学生服
「先輩、私も着てみて良い?」
俺の制服を握りながら、水尾さんはそんなことを口にした。
「え? ルカも……?」
真央さんにとってもその申し出は意外だったのか、訝し気な顔する。
「構わないが、俺の制服で良いのかい? 愚弟も中学時代の物なら持っていたが……。ああ、ヤツが持っている物は少し色が違うかな」
この学生服は黒だが、中学時代に着ていた物は何故か、黒に近い濃紺だった。
高校受験をする時に、俺たちの中学校だけ、周囲の学校の制服と色が違ったために少し目立っていた記憶がある。
言い換えれば、他の黒い学生服と並ばなければ、そこまで違和感を覚えない程度には黒に近った。
「あ~、そうだったね。九十九くんの制服、少~しだけ、色が違った覚えがある。黒じゃなくて、黒寄りの濃紺?」
思い出したように真央さんが両手を叩く。
「そうだったか?」
「うん。ルカは彼の胸倉まで掴んだのに覚えてないの?」
なかなか激しい言葉が出てきた。
いや、その件は弟からも聞いていたから問題はないが、今更、それを話題にされるとも思っていなかったことは確かだ。
「あれについては、記憶から消したかった」
そう言いながら、手に持っている学生服を強く握る。
まあ、初対面でいきなり年下の男子生徒に喧嘩を売った形になるのだ。
淑女としてはいろいろ問題ある行動だろう。
「でも、あれは謝った。ちゃんと本人に謝ったからな?」
「あ~、ちゃんと謝っていたのか。偉い、偉い」
真央さんは水尾さんに向かって柔らかく微笑むと……。
「それなら、先に着ても良いよ」
そう片手を差し出した。
「じゃあ、ちょっと借りて良いか?」
「どうぞ」
俺としても異論はない。
そのまま、背を向けた。
上着だけでも、着る所は見せたくないだろう。
それにしても、弟と服を共有することはあったが、女性に自分の服を着てもらうことになるとは思いもしなかったな。
それも、この世界にはない学生服だ。
一体、どんな巡り合わせならこんな機会が訪れるのか?
「でかっ!?」
「まあ、13歳のルカには大きいだろうね~」
そんな会話が背後から聞こえてきた。
「いや、これは絶対、今のリアにもでかいって。そして、この肩パッド。やっぱり邪魔じゃないか?」
「学生服の形を保つためでしょう? それでも、男子生徒って、これを着て、結構、激しい運動していたよね? 凄いな~」
着慣れるとそうでもないが、確かに始めは、その肩パッドの存在は気になった。
その当時は、礼服なんて着たこともなかったから尚更だ。
自分がそう感じた二年後に、弟も似たような感想を口にし、更に今、何故か女性たちも同じことを思っている。
本当に不思議な話だ。
「もう振り向いて構わないかい?」
「あ、ごめん、ごめん。良いよ~」
「別に脱ぐわけじゃなくて、上に着るだけだから気にしなくても良いのに。変な所、律義だよな」
許可が下りたので振り返ると、そこには緑髪、青い瞳の少女が少しだぶついた学生服という違和感しかない姿で立っていた。
本来の背丈で黒髪、黒い瞳なら、さぞ似合ったことだろうが、今の容姿では何故か、申し訳ない気分になる。
「九十九くんの中学時代の服なら、今のルカでも丁度良いかな? 可愛かったよね~。ちょっと幼いユーヤって感じで。再会した時はルカより大きくなっていて実はビックリしたんだよ」
「カルセオラリアに行く前の……ストレリチア城で世話になっていた時に抜かされたんだよ。あれは結構、悔しかったな」
中学時代、緩やかに成長し、男の中では小柄な方だった愚弟は、16歳を過ぎた頃、一気にその背を伸ばした。
そして、俺が20歳になる頃、カルセオラリア城が崩壊し、大聖堂で休養をしていた時期に、恐らく抜かされたのだと思う。
幸か不幸か、その頃に並んで立つ機会がなかったため、どのタイミングで抜かされたのか、正確な時期は分からない。
だが、カルセオラリア城にいた頃には、ほとんど並んでいたことは確かだ。
だから、水尾さんが言う悔しさは分からなくもない。
「自分より背の低かった少年が、目線が並ぶ位置になり、そして少し見上げるぐらいの青年に成長する……。浪漫だね?」
悪いが、その浪漫には賛同できない。
「悔しかったって言ってんだろうが」
そちらならば大いに同意である。
たかが背丈の高低などで人間の価値が決まるわけではないが、それでもムカつくものは仕方がないのだ。
我ながら狭量である。
「そこは仕方ないよ。成長期だったわけだし、九十九くんは男の子だからね。ルカより背が伸びるのは自然なことなんじゃないかな」
真央さんはそう言って笑う。
彼女たちは女性にしては背が高い方だ。
だが、それはあくまで女性としての話である。
国外から背が低いと言われていた日本人男の平均身長と比べても、やや低い。
「でも、ちょっと羨ましいよ。ウィルは私より背の低い時代がなかったからね。トルクの方は幼くて、可愛い時代は知っているけど、やっぱり昔から私よりも大きかったから、そんな男の子の成長を見守ったことはないな~」
「トルクは確かにセントポーリア城で会った頃から、十分、俺よりも大きかったな」
初めて会った時から、ヤツは無駄に大きかった。
カルセオラリア国王陛下も大柄であるため、遺伝的なものはあるだろう。
「そうそう。今からでも縮まないかな~って思っているんだよね」
真央さんが明るくそんなことを口にするから……。
「それは勿体ない」
俺は思わずそう言っていた。
「「勿体ない?」」
不思議そうな目を向ける双子。
今はトルクの薬によって年齢差があるし、その容姿も変えいるために双子には見えないはずだが、その表情はよく似ていて、先入観も手伝うためか、やはり双子だと思えてしまう。
「自分より大きな方が、盾として使いどころが多い」
「うわあ」
「酷え」
だが、事実だから仕方ない。
尤も盾として使うなら、王族であるトルクスタンよりも愚弟の方が使いやすいのだが。
「ルカ、ユーヤの服は十分、堪能したでしょう? 私も着てみたいから、そろそろ良い?」
「まさか、この年になって学ランを着ることになるとは思わなかった。結構、肩が凝るもんだな」
「その辺りは、性別違うからかな? でも、ルカは13歳だから年齢的な問題はないよ。私はちょっとアレかもだけど、私よりも先輩であるはずのユーヤが着ているから問題ないよね?」
そんなやり取りがあり、俺は再び、彼女たちから背を向ける。
俺も主人からの提案でなければ、こんな恰好などする予定もなかった。
そして、この様子だと、肝心の主人にお目にかかることができない気がしている。
まあ、まだ時間はあるから大丈夫ではあるが、今の主人は睡眠を多く必要としているのか、朝も昼も目を開けた状態では会っていないのだ。
だが、仕方ない。
状況が変わったのだ。
だから俺は休養が必要な主人と共に過ごすことよりも、動くことを選んだ。
尤も、明日は愚弟と交代する。
俺にしか得られない情報があり、愚弟にしか得られない情報もあるからだ。
それぞれ相性が良い人間と、興味のある事柄、相手から情報を引き出す技術が異なるのだから、それは当然のことだろう。
「うわっ、本当に大きい。違いは肩? いや、この構造なら、胸があれば丁度良くなる?」
「いや、胸があっても、やっぱり肩幅の問題だと思うぞ」
「そう? 凄く大きければ、この辺りとか多分、もっと膨らむから丁度良くなる気がするんだけど」
俺の思考に割り込む華やかな声。
だが、その内容は華やか……とは少し違う気がする。
「ユーヤ、着たからこっち見て大丈夫だよ」
今度はすぐに声を掛けられたから、背を向けた状態から解放されるのも早かった。
「どう? 似合う?」
「悪くないけど、いつもの貴女ならもっと似合うと思うよ」
緑髪よりは葡萄茶色の髪色の方が、違和感が薄い。
だが、やはり黒髪の方が良い気がする。
それに、水尾さんは見た目にも分かるぐらいだぶついていたが、年齢を若返らせる薬を服用していない真央さんが着ると、意外にも袖と丈の長さぐらいしか気にならなかった。
これは、肩のラインがしっかり整うように設計されているパッドのおかげだろう。
「ところで、ユーヤ。これは高田に着せてみた?」
「主人からの罰ゲームなのに、彼女に着せては意味がないだろう?」
それ以前に起きた状態の主人に今日はまだ会っていないのだが。
「え~? 可愛い女の子が自分の服を着て照れくさそうに笑う姿は男の浪漫だってトルクが言っていたよ?」
「ヤツの性癖を鵜呑みにしてはいけない」
「性癖なのか」
性癖だろう。
どこをどう聞いてもヤツの趣味だとしか言いようがない。
「でも、九十九くんは結構、好きそうだよね?」
「…………」
思わぬ問いかけに不覚にも閉口してしまった。
「いや、そこで黙るなよ。リアの言葉を否定してやれよ、兄貴」
「憶測で物を語るのはあまり、好きではないんだ」
「そう言った意味で使うなよ!? 弟の名誉を守るために嘘の一つや二つ吐いてやれよ!?」
その名誉を守るための材料がないからそこは諦めて欲しい。
いや、ヤツは好きだろう。
正しくは、主人がやることは何でも好きなのだ。
あれはあれで、一種の性癖だと思っている。
「ユーヤはこう言っているけど、貴方の意見としてはどう? トルク」
「いきなり何の話だ?」
「いや、お前もどこから湧いた!?」
本当に突然現れたトルクスタンに対して叫ぶ水尾さん。
気持ちは分かる。
「移動魔法だが?」
真央さんは移動魔法の気配を察したから、そのまま、話題を振ったのだろう。
当人は話を聞いていないのだから、分からないのは当然だ。
「他人の家に移動魔法で戻ってくるな! この非常識!!」
同感である。
「他人の家って……、ロットベルクは親戚だし、ここは俺に宛がわれた部屋だから何も問題はないだろう?」
この辺り、トルクスタンは王族である。
自分の都合のみで生きているのだから。
「私かリアのどちらかが着替え中だったらどうするんだ!?」
「俺が喜ぶ」
正直すぎる。
そして、それは発言として最悪だ。
だが、この男に救われている部分もあるから複雑だなと思いつつ、俺は目の前で紅い炎が爆ぜるのを見守るのだった。
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