心に刻み込まれる
「ユーヤ、ルカのこと、悪く思わないでね?」
あれから暫く話していたが、ふと、真央さんがそんなことを言った。
「悪く? いや、全く?」
俺がそう答えると、真央さんが肩を竦める。
「そう? あれだけ頑なだと、イラッとしない?」
そう言われて、少し考えるが……。
「あれは彼女の最善だろう? それだけ集団熱狂暴走という自然災害を深刻に捉え、心を砕いているということだ」
頑なと言うことは、それだけ譲れない思いがあるということだ。
だから、その気持ちをぶつける様を見て、苛立つことはなかった。
直接、自分に向けられた感情でもなかったからだろう。
「そうだね。ルカにとっては最善なんだと思う。だけど、この国にとっては最善ではないってことが見えてないんだよ」
「集団熱狂暴走の対策は大陸によって異なる。その違いを知っている者の方が少ない」
彼女が唯一知っている他国は、カルセオラリアだった。
だが、カルセオラリアはかなり極端な例だったのだ。
「つまり、ユーヤは知っているんだね?」
「知っていると言っても付け焼き刃の知識だよ。でも、どの大陸も中心国ありきの考え方と言うことは知っている」
自分が話を聞いたのが、中心国の話ばかりだったこともあるだろう。
だが、フレイミアム大陸中をアリッサムが管理していたように、シルヴァーレン大陸をセントポーリアが守るように、中心国が主体となっているという考え方は間違っていないのだろう。
「近年のフレイミアム大陸は、アリッサムの魔法国家の第三王女頼みだったよ。10年? いや、もっと長かったかな?」
真央さんがクスリと笑う。
「人間界に行った後もね。ただの貴族ならともかく、王族が他国滞在期間に戻るなんて本当は駄目なんだろうけど、何度も呼び戻されていたんだ。滞在時間は一日もなかったけど、行先が人間界だったからね。相手国がいなかったから誤魔化せたんだと思う」
そして、大きく息を吐いた。
「何故、そんなことになったのかは分かるかい?」
「呼び出しについて? それとも……」
「何故、ルカ嬢は4歳から魔獣討伐に出ていたのか……かな? いくら前王配殿下が亡くなったからと言って、そこからすぐに連れ出すには幼すぎるだろう?」
俺がそう問いかけると、真央さんは困ったように眉を下げた。
「ルカを最初に魔獣討伐へ連れ出したのはじーさまだったよ。あれは……、確か3歳だったかな。ルカには魔法の才があるからって……、その手本として見せるためだったと聞いている」
「3歳? 4歳ではなかったのか?」
弟も4歳だと聞いていたはずだ。
「実際にルカが魔獣と戦ったのは4歳。でも、魔獣を見たのはそれよりも前だったんだ」
4歳でも早いと思ったが、まさか、3歳で魔獣を見ていたとは思わなかった。
いや、逆に魔獣の怖さを知らない時期でもあるのか。
「人間相手にじーさまの魔法は強すぎるからね。でも、普通の的では迫力が半減。だから、魔獣を相手にするって、ルカを肩に乗せて、女王陛下が止めるのも聞かずに行っちゃった」
「それは……」
「じーさまは、お調子者だったんだよ」
それを「お調子者」という軽い言葉で片付けて良いのだろうか?
「帰ってきた時、ルカは大興奮だったよ。じーさん凄い、じーさんかっこいいってね。だから、まあ、怖い思いはしなかったんだと思う」
とんだ催し物もあったものだ。
その記憶があるから、今も、嬉々として魔獣退治をしているのだろうか?
「でも、その頃にはじーさまも既に弱っていたらしくてね。ルカに少しでも多くの技術を引き継ぎたいと思っていたんだと思う。だから、4歳で魔獣退治を経験させたんだ。まさか、全部倒すとは思わなかったと笑っていたから、危なくなったら助けに入る予定ではあったのだと思う」
フォローをするつもりではいたのか。
だが、想像以上にミオルカ王女殿下は才能があった。
助けに入る間もなく、魔獣を一掃してしまったらしい。
「だけど、流石に見るのとやるのでは大違いだったのかな。ルカは魔獣退治後に暫く塞ぎ込んじゃったんだ。部屋から出てこない、魔法の練習をしないルカなんて初めてだった」
後から、実感したのだろう。
これまで遊び感覚で見ていたものが、生命の遣り取りだと理解したのかもしれない。
「それで、考え無しのじーさまも反省したみたいなんだけど、ルカが部屋から出てくるようになったことで、安心したのかな。ルカが部屋から出て二週間後に亡くなった。もう心臓が弱っていたみたいだからね。そこは仕方ないと思っている」
「そこは?」
その言い方が気になった。
恐らくは、それが誘いだと思う。
俺が気にかかるように言ったのだろう。
「あれだけルカはじーさまのことを慕っていたのに、じーさまの葬送の儀が行われたあの日。王配によって、ヒューゲラに連れて行かれた上、集団熱狂暴走を発生させないためにその周辺の魔獣を殲滅させろって命令されたらしい」
ヒューゲラの集団熱狂暴走の兆候。
それが、大神官の見た光景か。
―――― 震えていた幼子
それはもしかしたら、祖父の葬送の儀に参列できなかったからだったのかもしれない。
「尤も、当時のルカがそれをどこまで理解していたかは分からないよ。私も、あの時、棺に納められ目を閉じていたじーさまがいなくなってしまうなんて思わなかった。取り出された棺に残ったのは髪の毛と青い魂石だけ。それを見ても、どこかですり替えられたとしか思えなかった」
母が亡くなった時、俺は目の前で事切れる所を見た。
父親とチトセ様の慟哭。
それにつられるようにチトセ様に抱かれたまま泣くシオリ様。
だけど、俺は泣かなかった。
泣けなかった。
目の前で動かなくなった母親を見ても、周囲で泣く大人たちの姿を見ても、よく分かっていなかったのだ。
母親が弱っているのは目に見えて分かっていたけれど、瞼を閉じても、再び開くだろうとさえ思っていた。
あの瞳がもう二度と開かなくなるなんて思いもしなかったのだ。
そして、弟も泣かなかった。
生後一月の弟は、シオリ様が泣く側で誰に抱き上げられることもなく、布に包まったままだったことは覚えている。
生まれて一月の間、腹が減っても、眠くなってもすぐに泣いていた癖に、あの時だけ、ヤツは泣かなかったのだ。
ただ一点だけをじっと見て、時々、笑いさえもした。
それを見て妙に腹が立ったけれど、もしかしたら、ヤツだけには見えていたのかもしれない。
まだそこに残っていた母の思念が。
母親の魂石は父親が準備していた。
何でも、15歳の成人の儀に準備するモノらしい。
だから、俺も弟の分も、主人の分も準備している。
使うのは俺の分だけであれと願いながら。
魂石も価格帯はピンからキリまである。
父親が母親のために用意した物は最高級のものだったらしい。
後で、俺たちと共にあの場所に行ったミヤドリードがそんなことを言っていた。
あの時は分からなかったけれど、変わり果てた自分の兄の姿を見ても俺たちに動揺を見せることなく弔ってくれたミヤドリードには感謝しかない。
尤も、父親だった男の肉体は、死後一ヶ月経っていても、腐敗することなくそのままの姿を保っていたのだが。
「ルカは棺に収まったじーさまの顔を見ることなく、王配に連れ出された。集団熱狂暴走は一刻を争う事態だと。そんな時に身内が死んだぐらいで嘆く暇などないとも言っていたかな」
そ言葉を幼子がどこまで理解できたか分からない。
分からないが、心に刻み込まれてしまった。
身近な人の死よりも、集団熱狂暴走を抑える方が優先されることだと。
「だから、じーさまの葬送……、見送りは、女王陛下と私、それ以外はストレリチアから呼んだ……、赤い高神官だけ。王配はルカと出かけてしまったし、それ以外の人間もそれについて行った。それまでずっと国を守ってくれた人だったのに、本当に寂しい儀式だったよ」
かつて、聖騎士団長を務め、王配という地位にまで上り詰めた人の葬送にしては、参列が少なかったらしい。
同時に、集団熱狂暴走の兆候があったのなら、それもやむを得ないとは思うが、どうも割り切れないし、やりきれないのだろう。
アリッサムの王配の、他国の集団熱狂暴走の兆候の予測は、約一ヶ月前だったか。
ギリギリまで待っていたのだから、一刻の猶予もないことは分かるが、一日ぐらい待っても……、そう思ってしまうのは、素人考えだろうか?
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