【第135章― 事前準備 ―】国は踊る
この話から135章です。
よろしくお願いいたします。
「ところで、ルカはトルクをどう説得するつもりなの?」
真央さんは先ほどまでの話題を完全になかったことにするらしい。
その態度に、水尾さんは分かりやすく眉を顰める。
姉の真意が分からないからだろう。
そして、そんな表情を見せているうちは、真央さんの手の上から逃げられない。
彼女はただ、妹を動揺させたいだけなのだから。
これはあれだな。
後にトルクスタンとの話を有利に進めるためだろう。
頭に血が上っていたり、何かに気を取られている人間は、そこからさらに別に新たな思考をすることが難しい。
人間は万能ではない。
脳の処理能力は個人差があっても限度があるという点は同じだ。
同時に複数のことを考え、さらに過不足なくそれぞれを処理するなどコンピュータの領域である。
尤も、人間は呼吸や拍動などの生命活動を行っているため、厳密に言えば、常にコンピュータでいう並列処理を行っているようなものだが、そこはおいておく。
「どう説得するって……、先輩からこの国で集団熱狂暴走が起こりそうだって話を聞いたから、それが発生する前に私を魔獣退治に行かせてくれって言うつもりだったけど?」
「直球すぎる」
同感だ。
素直すぎるとも言う。
「回りくどく言っても仕方ないだろ?」
「回りくどく言えって話じゃなくて、もっと考えなさいって言ってるんだよ。貴女に礼儀作法を教えた教師は何を考えていたんだか……」
真央さんはそう溜息を吐いたのだが……。
「私に礼儀作法を教えた教師? 確か聖騎士団の……」
水尾さんがそう口にした瞬間、その表情を凍り付かせた。
その時点で、第二王女殿下と第三王女殿下が礼儀作法を学ぶ場が異なっていることが分かる。
どちらも王族として礼節と教養を学んでいることは分かるが、それぞれ教師は違うだろうなとずっと思っていた。
性格の違いかと思っていたが、指導者が違ったたしい。
後を継ぐ嫡子。
控えの次子。
そして、その下に生まれた備えの三子では扱いが異なるのは当然だが、同じ日に生まれた双子だというのにもわざわざ差を付けるなど、本当に悪い意味で徹底している。
だが、両親から付けられた家庭教師でもなく、聖騎士団の人間から教えを受けているとは思わなかった。
礼節はそんなに単純なものではない。
立場に見合った人間から指導されるのは当然のことなのに。
そんな状況に置かれても、表面上は王族として見劣りしないほどの礼節を身に着けている第三王女殿下には恐れ入るばかりである。
その聖騎士団の人間が家庭教師としての能力を持っていたとしても、双子で違う教養に対して、周囲がどう考えるかは別の話である。
双子だから余計に周囲から比較される機会も多かったはずだ。
そうなるように仕向けた相手からすれば誤算だったとも思う。
そんな計算違いの積み重ねが、その相手が躍起になった理由の一つでもありそうだ。
恐らく、被害者当人にその意識はないことはよく分かる。
単純に、与えられた環境の中で、国のために努力を続けていたら、自然とこうなっていたというのが正しい。
だが、相手からすれば、腹立たしいことこの上ない。
小賢しく立ち回る人間の野心を打ち砕くのは、いつの時代だって、どこの世界だって、無垢な人間の裏表のない言動なのだから。
「ユーヤ。ローダンセの明日の話し合いって、小田原評定? それとも、ウィーン会議?」
真央さんは水尾さんの言葉をそこまで深く追求することを止めたらしい。
何を言っても、聞いても、今は何故か、似たような方向に話が戻ることに気付いたようだ。
これはその時代の話ばかりしているためもあるけれど、双子の意識の差もその一因だろう。
妹の置かれていた環境が思っていた以上に異常だったことに気付いた姉と、自分の置かれていた状況に疑問を持つこともなかった当事者。
環境が人を変えるとはよく言ったものだ。
そして、二人の間に共通する話題では、この状態から抜け出せないと判断した真央さんは、俺に話題を振ることにしたらしい。
「ウィーン会議は分かるけど、小田原評定ってなんだ?」
前者は世界史で聞く単語。
後者は日本史をやっていても、授業で触れるかどうか分からない話題。
そして、水尾さんはそこまで日本史好きではないらしい。
我が主なら嬉々として食いつきそうだが。
「時間はかかっても結論は出さないといけないだろうから、ウィーン会議の方かな。小田原評定では長引くだけで、いつになっても結論の出ないことになってしまうからね」
尤も、それは故事成語としての意味だけであり、実際の「小田原評定」は、月に二回開かれていたただの合議に過ぎない。
自国の進退を決める際にも開かれ、それが難題であったためになかなか意見が纏まらなかったが、最終的には落着しているにも関わらず、後世、悪い意味で有名になってしまったことは、長い間、その土地を守り続けてきた戦国大名にとっては皮肉な話だと思っている。
「やっぱり長引くは、長引くんだね?」
「国の有事で、合議制となれば、なかなか結論は出ないだろう。首脳たちの知識だけじゃなく、それぞれの利益や立場も邪魔するはずだ」
「そこは一致団結しないのか? 共通の難題だろう? ウィーン会議ってそう言うことじゃないのか?」
確かにヨーロッパの命運を決めるためのウィーン会議は、諸国の利害が衝突し、遅々として進捗しなかった。
それを評した「会議は踊る、されど進まず」はその状況を的確に表した言葉だろう。
だが、失脚したナポレオン1世が追放された島から脱出するという情報が入ると、ようやく危機感を覚えたヨーロッパ諸国が妥協し、ウィーン議定書が締結されることになる。
その経緯を思えば確かに、ナポレオン1世が現れることで、意見がまとまったと言えなくもない。
「その前にウィーン会議は踊ったでしょう? 参加国が持っている利害が対立して意見が纏まらなかったらしいからね。まあ、それぞれ自国のあれやこれを背負っていたのだからそう簡単に妥協ができないのは分かるけどね」
「会議は踊る」と揶揄されたのはそれだけが理由ではない。
参加国の親睦を深めるために開催国が舞踏会や宴会などを催したのだ。
そのために「踊る」が使われているということである。
まるで、この国とも重なって、なんとも言えない気分になってしまう。
二ヶ月に一度の舞踏会。
そんなものに資金を費やすようなゆとりがあるのなら、国防をなんとかしろと思う人間もいるだろう。
特に一月以内に発生すると見込まれる集団熱狂暴走が議題だ。
踊っているような余裕はもうない。
それでも、利害に拘る輩はいるだろう。
時間がないからこそ相手が妥協してくれると信じて。
王城という魔窟は、権力闘争から離れることができない。
国王の権威が弱いなら、尚更だろう。
中途半端に力を持つ家が、ここが攻め時だと勘違いしなければ良いのだが。
権力も、権威も、国あってのものなのだから。
国が滅んでしまえば、何も残らない。
そんなことにも思い至らないのだ。
今が平和だから。
明日の暮らしに苦労する身になったこともないから。
「少なくとも、今のローダンセ国王陛下の治世になってから、国内で一度も集団熱狂暴走が起きたことがないらしい」
俺がそう言うと、水尾さんだけでなく真央さんまで目を丸くする。
「それなら、危機感がなくても仕方ないのか」
「羨ましいことだな」
二人とも自分を納得させるかのようにそんなことを言った。
それだけ、彼女たちがいたフレイミアム大陸では集団熱狂暴走が頻繁に起きているということだろう。
「尤も、集団熱狂暴走について実感していなくても、その脅威は伝えられていると思う。だから、あのローダンセ国王陛下はひっそりと手を打つだろうね」
自分の治世で起きてなくても、過去に起きたことは教養として学んでいるはずだ。
この二人も他大陸で育っていながら、過去にこの大陸で集団熱狂暴走によって滅んだ国があることを知っていたのだから。
「手?」
「ああ、国王が出るってことか」
真央さんと水尾さんがそれぞれ反応する。
「いや……」
そんな分かりやすい手段を選んでくれたなら、良かったのに。
この国の王族は他国から見れば眉を顰めたくなるようなことを平気でする。
だから、今回も……。
「今夜のうちに、動きがあると思うよ。この城下にね」
これまで通り、他者を動かそうとする。
俺はそう予測するのだった。
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