前が知らせるまで兆候に気付いていなかったような国だぞ? 変な希望を持たない方が良い」
それが下手な芝居ではない限り、集団熱狂暴走の対策そのものがない可能性すらあるだろう。
「だから、この国に期待するな」
大神官の言葉を信じるならば、この国……、いや、このウォルダンテ大陸は中級以上の精霊族たちに守られていた面もある。
だが、いつからか、精霊族たちはその数を減らした。
人類に混ざってその血を薄めたり、この地から離れた精霊族たちもいる。
「じゃあ、どうする? ルカに全てを押し付ける気か?」
「それではアリッサムと変わらない。だから、ルカ嬢とリア嬢にはこの国から離れて欲しかったんだがな」
国で起こった災害は国が片付けるべき問題だ。
他国の人間たちは関わらなくても、許される。
勿論、それは水尾さんだけではなく、主人にも言える話だ。
彼女たちから恨まれても、ローダンセを見捨てるのが、最善だと思っている。
「あの様子だと、それも無理そうだ」
主人には話さなければ良い。
だが、水尾さんは既に知ってしまっている。
しかも、執着に似た感情を持つほど拘っていた。
それならば、この国から引き離しても、単身で戻ってくる。
彼女が本気になれば、俺たちでは足止めすら不可能だ。
そして、たった一人で、誰の助けがなくとも、その場に立とうとするだろう。
かつて、故国でそうしてきたように。
「それで、あの案……か」
トルクスタンが大きく息を吐いた。
「妥当だろう?」
「考えられる中で、一番マシな手段だとは思う。だが、それで、本当に上手くいくと思うか?」
「分からん」
何もかも不明瞭だ。
気休めすら思いつかない。
「ただ、俺に発生予想を伝えた者が言うには、フレイミアム大陸と同等と考えるなとは言っていた」
「どういうことだ?」
トルクスタンは俺の問いかけに眉を顰める。
「魔獣の変質に発情系が多いことは伝えたな」
「ああ。だが、ルカならばそう簡単に……」
「他者が犠牲になっても無視できるほど、彼女の心は強いか?」
俺がそう言うと、トルクスタンはその琥珀色の瞳を揺らす。
「無理……だな……」
幼馴染の目から見ても、難しいようだ。
「集団熱狂暴走になってしまえば、国の威信を懸けてローダンセも兵を出すだろう。そこで犠牲が出ないとは思わない。魔獣が人を食らう姿はフレイミアム大陸で見たことがあっても、発情系の獰猛な姿は見たことがない可能性がある」
恐らくはない。
フレイミアム大陸の集団熱狂暴走で発情系はないと聞いているから。
フレイミアム大陸にも生物として発情する魔獣はいるが、それらが狂ったように襲い来る姿は正視したこともないだろう。
「だから、集団熱狂暴走が起きる前まで……か」
「その前に片付けられることが一番だがな」
だから、水尾さんだけでなく、他の手も必要なのだ。
数を減らせば、この国だけでも対応できる。
この考えすらも楽観的な考えではあるが、現状、それ以上のことができない。
「ああ、リア嬢を他の者に任せて、お前がルカ嬢に同行するということも考えたぞ」
「それは……」
「だが、それではルカ嬢に背負わせるものが増えるだけだと思った。それならば、お前がリア嬢を守れば、ルカ嬢は後ろを気にせず戦える」
トルクスタンは戦闘向きではない。
魔法国家の王族の魔法を止めるほどの防護はできるが、それが魔獣に通じるかは未知数だ。
「何より、お前はカルセオラリアの次代国王候補だからな。危険な場所だと分かっている所に行かせるのは、カルセオラリア国王陛下の意に反する」
いくら他国を守るためとはいえ、トルクスタンの陰たちも許さないだろう。
「やはり、陛下も絡んでいるのか」
「俺の本業は主人の護衛だ。だからその片手間で良いとは言われているがな」
それでも遠い異国に向かう息子のことを、少しでも気に掛けてくれとは言われている。
それならば、本当に欠片ぐらいは気に掛けるべきだろう。
「どちらにしても、ルカに同行はできん。俺はアイツの魔法に巻き込まれる」
「そうだろうな」
愚弟からの話を聞く限り、水尾さんはずっと一人で魔獣を退治、討伐してきたようなものだ。
つまり、周囲に対する気遣いはない。
言えば、気付く。
だが、言わなければ気付かない。
余裕がある時ならばともかく、余裕がなくなれば無理ということだろう。
「ルカの魔法の威力を殺すような、周囲を気にして手加減させるような余裕なんてないのだろう?」
「集団熱狂暴走になっていればな。現時点……兆候段階の魔獣退治では、ヴァルナが魔法に巻き込まれた報告はない。ああ、不埒な男たちが風に巻き込まれた事例はあったか」
そんな報告を受けている。
その竜巻系魔法の中に細い針が仕込まれたらしいが、それは愚弟の仕業だからわざわざ言う必要はないだろう。
「ちょっと待て? 不埒な……?」
「認識阻害の眼鏡をしたところで、あの容姿だからな。たまに絡まれるらしい」
尤も、最近は「濃藍」、「緑髪」の名が広まったためか、減ったらしい。
それでも、その目立つ容姿が変わるわけではないのだ。
「ルカからは聞いてないぞ?」
「お前に言う必要などないと判断したのだろう。なんなら、それについて書かれたヴァルナからの報告書もあるが……」
「寄越せ」
そう言って手を差し出した。
「通信珠の[ANR-K-45型]を1つ」
「分かった」
今度は値切ることなく、素直に応じる。
記録石6個よりも、通信珠の方がずっと高価なのだがな。
「どんな魔獣を退治したのかも分かるが」
「いらん。男どもの情報だけで良い」
分かりやすい注文だったので、すぐに渡す。
弟にスカルウォーク大陸言語で報告書を書かせた意味があったらしい。
「……多くないか?」
「この国で、若い女性二人組と言うのはそれだけ狙われやすいらしい」
「本当にいろいろと腹立たしい国だな」
そう言いながらも、トルクスタンは目を通す。
弟と水尾さんに接触を図ったのは、魔獣退治屋が一番多く、次いで、傭兵、狩人の順だった。
中には評判を聞いた貴族の遣いもいたらしいが、その名乗りを聞く前に、昼食の邪魔をされた水尾さんが激昂。
然もありなん。
近くにいた愚弟は、店と周囲の無関係な人間を守ることしかできなかったと、実に楽しそうに言われた。
食べることが好きな水尾さんと、料理を大事にする愚弟を同時に怒らせた人間。
主人がそれを知ったら、間違いなく「愚者」の称号が与えられることだろう。
「いずれにしても、集団熱狂暴走については未知数だ。あのルカ嬢はフレイミアム大陸の集団熱狂暴走は知っていても、ウォルダンテ大陸の方は知らないようだからな」
そこが気にかかる点でもある。
だから、あの紅い髪の青年からの忠告は無視できない。
「お前には苦労をかけるな」
不意にトルクスタンがそんな風に言うものだから……。
「別に、お前やルカ嬢、リア嬢のために骨を折っているわけではない。だから気にするな」
素直にそう言ったのだった。
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