報告義務
「なんと言ったら良いか……。スタンピードの兆候について、王城に全く情報が寄せられていないと言われたんだよな」
トルクスタンは王城で言われた言葉をそのまま口にする。
「そのためか、ローダンセ国王陛下と宰相は俺からの言葉を信じてくれたように見えたが、他がな。財政大臣、内政大臣、軍政大臣は信じていないというより、完全に否定的だった。ああ、外政大臣は半信半疑だったかな」
「なんで!?」
水尾さんが噛みつくような勢いで、トルクスタンに向かって問いかけた。
「なんで……って、さっき言ったように兆候の情報が寄せられていないから……らしい」
トルクスタンも首を捻る。
「その兆候の情報とは何のことだ?」
集団熱狂暴走は大気魔気の変化に敏感でなければその兆候が分かりにくい。
発生源の目前まで近付けば、大半の人間には感知できるだろうが、その場所から数キロも離れてしまえば、察することは容易ではないだろう。
実際、数日前までこの国にいた俺と弟は気付けなかった。
知った上で、方角と位置を特定させ、その場所に集中しなければ周囲の変化を感知できなかったのだ。
たかが10キロ程度の場所にいる魔獣たちの変質も分からないようでは、俺もまだまだ鍛錬が足りないということである。
「スタンピード目前の魔獣による被害の情報が全く王城に届かないらしい。本当に発生一月前ならば、その周辺の村や町が集団で嘆願書を出すほど被害が出ているはずだ……と言われた」
……そう言うことか。
「それって……」
真央さんもその意味を理解したらしい。
「基準がおかしい!! その場所にたまたま腕の良い魔獣退治屋がいたら、分かんねえってことじゃないか!!」
腕が良すぎる魔獣退治の専門家はそう叫んだ。
彼女の言葉は尤もだが、王城……、ローダンセ王家の判断としては、そこまでおかしなものでもない。
それだけ、集団熱狂暴走の兆候は、安全な場所にいては分からないものなのだから。
だが、問題はそこではない。
だから、俺は尋ねたのだ。
集団熱狂暴走の兆候を、既に、王家が把握していないはずがないと思って。
「なるほど……。第一王女殿下が魔獣との戦いで重傷を負い、通りすがりの魔獣退治屋にその御身を助けられたぐらいでは、ローダンセ王家としては、集団熱狂暴走の兆候とは言えないと言うことか」
「あ? なんだ、それ」
トルクスタンは顔を顰めた。
この男も聞いていないらしい。
何処も彼処も、重要な報告や連絡が行き届いていないようだ。
「私は言ったぞ。この国の第一王女とその護衛たちが薙ぎ倒されていたところを助けたって。あれは治癒魔法を使えるヴァルナがあの場に居合わせなければ、第一王女以外は全滅していたと思っている」
俺に渡された報告では、水尾さんが気が付かなければ、愚弟は発見することもできなかったらしいから、どちらかが欠けていたら、誰も助からなかったかもしれない。
「あの時は、中心国の王族なのにあの程度の魔獣に……と思ったが、集団熱狂暴走の兆候段階でも、その発生予定地の近くにいる魔獣なら強化されいる。ああなってもおかしくはないってことか……」
水尾さんは何かを思い出したようにそう呟いている。
その場にいた魔獣を退治したのは水尾さんだったはずだが、その時点では集団熱狂暴走の前段階で変質した魔獣だったのかまで分からなかったのかもしれない。
それに、その現場は集団熱狂暴走の発生予定地と少し方角と距離が違った。
審査門から見れば西に5キロの距離。
それならば、まだ魔獣への影響は少ないだろう。
だが、言い換えれば多少方向が違っても影響が出る可能性もあるのか。
いや、真央さんの話では、集団熱狂暴走の発生源となりそうな場所は一箇所ではないらしい。
それらが一斉に……ということは流石にないだろうが、現時点で互いに影響を与えあっていることは否定できない。
見立ては一月後だったが、早まる可能性も出てきた。
どうしたものか。
「だが、第一王女が重傷だったとは……」
「護衛は20人ほどいたが、その全てが倒れていたな。第一王女本人は魔獣に囲まれたことに絶望したのか、自分の喉に刃を向けて、何やら叫んでいた気がする」
弟がその場に行った時は、既に魔獣たちは先行した水尾さんによって倒された後だったらしい。
だから、その現場を見ていない。
だが、喉に刃と言うことは……。
「魔獣に囲まれながら、自分の喉に刃だと? 危ないじゃないか」
トルクスタンがそんな呑気な感想を口にする。
「阿呆。生きたまま魔獣に嬲られるよりはマシだろう?」
実際、どんなつもりだったかは分からない。
水尾さんの話からすると、何を叫んでいたのかは分からないようだからな。
「嬲……? ああ、そういう話なのか」
だが、トルクスタンは察したらしい。
少なくとも、俺と同じ結論に至ったようだ。
「この大陸の魔獣は、集団熱狂暴走に関係なく、人間に発情する種類もいるようだからな」
それが、集団熱狂暴走という現象によって、その部分まで強化されてしまうのだろう。
食欲だけで済ませておけば良いのに、厄介なことだ。
そして同時に、水尾さんが駆け付けるまで、周囲を含めて第一王女殿下の命があった理由としても納得できる。
魔獣も死体を相手にするよりは、生きた人間の方が良いということか。
「マジか?」
「どれぐらいの比率か分からんが、ヴァルナはそう言っていた。人類に子を産ませた事例がある魔獣を何種類か見かけた……と」
弟はこの国に来るまで、魔獣と戦ったことはなかった。
だが、魔獣の特徴、特性は書物等から学んでいる。
師からは絵が入った解説書を渡されたこともあったし、召喚獣ではあったが実物も何種類か見ている。
これらは女の敵だから、出会ったら即、殲滅するように……と。
いや、今にして思えば、あれらは契約した召喚獣ではなく、師が創り出した幻影だったのかもしれない。
あまりにもセントポーリア城下の森に呼び出された魔獣たちの種類は多かったから。
だが、あの当時にそれを判別できるほどの知識も経験もなかったし、アレらは俺たち兄弟を何度も虫の息に追い込んでいたのだ。
実体がある幻影など、どれだけ高度な魔法なのか?
「ルカ? ユーヤはこう言っているが、お前もそんな魔獣たちに会ったのか?」
「会ったぞ。第一王女を囲もうとしていた魔獣の中には、サルの魔獣もいたからな」
彼女の言うサルの魔獣はウォルダンテ大陸固有の魔獣で、繁殖力が大変、高く、一匹見たら五十匹は確実に近くにいると言われている。
それだけでも脅威であるのに、人間の女性に子を生ませることあるとして、駆除、退治指定対象害獣の中ではかなり有名であった。
そのために、トルクスタンも知っていたらしい。
その顔色は悪い。
「ん~? そうなると、第一王女はやっぱり、国に報告していないって考えた方が良いかな?」
俺たちの会話を聞いていた真央さんがそう結論付けた。
「あ? 魔獣退治で失敗したら、報告は義務だろ? しかも、強くはないが、有害指定危険魔獣であるサルの魔獣や、興奮する魔獣までいたんだぞ?」
「興奮する魔獣までいたのか!?」
水尾さんの事後報告に対して、トルクスタンが叫ぶ。
興奮する魔獣はウォルダンテ大陸、スカルウォーク大陸に生息する魔獣で、普段は大人しく害はないのだが、繁殖期に入ると他の魔獣や人間まで襲うという大変性欲的な魔獣である。
目を付けた獲物に対して、散々、痛めつけて抵抗ができない状態まで壊した後で、行為に及ぶと聞くから、相当、趣味が悪い性癖を持つ魔獣だと言える。
幸い、興奮する魔獣はサルの魔獣のように群れではなく単体で目撃されることが多いのだが、ローダンセの第一王女殿下は魔獣たちにとって、大変魅力的らしい。
これらの魔獣については弟から報告されている。
その場には、それ以外の魔獣もいたようだが、分かりやすく女性の敵はその二種だったらしい。
しかし、集団熱狂暴走で狂化される前からそういった性質のある魔獣と相対するとは、第一王女殿下はなかなか運が悪いと言える。
いや、ある意味、幸運なのか。
少なくとも、それらの魔獣から身体を傷つけられてはいたが、女性としての尊厳までは傷付く前だったようだから。
「魔獣退治の失敗を報告する義務があるのはアリッサムだね。他国は義務付けていないと思うよ。だから、隠せることは隠そうとするんじゃないかな」
真央さんがそう言いながら溜息を吐いたのだった。
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