追憶
「じーさんは本当に凄かったんだよ」
魔法国家の第三王女殿下は懐かしそうに語る。
かつて国を治める女王の横に立った男のことを。
同時に、自身の祖父でもあった男のことを。
「じーさんがいれば、集団熱狂暴走も怖くなかったらしい。たった一人で、千を超える魔獣を一瞬で焼き尽くしたと私は聞いていた」
たった一人で千を超える魔獣を一瞬で屠るなど、まるで、セントポーリア国王陛下のようだと思った。
一国の王と比較したくなる。
一国の王に並び立つ存在。
本来の王配はそれほどでなければならないと思うが、王の横に立つには分不相応な妃というのも特段、珍しくないのだから、過剰な期待は良くないのだろう。
ただ自分は男なので、やはり立場ある同性には、女性に恥をかかせることなく頑張って欲しいと願ってしまう部分があることは否定しない。
「そんな凄いじーさんでも寿命には勝てなかった。あっさりと、本当にあっさりと死んだんだ。心臓は弱っていたし、まあ、年だったからな。そこは仕方がないと思っている」
先代の王配ダルシア=ラマンカ=アリッサム殿下は、御年80歳で亡くなったらしい。
エナレス=スティーラ=アリッサム前女王陛下との婚儀を行った時点で、既に50に手が届いていたと聞く。
もともと、アリッサムという国は国王の配偶者となる時点で四十を過ぎていることは珍しくない。
だが、そのためか、次世代を持つのも婚姻してすぐ……はあまりないらしい。
それでも、スクリア女王陛下は妹が二人いるわけだが。
不思議とアリッサムの直系王族は娘が三人となる家系が多いらしい。
多くても三人の娘。
少なければ一人娘。
それ以上は女児も男児も生まれない。
傍系王族になると男児も生まれているようだが、直系は俺が確認した限りでは女児しか生まれていなかった。
そして、婚姻時に配偶者を国王とせず、王配という形にした。
そのために、必然的に女王ばかりとなる。
そこまでは理解できるが、直系の子供が三人姉妹ばかりが多いのは、どういう理由なのか?
考えられることは、その時の女王が三人を生んだ時点で、王配との営みを拒む……ぐらいしか考えられない。
年の差婚が多いことも理由かもしれないが。
「多分、グラナの方が覚えているかもしれないな。ヤツにとっては一応、義理の伯父だから」
法力国家ストレリチアのグラナディーン=テマラ=ストレリチア王子殿下の母親レンシア=セルア=ストレリチア正妃殿下は、エナレス=スティーラ=アリッサム前女王陛下の妹君である。
この世界は王族の婚姻が複雑に入り乱れているので、こういった関係性は往々にして存在する。
トルクスタンとロットベルク家第二子息であるアーキスフィーロ様も似たような関係だ。
「確かに年齢的にはグラナディーン王子殿下がダルシア前王配殿下のことを記憶していてもおかしくはないが、アリッサムとストレリチアではなかなか会うこともできないだろう?」
「先輩は、じーさんが元聖騎士団長だってことを忘れてないか? 正神官の資格も持っていたじーさんは、年を取ってからも、マメにストレリチアまで行ってるんだよ」
人間の縁は一つではない。
そう思い知らされる事例だな。
「子供心にあんな魔法の使い手になりたいって思ったよ。魔法の基礎も、理論も、考え方も全て、私はあのじーさんに教わったんだ」
ミオルカ王女殿下は、穏やかな声と表情でそう言った。
その感情に覚えがある。
似ているだけで同じではないのだろうけど。
「なるほど……。貴女の師でもあったのだな」
金髪で勝気な青い瞳を持った女性を思い出す。
本当ならば、傅かれ、敬われる立場にあった女性は、それを享受することなく、幼い頃に生まれた国から離れ、遠い異国の地で果てることになった。
そのことにあの師は後悔することもなかっただろうか。
何度もそう思う。
俺たち兄弟は、少しでもあの師の心を慰めることはできたのだろうか?
答えは出ない。
「師……?」
だが、何故か不思議そうな顔をされた。
「貴女は前王配殿下より、魔法の手解きを受けたのだろう? それならば、『師』と呼んで差支えはないと思うが?」
俺の言葉をどう受け止めたのだろうか?
ミオルカ王女殿下はみるみるその表情を歪めていく。
「そうか……。師だったんだ。あの人が、師。私の……師……」
そして、途切れがちな言葉と共に、一滴落ちた。
「あ……。やだ……」
そのことに気付いた彼女は手でその顔を隠そうとする。
だが、一度溢れ出したものは止まらない。
手の間を通り抜けて、床に向かって落ちていく。
「なん……? 止まらな……っ」
その言葉を遮るように、俺は自分が着ていた上着を放った。
「俺は何も見ていない」
金属でグラスを軽く叩いたような音が耳の奥に木霊する。
同時に、上着を放った後の右腕が仄かに光を帯びたことを視界が捉える。
「これ……、先輩の……?」
少し重さのあるこの世界にはない布地の感触で、彼女も気付いたのだろう。
俺が掛けた学生服の上着の下で身動ぎしていた。
「懐かしい人間界の感覚があるだろう?」
この世界に本来、存在するはずがなかった衣服。
「そう……だな……。懐かしい」
その中で、たどたどしく紡がれる言葉。
「学ランって……、案外重いんだな」
そんな声と共に、黒い塊は少しだけ震えた。
「動きにくいし、首元は苦しい」
確かに首元は苦しい。
何故、男の服の首部分をこんな形状したのかがよく分からないと人間界にいた頃から常々思っていた。
見た目には良いかもしれないが、ほとんどの男子生徒は、許される場なら詰襟のホックは外すだろう。
喉仏がその存在を主張する時期なってからは、本当に息が詰まるような感覚を持った男子生徒も多いと思う。
「重くて、暗くて、懐かしくて……、泣きそうだ。先輩は女の扱いに慣れているようなのに、結構、酷いことをするな」
その言葉には異議を唱えたい。
別に慣れているわけではないのだ。
どちらかといえば、女性は苦手である。
半童貞の弟より、幾分、女性と接することが多いから、その対比でそう見えているだけと思っている。
だが、彼女が求めているのはそんな答えではないだろう。
「そうだね。女性の頭に掛けるには、少々重いかもしれない」
俺がそう言った時だった。
「いや、そこは抱き締めて落ち着かせるところじゃないの?」
そんな第三者の声。
「どっから湧いた!?」
水尾さんが自分の頭部にあった俺の上着を跳ね除けながら叫んだ。
今となってはとても貴重な衣服なのだから、できればその扱いは丁寧にしてほしいのだが、そんなことを言える状況でもなさそうだ。
「そこの入り口から?」
それに対して、真央さんは自分が通ってきた扉を指して答えた。
「それより、ユーヤ。ルカが弱っているんだからさ~。そこは色男らしく、そっと優しく抱き締めて慰める場面なんじゃないの?」
ずっと隣室から《・》様子を窺っていた女性はそんなことを口にする。
「妄りに女性に触れることはしないよ」
特に水尾さんは俺を苦手としている。
昔ほど悪い感情はなくなったとしても、そんなヤツから抱き締められても嬉しくはないだろう。
「それになんで学ランなの? ユーヤならもっと軽いヴェールとか帽子でカバーもできたでしょう?」
「学生服は、この世界にない物だからね。現実味がなくて逆に落ち着くと思ったんだよ」
「へ~?」
疑われている。
まあ、当然か。
自分が着ていた物をわざわざ脱いで被せる理由としては、かなり弱いだろう。
その学生服には先ほどまで俺が着ていたために、体内魔気が染みついている。
召喚魔法で取り出す物よりも、俺の気配が分かりやすいのだ。
加えて、直前まで着ていたために、その学生服には俺の体温も残っている。
他者の気配に敏感な水尾さんが、冷静になるには丁度良いと思った。
だが、それらを口にすることは憚られる。
単純に、気持ちの悪い発想だからだ。
好きな男の気配と温もりならば喜ぶことはできるだろうが、苦手……、どちらかといえば嫌いな相手の気配と温もりを意図的に与えられるなど、手っ取り早く焼却消毒を選ばれてもおかしくはない。
「まあ、確かに学生服の素材はこの世界にない物ではあるよね。天然繊維であるウールは似たようなものがありそうだけど、化学繊維のポリエステル……の方は、ないかなあ」
有難いことに、真央さんはこれ以上深く追求することは避けてくれたらしい。
水尾さんの手にある学生服の品質表示のタグを見ることにしたようだ。
「女子の制服よりは重い? そして……、肩との所にパッドが入ってる? それで、こんな形なのか~」
「このボタン、結構、揺れるんだな。そして、細かな音もする」
そして、何故かそのまま二人して品評会を始めた。
「そんなに二人して見るほどの物かい?」
ごく普通の学生服だと思うが、二人にとっては違うらしい。
「こんなの触ったこともないからね」
にこにこと笑いながら言う真央さん。
「内ポケットもあるのか。だが、ここに何を入れるんだ? 生徒手帳?」
まだ上着の検証を続けている水尾さん。
そこでようやく思い至る。
女子生徒が男子生徒の制服に触れる機会は、男子生徒が女子生徒の制服を触れるのと同じぐらい機会が少ないことに。
男女交際をしているとか、親しい異性間の友人や兄弟姉妹、親戚などがいない限り、確かに異性の制服に触れる機会などないだろう。
「ねえ、ユーヤ。着てみて良い?」
「ご随意に」
未知なる物に対する好奇心を抑えるのは容易ではない。
別に減るものでもないし、害もないから、特に問題もないだろう。
「わ~い、やった~……って、ルカ?」
真央さんがその学生服を着るために、それを引こうとしたのだが、それを水尾さんが阻んだ。
いや、阻んだと言っても、引っ張られた学生服をしっかり握ってその動きを止めただけなのだが、その行動は意外だった。
「あ、悪い」
無意識の行動だったのか、すぐに手を離す。
だが、水尾さんは、そのまま、真央さんが引き寄せた学生服を見つめ……。
「先輩、私も着てみて良い?」
何故かそんなことを口にしたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




