本気だったなら
目の前にいる手が届かないような身分と魔力を持つ美しい女性から……。
「例えば、今、私が迫ったら、貴方はどうする?」
そんな言葉を投げかけられたなら……。
「そこで狸寝入りしている男に、俺は首を絞められるだろうね」
光栄だと思いつつも、打ち返すしかないだろう。
それだけ現実味のない問いかけだった。
「ああ、うん。そっちは無視の方向でお願いするよ」
困ったように言う真央さんも、ヤツが起きていることは気付いていたらしい。
俺よりも体内魔気の変化に気付くような女性だから当然だろう。
そして、ヤツが目覚めていることが分かっていたから、俺にこんな問いかけをしたことも理解できる。
どんなに互いの情報交換を約束していても、俺の性別は男だ。
全く危険はないとは言い切れない。
自分の身を護ることは大事だから、その考えに感心しても、嫌悪はなかった。
「そうだね。貴女が本気だったなら、真面目に考えるとは思うよ」
「え? 考えるの?」
意外だったらしい。
目を丸くされた。
何があっても断ると思われていたのか?
そこまで信用されても困る。
「本気ならね。でも、遊び、当てつけ、自暴自棄な行いの相手として選ばれたなら、謹んでご辞退申し上げる」
遊びは論外。
当てつけは、その先の相手に不義理はしたくない。
自暴自棄なら冷静になってほしい。
そう思うほどには、俺はこの女性とその妹のことを大事にしたいと思っている。
「いや~、本気だったとしても、確実にフラれると思っていたから、ちょっと意外だったよ」
「本気の相手を無碍にするほど情がないと思われている方が心外だな」
「それは申し訳ない。でも、本当にそういった意味じゃなかったよ? 単純に、本気の相手こそ、ユーヤは突っぱねると思っていた」
これまで、本気の相手から迫られたことはないから実際、自分がどう思うかは分からない。
だが、分からないからこそ、真面目に考えたいとは思うのだ。
「九十九くんもそうなのかな? 相手が本気なら、ちゃんと考えてくれるかな?」
それは問いかけのようであり、確認のようでもある。
「ヤツの考えまでは分からないけれど、本気で思いを訴える人間に対して、向き合わないような教育をした覚えはないかな」
だからこそ、苦しむ。
本気には本気で応え、思い悩む弟に育ったから。
もっと器用であれば、あるいは他者の思いに鈍感であれば、ヤツの悩みは減ったことだろう。
特に、主人の思いに応えすぎてしまうことが難点だ。
多少の無理も呑み込んで、応えてしまう。
主人がもっと我が儘なら止めただろう。
だが、そのほとんどは単なる自分だけの勝手な願いに留まらない。
その願いに対して、思わず手を貸したくなるようなことが多いから、心の底から抗うことができないのだ。
その気持ちは俺にも覚えがあるものだった。
「そっか。応えるかは分からないけれど、向き合ってはくれるか」
だが、ヤツは言葉選びが大変、下手である。
本気で向き合いはするものの、その結果、悲劇に繋がらないとは言い切れない。
それは「ゆめの郷」であの弟に惚れ込んでしまった結果、容赦なく本音をぶちまけられて突き放された女性が身をもって証明してくれている。
あれは酷かった。
主人にしたことを思えば同情の余地はないが、双方に被害が拡大したのは、間違いなく愚弟の心無い言葉だったことだろう。
もう少し、考えればマシな結果になったのではないだろうか。
少なくとも、主人の前でやるべきではなかった。
目の前で首を掻っ切るなど、相当追い詰めなければやらない手段だ。
今はあの二人に影を落とすことも無くなったようだが、何かをきっかけにまたあの日を思い出す可能性はあると思っている。
あれからまだ一年と経っていない。
目に焼き付いた光景が、心に刻み込まれた傷が、そう簡単に消えるはずがないのだ。
尤も、今頃の愚弟は呑気に、主人の愛らしい姿を見て締まりのない顔をしていることだろうが。
「ああ、そうだ」
ふと、真央さんが何かを思い出したらしい。
「ユーヤが戻ってきたら話しておこうと思っていたことがあって……。つまりは、集団熱狂暴走とは全く関係のないことだけど、今、話してしまっても良いかな?」
「存分に」
トルクスタンのことはこのままスルーするらしい。
いや、トルクスタンの前で話しても問題のない話題ということなのか。
「カルセオラリアに書簡が届いたんだよ」
「どこから? 誰宛に?」
「どこからかは分からない。でも、私宛だったよ」
それは妙なことである。
カルセオラリアにマオリア王女殿下、あるいは真央さんがいることを知っている人間は多くない。
水尾さんが知ったのだって、口の軽いカルセオラリアの人間が漏らしたからだった。
そうなると……。
「アリッサムの関係者かい?」
しかも、どこから出したのかが分からないのか。
「凄いな~。なんで、分かっちゃうんだろう?」
「貴女が、不安そうな表情をしたから」
どう切り出して良いのか分からないような、誰かに救われたいような、泣き出したくなるような表情だった。
「そう? そんなつもりはなかったんだけどな~」
そう言いながらも自分の両頬を押さえている辺り、自覚もあるのだろう。
「ラスブールから……だった」
その名には覚えがある。
―――― ラスブール=ベリア=ローレス
アリッサムを語る時にたまに聞く名前だった。
「聖騎士団長殿か」
「今は、聖騎士団はないんだって。一騎士として、第一王女殿下にお仕えしているらしいよ」
既にアリッサムという国はない。
だから、聖騎士団は名乗らないということだろう。
それでも、第一王女殿下の呼称は「第一王女殿下」のままなのか。
「それによると、私はそのままカルセオラリアに留まって、トルクスタン王子殿下を支えろってさ」
「それは……」
どうやら、ウィルクス王子殿下が亡くなったことは知っているらしい。
その上で、トルクに乗り換えろ……と。
「私はカルセオラリアに売ったから、もう戻ってくるなってことだよね? それだけなら分からなくもないんだけど、さらに金を寄越せって書いてあったんだよ。多分、私のことよりもこっちが本命の要請だったんだろうけどね」
「……なかなか堂々とした申し出だね」
思わず、言葉を失うところだった。
「言葉を選んでくれてありがとう。厚顔無恥とか、無知蒙昧ぐらいの言葉を、ユーヤなら言うかと思って身構えていたよ」
真央さんは苦笑する。
「第一王女は政を学んではいたけど、お金を稼ぐ経営者にはなれなかったってことだろうね。ずっと音信不通だったのに、いきなり手紙を寄越して金の無心とか、恥を知らないとしか思えないよ」
しかも、第一王女殿下本人からではなく、その王女を妄信している元聖騎士団長からだった。
その手紙が第一王女殿下の意を酌んだのものなか、元聖騎士団長が勝手に動いたのかは分からないが、そんな手紙一通で、今のマオリア王女殿下を動かせると思った部分が救えないと思う。
アリッサムがあった時代とはもう状況が違うという自覚がまだないらしい。
多額の金銭と引き替えに庇護を頼んだ時点で、マオリア王女殿下の身柄、権限は既にほぼカルセオラリアにある。
15歳未満であれば、まだ両親に一切の権利があると考えることもできるだろう。
だが、既にマオリア王女殿下は19歳だ。
しかも、両親は揃って行方知れずのままである。
ただ血が繋がっているだけの姉でしかない第一王女殿下には、彼女を自由にする権利など全くないだろう。
それなのに、そんな書簡を恥ずかし気もなく送りつけてくる時点で、第二王女殿下も見下されていることが分かる。
アリッサムの……元国民たち……か。
セントポーリアにも数十人程度だが残っている。
彼らのほとんどは、あの村に留まることを選んだ。
中には村が合わなくて出た者たちもいたようだが、すぐに戻ってきたらしい。
アリッサムの元聖騎士団の肩書きは、貴族の中では国を跨いで知られていても、他国の庶民たちは全く知らない事実に驚いたらしい。
仕事を斡旋する場所で「元聖騎士団所属」を掲げても、当然ながら贔屓はない。
特にセントポーリアは近年、能力主義に移行しており、庶民たちも気付けば働きに応じた賃金を支払う方式に変わっている。
不正がないかと目を光らせることは必要だが、分かりやすい結果を出せば、報酬が変わる制度は庶民たちにとっても悪い方式ではなかったらしい。
稼ごうと工夫を凝らし、頑張るからだろう。
だが、それは同じく能力主義を謳われていたアリッサムの元聖騎士団の一部の人間たちに合わなかったようだ。
求められる実力の種類が違うからだと思う。
思いの外、魔法をほとんど使えない庶民たちでもできる仕事すらできない自分たちに衝撃を受けたらしい。
アリッサムの元聖騎士団の四番隊長バルディア=コーン=ジャスタ様は、それを承知で一時、自由にさせていた。
情報漏洩のリスクは高いが、戻ってきた時、引き締めやすいように。
何よりアリッサムの王族から離れた聖騎士団だった人間たちには、他国もそこまでの価値もないと判断していると推測したらしい。
実際、情報国家と思しき人間たちの気配が周囲にあった時期もあるようだが、あの場所に連れも含めてアリッサムの貴族はいなかった。
唯一、貴族に繋がりのあった夫婦は、セントポーリア城下に住まわせている。
特に細君の方には、かなり助けられているほどだ。
だから、今はたまにしかあの村を探るような気配を感じなくなったと言っていた。
そんな風に今を生き抜いて、生活基盤を整えているあの方々が、このような行動に出た第一王女殿下が率いる元聖騎士団長たちの現状を知った時、一体、どう思うのだろうか?
伝え方を間違えると荒れそうだと思いつつも、報告しないわけにはいかない。
それが、第三王女殿下を預からせていただいた時の契約でもあったのだから。
―――― 王女殿下にお渡しする程度の情報でよろしければ
あの時、交わした約束は、三年経った今も生き続けている。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




