引き留めた理由
「主人と弟の前でそんな疲れた顔を見せる気か?」
今の俺は、トルクスタンがそう言いたくなるような顔をしているらしい。
ここに来るまでもいろいろあったし、ここに来てからも疲れることが次から次へとあった。
多少、疲労の色が濃くなることは仕方ないだろう。
そして、この男の表情から俺を揶揄い倒そうという気配をひしひしと感じる。
その思惑に乗ってやっても良いが、それも面白くはない。
「知らんのか? 主人は弱った男が好きなんだぞ?」
だから、こう返した。
「それは……、なかなか、特殊な趣味……だな?」
そんな俺の返答が意外だったのか、トルクスタンは戸惑いを隠しきれていないようだ。
「そうか? 日頃、強く振る舞っている人間が、自分だけに見せる弱さと言うのはなかなか乙なものだぞ?」
―――― 大好物です!!
何故か、そんな主人の声が聞こえた気がした。
俺の意識ではそうらしい。
「ああ、そうか。そういう方向性なら理解できなくも……」
トルクスタンは視線を彷徨わせ……。
「いや、分かった。確かに。俺も好きだ。自分だけだって特別感が良いよな?」
何かに思い当ったらしい。
「真顔で言うことか?」
同意はするが、それを表に出す気はない。
昔は差し出された手を見ながらも「自分で頑張りたいから」と、笑いながら自分の足で立とうとしていた少女は、気が付けば「お願いします」と、手を取って重さを与えてくれるような女性になった。
「こう言った主張で真剣にならなくてどうする?」
「本当に清々しい男だな」
「隠す方が恥ずかしいだろ?」
さも当然のようにそう口にする。
その強さと図太さは羨ましいが見習いたくはない。
「お国柄だろうな。セントポーリアは性癖を隠す傾向にある」
俺たちも人間界に行かなければ、そういった話題を避け、隠す方になっていたかもしれない。
「あ~、それでお前やツクモのようにエロい思考を隠し持つ男たちが育つんだな?」
「否定はしない」
自分にそんな思考がないとは言わないし、愚弟などは妄想猛々しい半童貞だ。
「俺はお前も十分、清々しいと思うぞ」
そんな俺を見ながらトルクスタンは苦笑した。
「それで? お前がわざわざ俺を引き留めた理由はなんだ?」
真央さんを部屋に送り届け、俺も帰ろうとしたところ、ゾンビのように起き上がったトルクスタンが「待~て~」と言いながら、後ろから圧し掛かって引き留めたのだ。
何故、男を自分の背に張り付けなければならないのか?
主人の言葉を借りれば、軽めのホラーである。
圧し掛かる前に弾き飛ばしても良かったが、それだけの用件があると判断して、付き合っているのだが、一向に切り出さない。
だから、そろそろ話してもらいたいのだ。
俺も帰りたい。
「聞きたいことはいくつかある」
トルクスタンがその表情を引き締めた。
「何故、お前はルカを止めなかった? スタンピード前の魔獣退治も十分、危険なのだろう?」
その話題か。
「お前がいない間、止めはしたぞ。二人に向かってカルセオラリアに戻って欲しいと伝えている」
「言ったのか」
「言ったな。危険だと分かっているから」
あの紅い髪の青年が、わざわざ主人の夢越しに忠告をしてきたのだ。
しかも、アリッサムの王族でも危険だと名指しして。
それを無視することはできなかった。
「お前ならば、止められたんじゃないのか?」
「止めたところでどうなる? アリッサムにいた頃から、監視の目を掻い潜って脱走するような女性だぞ?」
魔法国家の網を潜り抜けるなど、並の人間にできることではない。
尤も、危険な魔獣戦に参加することと引き替えに見逃されていた可能性もあるが。
「あ~、うん。そうだった、ルカはそういうヤツだった」
トルクスタンが肩を落とす。
「それでは助け舟を出したのは?」
「あのままでは埒が明かなかっただろう? ルカ嬢は引き下がらない。お前も譲れない。それならば落としどころを提供した方が良いと判断した。問題は?」
俺が問いかけると、トルクスタンは逡巡して……。
「ない」
そう言い切った。
「正直、助かったことは事実だ。あのままではルカが一人で飛び出しかねなかった」
「そうだな」
それだけ、彼女の集団熱狂暴走に対する想いが強すぎたのだ。
だから、俺もトルクスタンも引き留められないと判断した。
「だが、勿論、俺の案にも注意点がいくつもある」
「注意点?」
「具体的には……、これだな」
そう言いながらトルクスタンに紙を差し出す。
トルクスタンはそれを受け取り……。
「待て? これはいつ書いたものだ?」
そう当然の問いかけをしてきた。
「いつか必要になるかもと思って準備したのは……、三日ほど前か。時間があったのでな。いろいろ書き付けていた」
「お前、やっぱり元からこのつもりで……」
「誤解するな。お前の分もあるぞ。基本データ、概要、詳細、取り扱い注意点、行動年表、裏歴史……。それ以外にもいくつかあるな」
この男との付き合いも長くなってきた。
それだけ書くことも増える。
「待て待て? いろいろ突っ込みたいが、裏歴史とはなんだ? 一番、気になるんだが?」
「本人が埋めたい、消したい、忘れたい過去だな」
そして、これが一番、利用価値がある。
「スカルウォーク大陸言語で書かれた俺の裏歴史とやらを見せろ。お前のことだから作っているだろう?」
「断る」
「全部とは言わん。一部で良い」
少し考えて……。
「記録石5個」
そう口にしてみる。
「高い。俺の歴史と言うからには既に知っていることなのだろう? ならば、3個だ」
自分の歴史に価値はないとして、値切るか。
それなら……。
「他者に渡せば……」
「6個だ」
付加価値を言い終わる前に値上げされた。
どうやら、他者に知られたくない歴史がいくつかあるらしい。
それについて心当たりはあるが、そのことを俺が知っているという事実を教えてやる気はない。
「6個ならこの辺りだな」
そう言いながら、トルクスタンの注文に応える。
トルクスタンは恐る恐る受け取り、それを読み始め……。
「待て!? 何故、お前がこの話を知っているのだ!?」
顔を真っ赤にして叫んだ。
「記録石6個の価値はあっただろう?」
「あった。流出を避けられて良かった。だが、この出所はどこだ? 陛下か!?」
身内しか知らないはずのネタだ。
だから、真っ先に身内を疑うのは当然だろう。
「情報の提供元を俺が教えると思うか?」
「思わない。思わないがこれは……」
紙を持ちながら震えている。
誰だって、十年以上前の失敗談など思い出したくもないだろう。
因みに情報提供者は父親であるカルセオラリア国王陛下ではなく、妹のメルリクアン王女殿下である。
あの方は、幼馴染である魔法国家の王女殿下の魔法に負けないような防護魔法、身体強化魔法を探していたはずなのに、何故か明後日の方向に邁進していく兄の姿を見ていたのだ。
何故、魔法を契約するために、城の書庫や宝物庫に行かず、城下にある鎧などを取り扱う店に行くのだろうか?
魔法防御を上げる方向性が違うだろう。
そして、防具屋に防護魔法はないと思う。
「なんで、あの店で鎧を買ったことまで……」
その重さで身動きできなくなるまでが笑い話である。
そもそも9歳の少年が身体強化魔法も碌に使えない身で、分厚い鎧を重ね着しようというのが無謀なのだ。
考えれば分かることも分からなかった。
それが、10歳にも満たないトルクスタン少年である。
仕方なく姿を現して、動けなくなっていた所を起こしてやる護衛たちの苦労が偲ばれる。
だが、トルクスタンが通い詰めた結果として、その店は数年後に既存の魔法耐性が高い鎧とは違う方向性の魔法耐性が高い鎧を開発したのだから、世の中、何がどう繋がるかは分からない。
まあ、幼い王族がキラキラした目で毎日、迷うのだから、その期待に応えたくなった気持ちも分からなくはないが。
魔法防御を上げる鎧ではなく、自分に向かってくる魔法効果を軽減するという発想は面白かった。
周囲からの身体強化魔法を含めた補助魔法の効果まで打ち消すのは良くないが、自分自身に補助魔法を使える……弟のようなタイプには良いだろう。
まあ、ヤツはもっと強力な軽鎧を持っているので、それを手に取る機会はないだろうが。
「これは、リアとルカには……?」
情けない顔で俺に確認するトルクスタン。
「話す必要性を感じない」
「そうだよな~」
恐らく既に知っているだろうから。
女性たちは共通の知人について語ることが好きだ。
特にお互い話題になりそうなものを探している時に、都合よく楽しいことばかりやらかす身内がいたらどうするか?
間違いなく晒……、いや、話題に上げるだろう。
そして、興が乗れば、話題が絶えないように次々と燃料……、もとい、新たな面白い話を継ぎ足していくだろう。
そうなると共通の知人の話を中心に笑いも増えるし、共感することもある。
仲が深まるため、また次回も……となる。
これは憶測ではない。
当人たちから聞いたから間違いないだろう。
メルリクアン王女殿下は人見知りする傾向が強く、義姉になる予定だったマオリア王女殿下に対しても遠慮がちだった。
だが、マオリア王女殿下がトルクスタンの話をすると、メルリクアン王女殿下の表情が明るくなり、お互いに笑いながら話を続けることができたらしい。
そこでマオリア王女殿下の婚約者だったウィルクス王子殿下の話題ではなく、トルクスタンと言うところが、実に彼女たちらしいと思う。
さぞ、話題のネタ提供に事欠かなかったことだろう。
「俺がわざわざ話さなくても、カルセオラリア城に出入りしている人間だったら知っていることだと思うぞ」
「ちょっと待て? 他にどれだけある?」
「先ほど渡した紙と同じ物を重ねていけば、お前の身長を超すぐらい積みあがるだろうな」
「陛下~~~~~~っ!?」
冤罪だ……とは言い切れない。
カルセオラリア国王陛下からのネタ提供も確かにあるから。
しかも、その従者たちも喜んで、第二王子の話をしてくれるのだ。
それは勿論、失敗談だけではないのだが。
どうやら、カルセオラリアの将来は明るいようだ。
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