能力があるために
「ああ、ユーヤ。アーキスとの面会の件だが……、悪いが明日以降にしてくれとのことだ」
トルクスタンが思い出したようにそう言った。
「そうだろうな。急用ができたのだろう?」
それは、トルクスタンが呼び出された時点で予測できたことだ。
だからこそ、こうしてのんびりと会話に付き合っている。
「何故、分かった?」
「曲がりなりにもこの国の貴族子息であれば、青色の登城要請は、断れまい」
これまでの白い状袋とは違う種類の物が届いたはずだ。
「何故、分かる?」
「この状況で、王家が『青』を使わなければ、本格的に何も分かっていないと言うことになるからな」
人間界でもそうだったが、どの国も、書簡を出す時にはそれぞれ規則がある。
その中でも、国にとって重要な書簡となれば、必ず象徴色……、国旗や王家の紋章……、玉座に使われているものと同じ色の状袋で出さなければならないことは、国際的な規則とされている。
そして、この国では、城から書簡専用の使用人によって運ばれ、信書として本人に手渡すことが義務付けられているらしい。
それは、受取人が病床……、瀕死の重症であっても。
その受け取りを拒否することは、この国の貴族の責務を放棄すると見なされる。
家を継いだ当主ではなく、まだ子息の身であれば、多少の目溢しはあるかもしれないが、当然ながらそのように養育した当主が国から咎められ、少なくともこの城下には住めなくなるだろう。
たかが書簡。
されど書簡。
決して甘く見てはならない。
通常の王命……、白い封書で届く登城要請などはのらりくらりと躱せても、流石に、青色の王命には従うしかない。
先述したように国にとって重要な話なのだから。
封書一通でこの先の未来が無くなるぐらいなら、素直に従う方がマシだということだ。
「何故、青の王命だと分かった?」
トルクスタンは首を捻っている。
「トルクが情報提供をしたからな」
「あ? どういうことだ?」
整った顔の一部に刻まれる縦皺。
この調子だと跡が残りそうだな。
「彼を、トルクが伝えた場所の調査に遣うだろうなと推測している」
「さっきも言ったと思うが、集団熱狂暴走の前触れと言うのは、国王と宰相以外は信じていなかったようなことだぞ?」
「だから、大々的に派遣することができない。大臣たちが否定しているのだから、正面から強行するのは愚策だ。だが、万一、本当だった時は、国が壊滅的なダメージを負う。だから少数精鋭……、それも周囲に気付かれないような人間を使うしかないだろう?」
もともとロットベルク家第二子息はこれまでもずっと魔獣退治をしていた。
だから、強い魔獣が増えているその場所へ向かったとしても不自然ではない。
さらに言えば、それに気付かれ、他の大臣たちから、他国の王族の言葉を真偽不明であるにも関わらず、鵜呑みにするのかと責められた時、ロットベルク家第二子息ならば言い訳が立つのだ。
情報を齎したトルクスタンの親族だからと、ガセネタを信じた王が調査員を遣わしたのではなく、彼が勝手に行動したことにできる。
そして、万一、魔獣によって重傷を負ったり、帰ってこないことがあれば、そのことがトルクスタンからの情報は間違っていなかった証明になるだろう。
彼ほどこの国でも魔力が強く魔獣退治に慣れている人間でも対処できない事態ならば、本当に集団熱狂暴走の兆候であることが確定するのだから。
流石にそれは親族であるトルクスタンや、彼女たちの前では言えない。
どう聞いても気分が良いものではないから。
まるで人間界で聞いた炭鉱で毒ガス探知機として、使われるカナリアのような扱いだと思う。
人間よりも先に見えない周囲の異常に気付き、囀ることを止める鳥。
その能力があるために、先行させて周囲の危険を察知させようとする辺りとてもよく似ている。
ああ、俺が彼のことを気に入らないのは、主人に対する暴言だけではなかったな。
周囲からいいように使われて、そのことに気付いても気付かなくても、何もしない。
その部分が腹立たしいのだ。
能力があるならそれを生かせ。
機会を最大限に利用しろ。
周りの思惑に諦観の念で乗るな。
確かに出自、環境において同情すべき点はある。
だが、それだけだ。
そこから何もせず、ただ生かされているだけというのは違うだろう?
自慢ではないが、俺たち兄弟もそれなりの環境に身を置いたことがある。
母親が死に、父親だった男の最期も見届けた。
その後、弟と飢餓の憂き目に遭ったのだ。
その時期、弟と行動を共にしなかったのは、互いを食料と認識しないためでもある。
幼かった弟の方には、その意識はなかっただろう。
人間が食料になるなどという発想はなかったはずだ。
だが、俺の方にはあった。
人間は肉の塊だと。
そんな飢えた魔獣になったような状況を打破したのは、弟の方だった。
その場所から離れるな。
父親だった男の言葉を、その死後も、律義にそれを守り続けたことが悪かったと今でも思っている。
弟はその言い付けを破った。
それも飢餓からではない。
誰かの泣き声が聞こえた気がした。
ただそれだけの理由で。
そして、主人となる娘に出会うのだ。
今にして思えば、飢えの余り、食料的な意味で襲うようなことにならなくて本当に良かった。
まあ、あの頃の弟ならなす術もなく、返り討ちにあっただろうけど。
結果的に良かっただけ。
そうとも言える。
だが、行動しなければ何も変わらないことを、俺はその時初めて本当の意味で理解したのだ。
弟に教えられた。
それ以降の学ぶ場では必死で知識を吸収して行くことになる。
何処かの血筋のせいか、物覚えが悪くなかったことは幸いであった。
だが、教師であり、姉のような存在の女性はそんな俺を見て苦笑しながら、学ぶのは良いが、思い込みで視野を狭めるなと何度も教わることになる。
それは仕方がないだろう。
俺の背には、すぐ後ろには、物事の本質を見抜く男がいるのだから。
二歳年下の弟。
その存在は、救いであり、呪いでもある。
―――― 貴方の弱点はシオリ様ではなく、弟の方ですね?
そう問われるまで意識すらしていなかったが、結局のところそうなのだろう。
―――― 常に弟から追い詰められる人生はいかがです?
それに対して、俺は「なかなか楽しい」と返した。
その言葉に嘘はない。
それでも、強いて細かな偽りを探すのなら、「なかなか」ではなく、「最高に」と言葉を変えるぐらいだろうか。
自分自身を鍛え続け、才能を開花させているのに、まだ足りないと更に高みを目指し続ける愚弟。
あの域には至れないと自嘲しつつも、せめて見劣りしないように虚勢を張り続ける愚兄。
愚かしいほどに俺たちは似たもの兄弟である。
「調査……かあ……」
そんな声で思考から現実へと引き戻される。
暫く、それぞれが思案していたらしい。
無音の室内に響いた声は、真央さんのようだ。
敏い女性であるため、俺が口にしなかった部分も気付いていることだろう。
「王命の中身までは俺は知らないから、ユーヤの考えが正しいかは分からないぞ? ただ……、一度は了承したのに申し訳ないと、謝ってくれとは言われた」
「カルセオラリアの王城貴族からの面会希望と、自国の王からの王命では重さが異なるのは当然だ。こちらは気にしていないと返答しておいてくれ」
「分かった」
これは、一国の王子を伝言者として使っていることになるのだが、トルクスタンは気にしないようだ。
彼らとの間に連絡手段を確立しておくべきだったとも思ったが、何かの弾みで俺と専属侍女が同一人物であることが露見するのは何かと都合が悪い。
接点は少ない方が良い。
それなら、一応、不敬となるのだが、トルクスタンが嫌がるまではこのままで良いだろうと思う。
もともと専属侍女になるよう勧めたのはトルクスタンだからな。
その責任を負ってもらうことにしただけということにしておこう。
まあ、念のために書簡を置くつもりではあるが。
「国王と宰相はトルクの言葉に理解を示したなら、調査だけか? それ以外の対策を事前にする気はないのか?」
どこか焦ったように水尾さんが尋ねる。
トルクスタンが戻ってきたら、すぐに集団熱狂暴走の発生源となりそうな場所へ向かう許可を取るかと思ったのだが、意外と落ち着いていた。
「俺を帰す前に、宰相から言われた。宰相は魔獣の活性化には気付いていて別の方向からも情報提供があったらしい。だから、城下の魔獣退治の依頼を増やしていたところではあった、と。まだ猶予はあるため、徒に騒ぎ立てないで欲しいとも言われたかな」
トルクスタンはそう思い出すかのように言った。
宰相は気付いていた。
ああ、宰相の庶子の中に、魔力探知に優れた者がいると弟からも報告があったか。
だが、宰相……。
今は、余裕がないはずなのに、周囲には余裕を見せなければならないらしい。
まあ、他国の俺たちには知ったことではないが。
「依頼を増やす……。そんなので足りるのか?」
「宰相もきっと足りないと気付いている。だから、そのために、内密に調査することにしたのだろう」
水尾さんの言葉に、俺はそう答えた。
ローダンセのやり方とアリッサムのやり方は違うことは理解できたようだが、尚も納得できないのは感情からか。
いや、感覚からなのかもしれない。
それだけでは足りない……と、何かを感じ取っているのか?
「それで、間に合わなくなったら?」
震えるような声で、水尾さんは、そうトルクスタンに確認するのだった。
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