立ち止まることを知らない
「私にもう少しだけ付き合ってくれない?」
そんな誘いを女性からされて……。
「お付き合いいたしましょう、リア嬢」
俺が断るだけの理由がなかった。
彼女が意味なくそんな申し出をしないと分かっているから尚更だ。
恐らく、俺がまだ知らない話も伝えてくれるのだろう。
「俺も立ち会うぞ。お前とリアを二人きりにさせてたまるか」
だが、そんな俺たちの間に、立ちはだかる男が一人。
それだけ聞くと、嫉妬に狂った男の言葉でしかない。
「トルクは疲れているんじゃないの? 大丈夫?」
「大丈夫だ」
そして、その男は真央さんの気遣いも跳ね除ける。
「それならば、話の前に疲労回復効果のある薬湯でも飲むか? 俺ではなく、弟特製のものだが……」
「いただこう」
そうして、差し出された薬湯を、一気飲みするのは警戒心が足りないというものである。
「ぐぉ~」
5分と経たずして、その場で高いびきをかいた。
「こいつは王族だよな? こうもあっさりと飲むなんて、大丈夫か?」
いろいろな意味で心配になってしまう。
尤も、この部屋に数人潜んでいる者たちは、危険がないと判断したことは確かだ。
まあ、この男をこんな所で害しても、俺にとって悪い状況にしかならない。
最悪、主人にまで波及する。
それが分かっているから、見逃されてはいるのだろう。
「ある意味、信頼されているね」
いや、この場合、信頼されているのは俺ではなく、弟の方だろう。
薬湯の作成者が俺だったら、もう少し警戒したはずだ。
だが、甘い。
弟は目的のために手段を選ばない。
主人を休ませるために一服盛ることに対して、俺以上に迷いがない男なのだ。
それを知らなかったこの男……、トルクスタンが全て悪い。
「迷いもなく疲労回復効果のある薬湯に手を伸ばしたのだ。疲れてはいるのだろう」
ローダンセ王城で緊張の中、待たされたと聞いている。
それも、国の有事に関わる情報を手にした状態で……だ。
外交を含めた社交に慣れていないこの男は、かなり疲労が蓄積したことだろう。
「でも……、九十九くん特製の疲労回復効果がある薬湯って言わなかったっけ?」
「これを飲んで、1時間ほど眠れば、すっきり疲労が回復すると聞いている」
「うわあ……」
主人に対してよく使う薬湯らしい。
つまりは、王族に対して効果的で、魔気の護りが発動するほどの害意もない。
トルクスタンの魔気の護りは、身体強化タイプだ。
自身に害意を向けられたら、物理耐性と魔法耐性が急上昇するらしい。
この男に毒耐性があるかまでは聞いたことはないが、もともと本人は毒に対して強い。
それすら眠らせてしまうのだから、弟の薬湯はやはり普通ではないのだろう。
「どうする? 寝台に運ぶかい?」
「いや、このままで良いかな。1時間しかないのでしょう?」
どうやら、倒れている幼馴染よりも俺との話を優先したいらしい。
「トルクの庇護は助かるけど、結構、過干渉なところが困るんだよね。だから、ユーヤが手を汚してくれて良かったよ」
「人聞きが悪いことを言わないでくれ」
それだけ聞けば、俺が殺したことになってしまうではないか。
「まあ、トルクがいたところで、邪魔はしないと思うけど、やっぱり、ユーヤと二人きりで話したかったのは事実だからね」
どうやら、内密の話ではなかったらしい。
「あと、純粋に休んで欲しいって気持ちもちゃんとあるんだよ? トルクはこの国に来てから、かなり緊張しているみたいだから」
そう言いながら、トルクスタンの髪を撫でる。
幼馴染が心配なのはトルクスタンだけではないということだろう。
「まあ、それはそれとして、ユーヤとしてはどう? ルカを魔獣退治に行かせるのは賛成派?」
どうやら、このまま本題に入るらしい。
「そんな派閥に入った覚えはないが、集団熱狂暴走前ならば、そこまで大きな問題はないと考える。どうやら、ルカ嬢はカツオのようだからな。何もさせずにじっとしておけ、カルセオラリアに戻れというのは酷だろう」
本当なら、戻れとそう言いたい。
だが、当人がそれを納得しないなら、少しでも危険が少ない方を本人の意思で選ばせるしかない。
トルクスタンもそう思ったらしい。
だから、中途半端な条件を付けたのだろう。
「カツオ? カツオって人間界にいた魚のカツオ?」
「そのカツオだね。止まると死ぬ種類の回遊魚だ」
回遊魚の全てが死ぬわけではない。
自分のエラブタを動かせない種類の回遊魚だけだ。
回遊魚であっても、エラを動かせるハマチやマアジは止まっても死なない。
「それって普通、マグロ……。ああ、女性をマグロに例えるのは良くないのか。ユーヤは紳士だね」
嬉しくない所で褒められた。
主人なら不思議そうな顔をするところだろう、多分。
いや、回遊魚の方に反応する気がする。
「まあ、ルカを回遊魚と言いたくなるのは分かる。あの子、昔から立ち止まるってことを知らないからね」
真央さんはそう苦笑する。
「でも、ユーヤなら、カルセオラリアに戻してそのまま監禁する方法も思いつくんじゃないの? それをトルクに進言すれば、実行してくれると思うよ?」
監禁とは一体……。
せめて、軟禁で留まって欲しいが……。
「それはトルクの方が酷だろう。確実にルカ嬢から恨まれることになる」
「できることを否定しないのがユーヤだよね」
俺の言葉を受けて、真央さんは楽しそうにくすくすと笑った。
「でも、あの子が魔獣退治に出ている時に、集団熱狂暴走が発生したら、素直に戻ると思う?」
「思ってないよ。多分、その場に留まってしまうだろうね」
その姿が容易に想像できてしまう。
視界を埋め尽くすほど多くの魔獣の群れの前に立つ黒髪、黒い瞳を持つ気高き王族の姿。
だが、思い浮かぶその光景が、肩より黒い黒髪を靡かせた小柄な女性であるのは何故だろう?
頭を振りたくなる気持ちを無理矢理、押さえ込む。
まだ起きてもない未来を勝手に夢想して苛立つのも落ち込むのも何か違うから。
「だから、できれば発生見込みの一週間前までに抑え込んで欲しいとは思っている」
「それを過ぎたら?」
「トルクと、九十九、主人を使ってカルセオラリアに戻すかな」
勿論、良い気はしないし、納得もできないだろう。
それでも、集団熱狂暴走を経験したことがある人間としては、あの災厄に巻き込まれて欲しくはない。
それに、水尾さんを戻すという名目で、主人もカルセオラリアに避難させることができる。
そのためなら、トルクスタンと弟も協力してくれることだろう。
「一週間前……。ウォルダンテ大陸の集団熱狂暴走に関する情報が少ないのが痛いね」
「ここのところ、その予兆すらなかったらしいからね」
もしかしたら、ずっと大気魔気の調整が上手くいっていなかったせいだろうか?
そうだとしたら皮肉だ。
人間が生きやすい世界にするためには大気魔気の調整が必要だが、それを行うと集団熱狂暴走が起きやすくなるということになる。
だが、大気魔気が濃い地点……、神気穴の周辺で発生しやすいのだから、その考えは違うだろう。
だが、本当に神気穴の周辺で発生しやすいのならば、最も濃いはずの王城周辺で発生することが少ないのは何故だ?
「一週間前までにその周辺の魔獣を殲滅することは無理でも、数が減れば、この国に任せることも問題はなくなる」
「本当にそう思う?」
「本来は、最初から最後まで、ローダンセやウォルダンテ大陸内にある諸国が取り組むべき問題だ。それをかなり軽減するだけでも違うと思っている」
それで、万一、殲滅できなかった時には、水尾さんには納得してもらうしかない。
トルクスタンは約束の期限を設けなかった。
そこが少し痛い。
だが、逆に言えば、無期限でもないのだ。
それを後で伝えておこうとは思う。
本来、このローダンセは、魔法国家の王族の手助けなんて得られるはずがなかった。
それなのに、既に魔獣退治を幾度となく行っている。
この時点で十分な助力を得ていると言えるだろう。
その事実に、この国が気付きもしないというのが笑える話なのだが。
そんな風に思考している時だった。
「一つ、怖い話があるけど、聞く気ある?」
真央さんが意味ありげな表情で微笑んだのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




