気付かない事実
俺の前で突如として開始された姉妹喧嘩は、未だ収まる様子はなかった。
寧ろ、ますます過熱していくようである。
こうなったら、好きなだけ吐き出させようと思って、俺は静観することにした。
「今のルカはトルクにも遠く及ばない」
「なっ!?」
「ああ、ルカの魔力や魔法が強いことは否定しないよ。でもね? 力ってそれだけじゃないんだ」
驚いて絶句した水尾さんに、真央さんは更なる言葉を叩き込むつもりらしい。
「先ほどから凄く簡単に物事を考えているようだけど、トルクが、本当なら、私たちが口を利くことも許されないほど高貴な人間だと意識したことはある?」
「え……?」
ないのだろう。
だから、水尾さんは信じられないような表情で真央さんを見ているのだ。
トルクスタン=スラフ=カルセオラリアは、スカルウォーク大陸にある機械国家カルセオラリアの第二王子にして、現状、王位継承権第一位である。
カルセオラリアはあの世界会合によって、暫くの間は中心国ではなくなったが、この世界で認められた国家の一つであることに変わりはない。
本来なら、その王族に対して、俺や弟も跪いて頭を垂れなければならない存在である。
「ないよね? だから、いつまでもトルクに甘えていられるんだよ」
「私は甘えてなんかっ!!」
「甘えている」
反論しようとした水尾さんの言葉を短い言葉で遮る。
「だから、ルカは簡単に逆らえるの」
口元には微かな笑み。
だが、その緑色の瞳は全く笑っていない。
「トルクが普通の王族だったなら、私たちはとっくに処刑は無理でも、放逐されているよ。何故なら、邪魔だもの。強い魔法が使えるってだけで、自分に感謝もしない幼馴染なんて」
「感謝はしている」
「でも、どこかでそれを当然だとも思っている」
一閃。
それは、どこかの国王陛下が振るう剣技を思わせた。
「トルクだけじゃないよ。高田にも笹ヶ谷兄弟にも甘えている。どこかにあるでしょう? 私の身体には高貴な血が流れているって。だから、便宜を図ってもらうのは当然だって。そんな迷惑且つ傲慢な心が」
「それは、マ……ッ……リアだってあるだろ?」
相手の名を呼び掛けて、踏みとどまったようだ。
この辺り、第二王女殿下は教育されている。
彼女は一度だって、呼び慣れた双子の魔名と、一時的な仮名を呼び間違えてはいない。
身を隠すことの大切さ、身を偽ることの必要性。
それらを万一のために、指導されていたということだ。
いざとなれば、第一王女殿下に変わって国を治める役目を背負わせる可能性もあったから。
「あるよ。それは否定しない。私の身体にもその高貴な血が流れていることは事実だからね」
真央さん……、いや、第二王女殿下はそう言いながら水尾さん……、自分の妹殿下を見る。
「でも、その自覚はある。だから、同時に自重もしている。カルセオラリアの王族であるトルクが本気で反対することに逆らう気はない。ああ、なんなら、この身を捧げる覚悟もあるよ。まあ、トルクは喜ばないとは思っているけどね」
確かに喜ばないだろうな。
寧ろ、そんな申し出をされても迷惑だとすら思うだろう。
ヤツはあれだけ大事にしているのに、幼馴染のこの二人をそういった対象として見ていない。
だから、身を捧げるなんて犠牲を強いるような行いは絶対に許さないだろう。
特別なのだ。
触れることも躊躇うほどに。
神聖なのだ。
自分とは次元の違う存在だと思うから。
そんな、阿呆なほど純粋な感情に心当たりがあるだけに、ヤツに対しても、俺自身も、失笑を買うほかない。
相手も同じ人間だというのに。
だが、この感情は理屈ではないのだ。
幼少期の思い込み、刷り込み。
そこに当てはめる言葉は何でも良いが、一度抱いた憧憬、敬愛、恩義はそう簡単に消えるものではない。
自分の魂の奥深くに刻み込まれて、自身がそれを消すことを望まなくなる。
同病相憐れむ。
結局のところ、俺とトルクスタンの関係はそんなものなのだろう。
「私はトルクに迷惑を掛けた自覚もあるから、首輪も付けてもらった」
真央さんは自分の首を撫でながら、水尾さんにそう語る。
この場合の首輪は、「カルセオラリアの王城貴族」のことだろう。
確かに王族の身で、他国の王族の下に付くことになる。
これはかつてフレイミアム大陸の中心国であった魔法国家アリッサムの王族としては、一種の裏切り行為なのかもしれない。
王族は時として、我が身よりも自国の名誉を守る必要があるから。
仮令、それが自分の意に添わぬ形であっても。
俺たち兄弟もトルクスタンに付いてローダンセ城に出入りするために「カルセオラリアの王城貴族」となることを受け入れた。
だが、俺も弟も首輪という認識はない。
俺たちが受け取ったのは、嫡子を失ったカルセオラリア国王陛下からの「礼」だから。
そして、カルセオラリアの王族に対して不満があれば、ちゃんと口にしろともトルクスタンから言われている。
だから、そこまで重たい物を背負わされた感覚はない。
だが、真央さんは違う。
ウィルクス王子殿下の婚約者だったマオリア王女殿下は、婚約者を亡くすと同時に、庇護をしてもらう理由を失った。
だから、幼馴染であるトルクスタンからの厚意として受け取ったのである。
自国の民を守るのは、王族の責務だ。
自分を守らず、ただ使い潰すだけの主人に従いたいとは思わない。
だから、主は従わせるために民を守る。
そして、民は守られるから主に従う。
それがある意味、理想的な利害関係だ。
カルセオラリアの王城貴族となった以上、トルクスタンは内外にも分かりやすく彼女たちを守る権利を持った。
そんなものがなければ、表立って守ることができなかった。
国を失った王族には、その身に流れる血以外の価値がない。
彼女たちにとっては、カルセオラリアの王族に守られるための「王城貴族」の名だ。
「だけど、ルカの考えは違ったんだね?」
どこか寂しそうな声で、真央さんはそう口にした。
そこにはいつものような笑みはない。
「リ……」
「いい加減に自覚して、お嬢様」
そして、妹からの呼びかけも、きつい言葉で断ち切る。
「貴女が生まれ育った国は亡く、その頂きは失われ、連なる縁もほとんどがない。親兄弟は散り散りとなり、残ったのは魔力自慢の姉と魔法自慢の自分だけ。それが今日まで無事でいられたのは、アホでお人好しな王子様と、信じられないぐらいお人好しな友人のおかげなの」
そこにいるのは、魔法国家の第二王女。
国を失い、野に下り、他国の王族に頭を下げて従っても、その気高さを失わない強さと目が眩むほどの光、そして、今も熱き炎を纏い続けて立つ王族。
「その二人から見捨てられたら、どうあっても生きていけない。自慢の魔力と魔法ではお腹は膨れない。寧ろ、減るだけなんだよ?」
それは教え諭すように。
「高田よりも自活の意思がないって気付いて、先輩? あの子は自分の先輩たちと同級生たちにも守られているけれど、行く先々で、自活するための意思と力を持って成長しているの。ねえ? それを理解している? 先輩?」
それは説き伏せるように。
「本当に、気付いて」
それは哀願するように。
「魔法国家アリッサムはもう、亡いんだよ」
そして、苦悶するような声で、第二王女殿下は第三王女殿下に現実を突きつける。
「魔法国家アリッサムは、もう、亡い……」
水尾さんは震えながら、真央さんの言葉を反芻する。
それは、誰もが知っていて。
当事者だけが気付かない。
王族である自分たちが生きている限り、「魔法国家アリッサム」は滅んでいないのだと。
しかも、最近になって、女王陛下が生きている情報も入った。
そのことで余計に錯覚してしまいそうになる。
既に国家としてのアリッサムは、どの国も亡いものとしている。
あの情報国家イースターカクタスですら。
アリッサムという国が消失し、その王族も国民も姿を消して早三年だ。
脈々と受け継がれてきた文化も、その場所で生きてきた民や生活も、国家としての運営組織も、その全てが消え去った。
それをいつまでも国家と認めることなどできるはずがない。
アリッサム消失後、一月と経たず中心国による世界会合は開かれている。
俺は結果だけをセントポーリア国王陛下から聞かされたのみだった。
―――― 魔法国家アリッサムは本日をもって滅亡したものとする
そんな言葉を最後に、その世界会合は閉会したという事実を。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




