他者の心は予測できない
ローダンセ城下の近くに集団熱狂暴走が発生すると知ったこの国が、どんな対策をとるのかと予測した時、最も可能性が高い手段がある。
「国王が出るってことか」
だから、そんな水尾さんの言葉に対して……。
「いや、今夜のうちに、動きがあると思うよ。この城下にね」
俺は迷いもなく、そう答えた。
「「城下?」」
真央さんが不思議そうに目を瞬かせる。
水尾さんも訝し気な目線を俺に向けた。
「至る所に緊急依頼の貼り紙が増えるだろうね」
集団熱狂暴走の発生源と予測される場所に対して、魔獣退治を依頼するだろう。
それが何の魔獣でも良いのだ。
万一、依頼以外の魔獣が現れたとしても、降りかかる火の粉は振り払おうとするだろうから。
集団熱狂暴走が起きる前になったために魔獣は増えているし、強化も既に始まっている。
今はまだ狂っていないだけ。
今いる場所から別の大気魔気が濃い場所に向けて走り出していないだけの状態である。
兆候が準備期間なのは人間だけではない。
魔獣たちも、集団熱狂暴走に向けて準備しているのだ。
「まさか、素人に対応させる気か?!」
「え? ああ、依頼って魔獣退治の……。え? 正気?」
城下の貼り紙については見慣れているためか、水尾さんの方が幾分、早くその答えに辿り着いたらしい。
真央さんは水尾さんの言葉で気付いたようだ。
「集団熱狂暴走の事実は伏せるだろうね。だから、何があっても、依頼を受けた人間の自己責任ってことになるかな?」
「ふざけんな!! そんな無責任な話があるか!!」
魔獣たちが増えて凶暴化している原因が、集団熱狂暴走と分かっているならば、国の責任となるかもしれない。
だが、集団熱狂暴走については、どの国でも、王族を始めとする上層部しか知らない話なのだ。
集団による恐慌状態を避けるために、できる限りその情報を伝えないようにしているから。
そして、ただの魔獣退治ならば、当然、依頼を受けた人間の責任となる。
万一、それで命を落としたとしても、魔獣退治をしようとした者が自分の力量を見誤っただけだと判断されるだろう。
いつもよりも多い。
いつもよりも強い。
そんないつもと違う変化にも気付けないようならば、魔獣退治などできないのだ。
「ユーヤに当たってもしかたないでしょう? それに、ユーヤだから丁寧に教えてくれたんだよ? 普通は他国の人間にそこまで教えない。トルクを早く帰そうとしているなら尚更だよね」
「俺の話もまだ推測段階でしかない。実際、ローダンセがどんな結論を出すかは、正直、未知数だ」
できれば、主人やその周辺を巻き込まないで自国だけで解決して欲しい。
「でも、ローダンセの対応は後手後手だよね~」
「あまりにも初動が遅くてイライラする」
これまで聞いてきた集団熱狂暴走に対するアリッサムの動きを思えば、確かにローダンセの動きはかなり鈍いと思う。
「誤りが許されないからね。多少は仕方ないと思うよ」
真央さんはそう言って肩を竦めた。
専制君主制は、即断即決が可能であるため、方向性が定まればすぐに動くことができる。
だが、その際、君主の考えが誤っていた時は、取り返しのつかなくなるような事態に発展することも多々あるのだ。
対して、合議制は複数の意見を取り入れることができるため、視点が多く視野も広げることが利点だろう。
一人に全ての責任を負わせることもない。
但し、それらの意見を纏めるための時間がかかる。
皆が同じ目的を抱いていたなら、そこに辿り着くまでの過程はともかく、結果が同じであるため、受け入れやすくはなるだろう。
だが、目指す道だけではなく、目指す先が同じことはほとんどない。
高位貴族になるほど、守らねばならぬものが増え、誰の目にも分かりやすい利を追求せざるを得ないから。
これでは協議の場はまとまらず、混乱してしまう。
自分やその周りよりも、他者を重んじる人間などそう多くはないのだ。
関係のない誰かのために身を引くなど、高位貴族にはあり得ない。
自分の強い意思を貫き通すからこそ、その手は長くなる。
専制君主制と合議制。
そのどちらが良い悪いではなく、その時々に応じた動きを考えておくべきだと思うが、その判断と見極めが難しいから、どちらかに偏ってしまうのだろう。
「いずれにしても、これ以上の話は、トルクが戻ってからだね」
俺がそう言って、この話は落ち着く……はずだった。
本当に、人の心など予測できない。
目の前にいる双子の考えを読み誤ったのが、今回の俺の敗因となる。
「トルクさえ戻ってくれば……」
小さく呟かれた言葉。
だが、何事も些細なことから始まる。
それが、「きっかけ」というものだ。
「そう? 私は今、トルクがいなくて正解だったと思うな~」
真央さんは真逆のことを言った。
「なんでだよ?」
「ルカは少し、頭を冷やした方が良い」
そして、水尾さんに向けて笑う。
「自分のやりたいことだけ主張するなんて、お子様のすることでしょう?」
それは女性王族らしい艶やかで底を見せぬ笑み。
この凄みは男が持つ威圧とは違うものがある。
現に、双子の妹すら気圧された。
「まだ被害どころか始まってすらいない集団熱狂暴走なの。準備期間なの。それなのに、碌な準備もないままに、この国の王族たちを差し置いて我先に動こうなんて自国の恥を晒すようなものなんだよ?」
「自国の恥だと?」
流石に聞き逃せなかったのか、水尾さんが反応する。
この場合の「恥」は、彼女のことではない。
自国の……、魔法国家アリッサムのやり方のことだろう。
何も知らないような年端もいかぬ王族を利用するやり方は、ローダンセよりも質が悪い。
いや、ローダンセには悪意がない。
全ては国を守るため。
現状で考えられる最善を持って、安全を確保するため。
王の権限を行使して、自国の王族ではない一貴族子息に全てを背負わせるようなやり方が正しいとは思わないが、最小の犠牲で国を救うという考え方は理解できなくもない。
だが、アリッサムは違う。
ただ一人に押し付けるという考え方は同じだが、それは悪意から始まっている。
死んでも良い、死んでも仕方がない、そんな考え方ではなく、死んで欲しい、何故死なない? ……では、その意味が全く違うだろう。
そして、その悪意が向けられた当人にその自覚はなく、だからこそ危うい。
既に国は亡いも同然だが、その当事者の中には、今も自国に対する誇りが失われていないのだから。
それを、第三者に気付かれたなら、そこを突かれるだろう。
アリッサムのしてきたことが正気ではなく、毎回、第三王女が最前線に出る必要はなかった。
無駄だったとは言わない。
それで救われたものも多いはずだ。
だけど、第三王女自身は救われない。
今も、囚われたままである。
「恥だよ。ルカがいなくても、聖騎士団と魔法騎士団だけでなんとかできるはずなんだ。あの国があった時、ルカはまだ生まれて16年しか経っていなかった。歴史ある魔法国家が、それまで何も対策したことがなかったはずがないでしょう?」
「それは……」
「聖騎士団と魔法騎士団を率いるのは、本来、それぞれの騎士団長で、それを統括するのは王配の役目。それを集団熱狂暴走の時だけ、騎士団長でも王配でもないルカが統率していたってことがおかしいと気付いてよ」
真央さんが言うのは道理だ。
だが、それを自国にいた頃ではなく、今、この場で言っても仕方がないことでもある。
それらは、既に数年前に終わってしまったことなのだ。
他ならぬ魔法国家アリッサムの消失によって。
だが、彼女たちの中では今もまだ終わっていないのだろう。
そういった意味では、妹だけでなく、その双子の姉も囚われたままということだ。
「ラスブールが聖騎士団長になってからは変わったよ」
「ヤツはルカを守った? 違うでしょう? そんなの現場を見なくても分かるよ」
―――― ラスブール=ベリア=ローレス
それが、魔法国家アリッサム消失時点の聖騎士団長の名前だった。
「現場を知らないやつが、言うなよ。集団熱狂暴走はそれだけ厄介なんだ」
「現場を知らないのはお互い様でしょう? ルカもこの国の集団熱狂暴走の現場を何一つとして知らないじゃない」
「それでも、この国の魔獣を知っている分、リアよりはずっとマシだ」
少しずつ、少しずつ、二人の声が大きく激しいものへと変わっていく。
「ユーヤだって言ったでしょう? 他国のやり方に口を出すなって」
「やり方に口を出さないようにはしているだろ? 私はトルクに魔獣退治に行っても良いか確認するだけだ」
「それだって、ユーヤが教えてくれたからでしょう? ルカが直接、集団熱狂暴走に関わることが良くないって。それがなければ、トルクの許可を得ることなく、集団熱狂暴走の発生源に直接向かって、かなり面倒なことになったはずじゃないか」
実際、止めたのは俺ではなかったが。
俺が集団熱狂暴走の話を聞きたいと申し出たことで、真央さんが警戒し、即、出ようとしたところを止めたというのが正しい。
「大体、トルクが戻ってきても、ユーヤと同じことを言うだけだと思うよ。今のルカには力がないから」
「は? 私には力がある! 少なくともこの国の王族に退けは取らない!!」
真央さんの言葉に水尾さんが激しく反駁する。
「ないよ」
だが、真央さんは短くもはっきりとそう言い切った。
―――― 頼むから、姉妹喧嘩は俺がいないところでやって欲しい
先ほどから何度も火が付きかけては、中途半端な所で鎮火していた。
そのためにお互いに不満が燻っていることは理解できる。
だが、何故か、消火役として選ばれたであろう身としては、堪ったものではない。
俺は消防士になる予定はないんだがな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
 




