口の割に
「二人して起こしてくれないのは酷いと思う」
真央さんが隣室に戻った後、トルクスタンは起き上がるなり、そう言った。
「寝たふりをして様子を窺うのも十分、酷い話だ」
しかも、狸寝入りだと真央さんにもバレていたのに。
「大体、眠らせようというのが問題だとは思わないか?」
「それを分かっていて呑んだのだろう? 文句を言うな」
カルセオラリア城で弟が薬品を作る時に、トルクスタンもいたのだ。
この男は、植物の区別は付かないのに、自分が作った薬については何故か、その効果を間違えることはしない。
俺からすれば、植物を区別する方がずっと楽なのだが。
そして、弟は、トルクスタンが調合した薬の配合を側で見て覚え、自己流で好きなように改良しているだけであった。
トルクスタンの薬は、その効果はともかく味覚が度外視されている。
そこが我慢できないらしい。
同時に、弟は完全に独創的な薬を創り出すことが自分には難しいとも言っていた。
だが、俺からすれば、薬の味に拘り調整する方が、この世界に限らず、どの世界でも無理だと言いたい。
どうやら、俺の周囲には主人を筆頭に規格外の人間しかいないようだ。
「ああでもしなければ、リアはお前と話せないだろう?」
「まあな」
真央さんは、カルセオラリアの賓客であると同時に未婚の王城貴族でもある。
若い男と積極的に二人きりになるなど、どの国でもあまり推奨されることではない。
特に、ウィルクス王子殿下の婚約者だった時代もある。
それを知っている人間は限られているが、この部屋を見張っている人間は、その事実を知る者の方が多いのだ。
仮令、何事もなかったとしても、あまり良い気分にはなれないだろう。
トルクスタンを守るために国から付いてきた者たちは、当然ながらカルセオラリアの人間でもある。
兄王子殿下が亡くなって、まだ一年と経っていないうちに、別の男と二人きりは許せるものではないだろう。
尚、トルクスタンを守る者たちは、あの「音を聞く島」までは付いてきていない。
まさか乗っていた船が転覆することなんて完全に予想外だったようで、先に、ウォルダンテ大陸に渡っていたらしい。
難破することも考えはしていたらしいが、トルクスタンは空属性で、空間を渡る移動魔法はカルセオラリアの国王陛下に並ぶほどの距離を飛べるのだ。
だから、楽観視していたところもあったのだろう。
まさか、移動魔法で飛んだあの島の中にその移動魔法も使えない場所があるなんて考えもしなかったようだ。
あの島の管轄はウォルダンテ大陸だったから、それも仕方がないことではある。
閑話休題。
「それで? 少しは休めたのか?」
「どうせなら、リアの膝枕を期待したかった。まさか、放置されるとは」
ブレないこの姿勢はいっそ、羨ましい。
「『音を聞く島』で、ルカ嬢に膝枕してもらった後にした行いを知っていて、お前に膝枕をする女性は多分、いないぞ」
膝枕をしてくれるような女性の足に触れる行為は立派に痴漢である。
「なんでお前が知っている? あの時、お前はいなかったよな?」
「報告されたからだな」
「ツクモか!?」
「いや、主人だが?」
あの島では主人と二人きりになる機会が本当に多かった。
そこで、俺と真央さんがいなかった時に起こったことも話題になったのだ。
トルクスタンが怪我をして大変だったとか。
その理由が同情できなくて困ったとか。
さらには、「男の人ってそういうものなんですか?」と聞かれた時は、俺の方が困った。
「まさか、シオリとは……。でもまあ、シオリが潔癖なのは仕方ないのか。まだ男を知ら……」
それ以上言わせる気はなかった。
最近使う機会が増えた星球式鎚矛を遠慮なく振るう。
「お前!? これは洒落にならんぞ!?」
「お前の護衛たちは全く動いていないから、許されたのだろう」
それに、この男は昔から魔気の守りの性能がおかしすぎる。
主人と違って魔気の護りではなく、魔気の守りタイプなのだ。
本気ではないとはいえ、俺が振るった星球式鎚矛を片手で止めてしまう人間は、この男ぐらいである。
愚弟ですら、まともに当たれば吹っ飛ぶのに。
まあ、ヤツは素直に当たってはくれないが。
「いや、お前の凶器を受け止めるのも、結構、手は痛いんだぞ?」
「それなら、回避を覚えろ。魔気の守りに頼り過ぎるなと昔から言っている」
俺がそう言うと、トルクスタンは笑いながら……。
「お前は本当に口の割に、心配症だよな?」
そんなことを返した。
「抜かせ。お前みたいなヤツでも何かあれば、リア嬢やルカ嬢だけでなく、主人も気に掛けてしまうだろうが」
俺が気に掛けているのはその点だ。
正直、この男がどうなっても知ったことではない。
「それだけ聞くと、俺はモテモテだな」
「そうだな。美人ばかりに心配されるのは羨ましい話だと思うぞ」
トルクスタンの軽口に付き合うと、何故か不思議そうな顔をされた。
「どうした?」
「お前の感覚でも、リアやルカを美人だと思うのか?」
さらにそんな不可解な問いかけをされる。
「質問の意図がよく分からんが、美醜の判定は人によって違う。その上での話ではあるが、俺の感覚では彼女たちは整った顔立ちだと思っている」
もっと細かく言ってしまえば、美人と呼ばれる造形は、その時代、その土地で生きる人間たちの顔を平均したものであり、左右の狂いが少なくバランスが取れていることが条件だと聞いたことがある。
その条件を元にすれば、彼女たちは間違いなくこの世界ではかなりバランスの良い顔立ちだろう。
尤も、彼女たちの魅力はその整った外見ではなく、内面にあると思っているが。
「好みとかそういった話にはならないのか?」
「考えたこともない。いくら何でも、心配し過ぎだ」
そんな目で見たこともなかった。
何より、それは彼女たちに失礼な話だろう。
「まあ、ユーヤは年上好きで、外見についてはシオリが好みだからな。リアもルカも対象外か」
ちょっと待て?
「俺は弟と違って、主人をそんな視点で見たこともないぞ?」
「そうなのか? シオリは母親にそっくりではないか」
そう言われて考える。
似てるか?
似てないな。
「重ねて見たこともない」
キィーン!!
耳元で、金属音のぶつかる高い音が景気よく鳴らされた気がした。
その音で思い出す。
一度だけの過ち。
カルセオラリア城が崩壊した直後、大聖堂内で、俺は主人を母親に重ねて見たことがあった。
それも、言い逃れのしようもない状況で。
「どうした? 耳を押さえて」
「酷い耳鳴りがしただけだ」
まだ耳の奥に残っている気がするほどの音。
「だが、似ているか?」
「似ているだろう。艶のある黒い髪。大きく丸く黒い瞳。丸い童顔。垂れ目、垂れ眉。高くはないが通った鼻筋。柔らかそうな頬。ピンク色で艶のある唇。髪を結い上げた時の項の色気。うん、似てると思う」
「ちょっと待て? 主人はともかく、その母親の項とかそんな部分まで見ていたのか!?」
そこに驚く。
この男がチトセ様を見る機会など、一度だけだ。
それも、俺たちと同じように緑色の水晶体越しに見たはずだが、何故、そんなところまで観察しているのだ!?
「ユーヤが昔から気にしている女性だからな。やはり、気になるじゃないか」
「気にするほどのことでもないし、お前にそんなことを言った覚えすらない」
「いや、これまでの流れで、それは無理があるだろう。どこをどう汲み取っても、お前の敬愛相手だろ?」
……は?
「あれは見事だった。あのイースターカクタス国王陛下を相手に全く怯まないなど、あんな女性は初めて見たな。大半は、警戒心から表情が硬くなるものだが、終始、穏やかな笑みを絶やさなかったことは本当に素晴らしい」
俺の思考が纏まるよりも先にトルクスタンが語りだす。
「手を引かれて入室した辺り、セントポーリア国王陛下からの信頼も厚いのだろう。しかも、その後、突然の試験にも動じることなく、好成績を叩き出し、イースターカクタス国王陛下から直々の勧誘を受けるなど、カルセオラリアの文官たちも大騒ぎだったぞ」
つらつらと並べられるチトセ様への賛辞。
いつもならば誇らしく思えるのだが、今日は妙に警戒してしまうのは、口にしているのが、この男だからだろうか?
「流石はシオリの母親だと思ったよ。あんな女性に育てられたから、シオリはしっかりした考えを持っているのだと感心した」
どうやらこの様子から、トルクスタンの言葉に特別深い意味はなかったらしい。
俺が過剰反応してしまっただけか。
思わず、息を吐いた。
「どうした? 疲れたのか?」
それに耳聡く反応するトルクスタン。
「ああ、考えることが山積みで嫌になる」
「珍しいな、弱音か?」
「吐くのは息だけにしたいのだがな」
こうも立て続けにいろいろあれば、息以外のものも吐きたくなるというものだろう。
「休むか? 膝なら貸すぞ?」
悪ふざけを企むような顔で、トルクスタンは手を広げる。
「要らん。両手を広げるな。何が悲しくて俺よりもごつい男の膝を借りる必要がある?」
「俺は疲れた時、従者たちの膝を借りたことはあるけどな~。男相手でも疲れは取れるぞ?」
経験談らしい。
そして、それは恐らく感応症が働くからだろう。
空属性のトルクスタンなら、同じく空属性を持つ従者がいれば、それは悪くないと思う。
地獄絵図だがな。
「主人と弟の前でそんな疲れた顔を見せる気か?」
だが、トルクスタンは俺に向かってそんなことを言うのだった。
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