盲目になるのは恋だけではない
「アリッサムの人間ではないと思っている」
自分の母親に想い人がいた。
そう言い切る真央さんに対して……。
「何故、そう思うのか伺っても?」
俺はそう尋ねた。
さて、彼女は何を知っていた?
弟の報告を疑っているわけではない。
ヤツが虚偽報告をする理由もないからだ。
疑うべきは情報源。
人間、誰しも思い込み、勘違い、思い違いはあるからだ。
だから、複数の視点からの情報が必要だった。
「え? アリッサムの人間なら、愛人にできるでしょう?」
……ああ、なるほど。
地位ある人間の考え方である。
しかし、愛人、つまりは情夫……。
「未婚女性の発言ではないね」
「そう? 男が愛人を持つのがオッケーなら、女だって良いとは思わない?」
正論ではあるが、暴論でもある。
「男女差別の話ではなく、慎みの話だな」
「慎み? そんなもの遠い過去に捨て去った覚えがあるよ」
笑いながらそう答えられるとこちらの方が困る。
簡単に捨てて良いものでもない。
「覚えがあるなら、至急回収することをお勧めする。それは持っていて得はあっても、損はない」
「ユーヤって、意外と古風だよね」
さらに大笑いしながらそんなことを言われた。
「女王陛下に想い人がいたと仮定して、その相手を囲い込まなかった理由はいくつか考えられる」
「へえ……?」
それは、意外でも何でもない話。
「まず一つ目。プラトニックな想いであること」
「……なるほど」
一般的に、考えられる表向きの理由はこれだろう。
「特に女王陛下は厳格で禁欲的な環境でお育ちだ。恋心がそのまま肉体的な欲求に結び付かない可能性はあるよ」
結び付けようとすれば、嫌悪、羞恥、不快、葛藤……、様々な理由から自己嫌悪に陥ると考える。
少女の初恋ならば、そんな感覚は珍しくもない。
「ん~? でも、好きになったらそんなことをしたいって思うものじゃないの? そんな経験がないからその辺はよく分からないのだけど」
「その感情を抱いた相手が、人間界のアイドルなら想像できないかい?」
これまで恋心を抱いた相手がいなくても、これなら想像できるだろう。
偶像。
神仏よりは姿を目に捉えることができても、手が届かない存在であることに変わりはない。
「あいどる? ああ、アイドル。ああ、うん。アイドルは分かりやすい表現だと思う。どんなに憧れて、高熱をもって恋焦がれても、手紙を出す、ライブに行く、贈り物をする、夢に見る、妄想する、写真に祈りを捧げる……が、関の山だよね」
後半がちょっと賛同しかねるが、言いたいことはよく理解できる。
中には積年の想いが通じ、芸能人と婚姻する幸運なファンもいるかもしれないが、大多数はそうならない。
何より、偶像は大多数のために作られた存在だ。
生身の人間として接すれば、その夢が終わることもあるだろう。
「それ以外なら、そうだね。女王陛下の片恋である可能性が高いかな」
「片恋……、片思いあ~。でも、女王陛下ならその辺、力技でなんとかしそうだな~。ルカと同類だし」
水尾さんと同類なら、力技でなんとかすることは決してしないだろう。
状況次第では、近くで何も言わずに見守ることもあると思うが、それを口にする気にはなれなかった。
「相手に恋人や婚約者がいる、あるいは既婚者であれば、積極的な行動には出られないだろうね」
その代わりにそう口にした。
「双方、既婚者。昼ドラの世界。いや、ドロドロの昼ドラにしたくないから言わないかもしれない。それは理解できる」
「その上、その相手がそういった方面に鈍くて、お堅いタイプならば、相当勝ち目があると思い込めなければ、行動に出ることは躊躇するだろうね」
俺に言えるのはここまでだ。
これ以上は余計だろう。
いや、この時点で十分、余計なことをしている自覚はあるのだが。
「ああ、どこかの弟くんのような……?」
真央さんが視線を上に向けながら、そう言いかけて……。
「駄目だ! こちらから何か言う前に、向こうはドロドロ甘々な雰囲気を体内魔気に混ぜ込んで放出した上、顔面を緩ませて盛大な惚気を臆面もなく吐き出して、仄かに抱いた恋心を容赦なく欠片も残さぬようにぶっ飛ばしにくる所まで想像できてしまった!!」
そう言いながら頭を抱え込んでしまった。
……それにしても、愚弟の評価が酷過ぎる。
「でも、九十九くんは鈍くないよね?」
そのまま俺に視線を向ける。
「どうだろう? 盲目になるのは恋だけとは限らない。強い思い込みが本人の判断を鈍らせることはあると思う」
「強い、思い込み?」
「自分の恋は叶わない。自分が愛されるはずがない。誰からも必要とされない。自分に味方する者はいない。誰も信じられない。自分を助ける人間には必ず裏がある。自分はこの世界で独りきり……など、そんな後ろ向きな考え方ほど、何故か正しく思えてしまうことは多々あるだろう?」
俺がそう言うと、真央さんは目を瞬かせる。
「今の、ユーヤの独白かと思った」
「そこまで後ろ向きではないかな」
少なくとも、恋はないけれど、周囲からそれなりに愛されている自覚はある。
必要とされているから、いろいろ面倒なこともあるのだが。
絶対的な味方もいる。
それも、裏表関係なく自分を信じてくれる人間が。
何より、俺自身はこれまで、一度も自分が独りきりなど思ったこともない。
他者がどう思うかは分からないが、俺自身は意外と幸せな人間なのだ。
「強すぎる思い込みが客観的な判断能力を奪う……ってことか。心が強いのも考えものだねえ」
「いや、頑固なだけだよ」
自分がこうだと思い込んだら梃子でも動かなくなる辺り、あの乳兄妹は本当によく似ている。
「つまり、高田は……、そのプラトニックな恋愛とやらをすることに決めたってこと?」
「どうだろう? 仮に、今現在、主人が誰かを想っていたとしても、それに口を挟む予定はないよ」
微かに、金属が掠めるような軽い音が聞こえた気がする。
本当に小さすぎて、身体強化していても聞き逃しそうな音だった。
そうか。
俺は先ほど口にした自分の言葉に少しだけ嘘が混ざったと判断したらしい。
まだまだ未熟だ。
自分すら騙せないとは。
「九十九くんもそうするってことだよね?」
「それも俺が口にすることではないな。ヤツが誰を想っていようと、反対はしない。尤も、主人だけは止めておけとは言うけどね。互いに不幸になるから」
俺がそう答えると、真央さんは露骨に頬を膨らませた。
どうやら、今の回答はご不満らしい。
「じゃあ、ユーヤは?」
「俺?」
「ユーヤ自身もプラトニックな恋愛のままで良いの?」
主人や弟についての考えは先ほど口にした通りだから、この場合は、俺自身の話と言うことなのだろう。
だが、プラトニック以前に、恋愛は相手が必要なものである。
いや、自己愛という考えもあるのか。
自分に対しての恋愛となれば、かなりの上級者向けだが、単純に自分を愛せるかどうかなら、愛するしかないだろう。
生涯、この肉体と精神、魂とは付き合わねばならないのだ。
勿論、そんな話ではないのか。
現状、俺は特定の誰かを想っている自覚はない。
強いて言えば、主人とその母親は特別な異性だと思うが、それが恋愛かと言われたら、首を捻ってしまう。
少なくとも、彼女たちに性欲が湧かないから。
ごく最近、主人の裸体を見てしまうようなことがあったが、それでも、そういった感情は抱かなかった。
知識と経験だけが無駄にあるためか、もともとそういった方面にそこまで関心がないというのもある。
それらを彼女たちに向けたいとは全く思えないのだ。
廻り廻って、巡り巡って、出た結論は……。
「プラトニックな恋愛以前に、相手がいない気がするのだが……」
やはり、最初に考えたものに戻ってきた。
「結構な思考時間の割に、出た結論としては面白みがないな~」
真央さんが困ったように肩を竦める。
「そんなことを言われても……」
「それだけユーヤが、自分に向き合う余裕がないから仕方ないとは思っているよ。いつも、自分以外の人間のことしか考えていないもんね」
それは主人のことではないだろうか?
俺が?
勿論、そんな自覚はない。
自分のことを考える余裕がないかもしれないが、他者のことばかり考えてもいないと思っている。
「じゃあ、質問を変えようか?」
真央さんはニヤリと笑いながら……。
「例えば、今、私が迫ったら、貴方はどうする?」
そんな質問を投げかけてきたのだった。
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