姉妹喧嘩
三年前に開かれた世界会合で……。
―――― 魔法国家アリッサムは本日をもって滅亡したものとする
そう結論付けられた。
そのことは俺が知っているぐらいだから、カルセオラリアの王族であるトルクスタンも知っているだろうし、一時はカルセオラリア第一王子殿下の婚約者となっていたマオリア王女殿下も承知だろう。
だが、俺はそれを主人には伝えていない。
弟は三年前、アリッサムが消失したことで世界会合が開かれたと知った時点で察しただろうけど、それでも友人である第三王女殿下を王族として扱っていた。
だから、ミオルカ王女殿下はそれを知らなかった可能性はある。
「そう。魔法国家アリッサムはもう亡いの」
その亡国の第二王女殿下は先ほど自身が口にした言葉を繰り返す。
「だから、これ以上、我儘を通そうとするのは、トルクや高田に迷惑をかけるのは、もう、止めて、くれないかな?」
それは自分にも言い聞かせる言葉のようにも聞こえた。
妹に告げることで、自身を納得させようとしているのだろう。
真央さん……、マオリア王女殿下もようやく気持ちの整理をすることにしたということか。
「で、でも……」
尚も、食い下がろうとする水尾さん。
それが悪かった。
「ルカは、カルセオラリア城下で状況を見ろって引っ叩いてくれたことがあるけど、今、状況が見えてないのは、間違いなくルカの方だよ」
迫力のある笑み。
さらに低い声。
その姿に怯んだ時点で、この場の強者が決定したようなものだ。。
今、マオリア王女殿下が口にした言葉については、俺は直接見ていないが、その現場にいた弟と居合わせた長耳族のリヒトからも報告はされている。
……だが、「状況を見ろ」と言ったのは、トルクスタンではなかったか?
そんなことを思いもしたが、それをこの場で口に出す無粋はしない。
崩れていくカルセオラリア城を見ても尚、戻ろうとしたウィルクス王子殿下の婚約者と、それを止めた双子の妹。
今の状況と似ていることは確かだ。
「大体、なんで、いっつも、一人でやろうとするの? 私や、ユーヤ、トルクはそんなに頼りない? 私たちは年下の貴女に守られなければならないほど情けない?」
「と、年下って……、先輩とトルクはともかく、リアは双……」
矢継ぎ早に続けられた言葉に対し、水尾さんが余計なことを言いかけて、それをマオリア王女殿下が視線だけて制止させてしまった。
水尾さんは魔法国家アリッサムの第三王女だ。
だから、普通ならば王族からの威圧に臆することはない。
だが、王族としての自覚の強さには大きな差があったことを、今、水尾さんは思い知らされている。
その事実が二人の間にあった明確な違いを浮き彫りにしていた。
「アリッサムの集団熱狂暴走なら、まだ目を瞑れた。だけど、ローダンセの集団熱狂暴走までルカが背負うべきものではないと、どう言ったら貴女に伝わる? アリッサムはもう亡い。ルカが身体と意地を張ってでも守らなければならないものなんて、もうどこにも亡いんだよ?」
「それは、分かってんだよ!!」
さらに念を押して言い聞かせるようなマオリア王女殿下の言葉を掻き消すように、水尾さんは叫んだ。
「アリッサムは亡くなった。それは理解している。だけど、それは、今、起ころうとしている集団熱狂暴走とは関係ない話だ。マ……、リアは知らないんだ。集団熱狂暴走を放置すれば、国がどうなるかなんて……。そこにいた人間たちがどんな目に遭うかなんて……」
どうやら、水尾さんにも言い分はあるようだ。
これはお互いの主張の対立らしい。
互いに亡国の王族。
守りたいのはたった一人の身内。
あるいは、力なき民。
これは相容れないだろう。
視点が違い過ぎる。
だが、育ってきた環境、受けてきた教育を思えば、本来は逆の主張になる方が自然なのだ。
王族の責務を周囲から刷り込まれてきたから、民を思う姉。
窮屈な生活の姉たちを見てきたから、そこから解放したくなる妹。
だが、今、何故かそれらが逆転している。
その原因……、理由のようなものに思い当るものはあるが、確信は持てない。
推測することはできても、俺は彼女たちにはなれないから。
「もう、いい」
ポツリと呟かれた言葉。
それに対して、言われた方はハッとして、顔を向ける。
「これ以上は堂々巡りだよね。ユーヤ、ごめん。私、少し頭を冷やしてきて良いかな?」
先ほどまで会話していた妹ではなく、俺に向かって真央さんはそう言った。
「隣室までかな。それ以上、離れられると、トルクが煩いからね」
俺の身体が一つしかない以上、そう答えるしかない。
他にも護ってくれる者はいるだろうけど、この場で姿を見せられない以上、その存在は無いに等しい。
「いずれ、トルクが戻ってくる。落ち着かないだろうが、ヤツの部屋で待っていると良い」
「あら? 私と一緒には来てくれないの?」
この部屋は最も奥にある。
そして、窓はない。
主人の部屋にあったような仕掛けがあったり、他者の邸宅内で移動魔法を使うような非常識なヤツがいない限りは守られる。
だが……。
「泣きたい女性ならご一緒することも考えたが、頭を冷やしたいなら余計な付属物がいない方が良いだろう?」
誰かの傍で泣けるような人間ばかりではない。
意地を張る人間は強くて、弱いから。
「そっか。フラれたなら、仕方ないか。ユーヤはそこにいてね?」
そう言って、片手をひらひらと手を振りながら隣室へと向かう。
「あ……」
そう言って、伸ばされかけた手は……、行き場を失う。
真央さんは振り返ることなく、足も止めずに隣室へと消えていった。
「先輩……、私……」
まるで迷子の子供のように、寄る辺のない表情を向けられた。
彼女が俺にこんな表情を見せたのは初めてではないだろうか?
だから、真央さんは、俺に向かって此処に居ろと言ったのだ。
もし、意地を張り続ける妹が泣きたくなった時のために。
「とりあえず、座るかい? 今、何か飲むものを準備しよう」
「でも……」
その視線は姉が向かった方向を意識していた。
そちらに目線をやりたいが、向けられない。
そんな感じだ。
「料理は違うけど、弟に茶を教えたのは俺だよ」
「え? 料理は違うのか?」
何故か、目を丸くされた。
「料理の基礎は、俺も弟も師だ。ヤツはそこから研鑽して、今ほどの腕を上げた。主人と会う前の話ではあるが、俺も弟も食に苦労した時期があってね。それ以来、ヤツの食に関する執念は、俺よりずっと強い」
餓死目前というほどではなかったが、そこからそう離れてはいない場所にはいたのだと思う。
正常な思考ではなかった。
父親が死んで、互いに気持ちの整理をつけられるほどの余裕もなくて、近くにいる気配はあるのに、干渉しなくなっていた。
俺も、多分、あの弟も、目の前にあった苦い草、吐き出したくなるほど不味い葉、腹が痛くなる木の皮、噛んでも味がしない枝、そんな物ばかり口に入れていた時期だろう。
尤も、それらが薬草、薬効作用のある木だったと知るのは、割と近年だ。
そして、その加工次第では食えなくもないものではあったと。
俺の父親だった男は、どうして、その加工法を教えてから逝かなかったのだと理不尽にも思ったものだった。
「九十九が苦労したなら、先輩もそうだったんじゃないのか?」
少しずつ……。
「どうだろう? あの頃のことは、弟ほど覚えていないと思うよ」
少しずつ、その表情に変化が表れていく。
言葉を交わしているうちに落ち着きを取り戻し始め、先ほどまでの、頼りない顔から、その瞳に光と熱が灯り始めた。
「とりあえず、座ってくれるかい? 話し合いの時は仕方ないと思えたが、女性をあまり立たせたままにしたくないんだ」
始めは二人とも座っていたのだ。
だが、口調が変化するにつれ、どちらともなく椅子から立ち上がってそれぞれの主張を始めた。
俺が促すと、意外にも反発することなく、大人しく座ってくれる。
いつもなら、「気障なこと言うな」とか「誰にでも甘い言葉を吐けば良いと思っているんじゃないぞ?」ぐらいは言いそうなんだがな。
それだけ、姉の行動に衝撃を受けたのだろう。
いつも笑顔の人間が、その裏で何を含んでいるのかを知らないわけでもあるまいに、姉だけは自分に対してそんなことはないと思っていたのだろうか?
そうだとしたら、羨ましい話だ。
俺の可愛くない唯一の身内は、常に兄からの言葉を警戒し続けているのだから。
「美味しい……」
俺が差し出した飲み物に躊躇うことなく口を付ける。
そんな普通の行動も、いつもとは違うために少しだけやりにくい。
何の警戒もされないことに違和感を覚える自分もどうかと思うが。
それだけ、今、水尾さんが弱っているということでもある。
ずっと嫌っている俺に対して落ち込んでいる姿を見せているのだから。
尤も、これはどう収拾を付けたものかと思考することも忘れないのだけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




