万一のための抑止力
「ルカは、あの日。王配が本当に見落としたと思っている?」
「……どういう意味だ?」
俺が昔のことを思い出していると同時に、真央さんもその当時のことを思い出していたらしい。
「言葉通りの意味だよ。アリッサムの砂漠地帯で発生した集団熱狂暴走。自国の集団熱狂暴走の前兆を三ヶ月前に、他国は一ヶ月前までに発見するあの王配が、本当にあの時、自国の発生予兆を見落としたと思っている?」
……これは、俺が聞いて良いものだろうか?
良いんだろうな。
駄目なら、わざわざ俺の前で話さないだろう。
この場合、求められているのは、二人の話から導き出される結論……ではなく、万一のための抑止力だと思っている。
どちらを抑えることになるのか分からないし、どの辺りで止めさせれば良いのかも判断しかねるのが難点だな。
個人的には、止まることなく互いの蟠りを全て発露してくれるのが理想である。
我慢は身体に悪いし、溜め込むのも心に良くない。
そして、俺も新たな詳細情報が手に入るために満足する。
どこにも出せない情報だろうから自己満足でしかないが、それらが今後、何かの役に立つとも限らないのだ。
だから、余計な言葉は挟まず、黙っておこう。
「アレは王配が見落としたわけではなく、黙っていた……と?」
水尾さんが剣呑な視線を真央さんに向ける。
「少なくとも、私はずっとそう思っていたよ。いろいろ不自然すぎるからね」
確かに不自然すぎるのだ。
特に、聖騎士団と魔法騎士団の不在が重なっていた点が怪しすぎた。
しかも、治癒魔法を使える人間たちを全て連れて出ていたことは、国防の視点からもおかしい。
国を滅ぼす意思があるとしか思えないほどに。
「何のために?」
「さあ? 頭の吹っ飛んだ異常者の考えることなんて分からないよ」
そして、真央さんは自分の父親のことを異常者だと思っていたらしい。
父親を好きではないと聞いていたが、そこまでの感情があったことに驚く。
「確かにあの男は、常々頭おかしいとは思っていたが、国を滅ぼしたいと思うほどだったとは私は思いたくない」
その言葉に入っているのは希望だった。
どこかで、水尾さんも気付いていたのだろう。
アリッサムの王配殿下は、国を滅ぼしたかったのだと。
これまで彼女たちから聞いてきた話。
そして、弟が聞いた話からもそんな気配が見え隠れしていた。
特に第二王女殿下と第三王女殿下のそれぞれの扱いを聞いた時から、そんな気がしていたのだ。
単純に娘憎さだけでは片付けられない何かがある、と。
そもそも、自分の娘をそこまで憎んでいた理由も分からない。
単純に我が子が持っていた魔力の強さ、魔法の才能を見た嫉妬から来た感情だった思えなかったのだ。
それに自国の集団熱狂暴走の兆候を三ヶ月前に告げる。
それもおかしな話だと、誰も突っ込まないところが最もおかしな部分だろう。
本当は、もっと前から判明していたことを三ヶ月前に合わせて口にしていたと、誰もが分かっていて、その部分は見ないふりをしていたのだと思う。
そして、他国に関しては一ヶ月前。
他国だから自国よりも分かりにくかった。
それは理由になる。
だが……、本当にそうだったのだろうか?
―――― 他国の兆候を見逃し、あえて集団熱狂暴走の発生直前まで待つ国でした
その声を聞いたから。
一ヶ月前ともなれば、他国がその付近の魔獣討伐に苦戦し始める時期であり、自国の騎士団たちを使えば抑え込むことができる時期でもある。
本来、抑え込むのが大変な集団熱狂暴走の兆候を見つけて起きながら、早めに動かないのはその方が、相手に恩を高く売れるからだと思う。
相手は簡単に魔獣討伐ができない。
そして、身を賭して討伐に臨むアリッサムの騎士団たちも、死者こそ出なくても、重軽傷者はある程度、出るぐらいの時期。
魔獣討伐の怪我は、その規模を推測、記録として残すために怪我の程度とそれによる治癒魔法の使用回数は同行させた文官によって書き記されるとセントポーリア国王陛下は言っていた。
それをもって、魔法国家の聖騎士団、魔法騎士団でもこれだけの損害が出るのだぞと、他国にそれらを伝えていたかもしれない。
そして同時に、魔法国家の存在をアピールできる。
そうすることで、フレイミアム大陸が魔法国家アリッサムなくして回らないように、王配が調整していたのだろう。
もしかしたら、それが歴代の王配たちの務めなのかもしれない。
少しでも自国を優位にするために。
そして、自国で種馬扱いされてしまう王配の立場を強固なものにするために。
自分の能力を使って、現状をより良くするのは当然の判断だ。
だが、そのやり方には賛同しがたい。
その天秤に載っているのは他国とはいえ人間の命である。
関係者だけならともかく、関係のない人間たちを代償にする行為はあまり好きになれなかった。
「そう? あの男ならそれぐらいやりかねないでしょう?」
真央さんは、そう思うらしい。
「あの男は、アリッサムのためだと言って、聖騎士団や魔法騎士団を送り出していたんだぞ? 私のことはともかく、騎士団たちに嘘を言う理由はない」
それに対して、水尾さんはそう答える。
聞いた所によると、アリッサムの第三王女殿下は王配に対して反抗的だったと聞いている。
聖騎士団と魔法騎士団の前でも何度も反論していた姿は目撃されていたらしい。
だが、この様子からは、とてもではないが、そうは見えない。
どこまでも父親を信じる娘だ。
「私はあの男がそんな殊勝な感情を持っていたとは思わないな~」
そして、王配の言葉に従順に従っているとされた第二王女殿下の方が、含むものを感じる。
王族としては、そちらの方が正しい。
表に出す外面と、内に隠した内面が全て同じであるはずがないのだ。
「ああ、言っておくけど、女王陛下はルカの出陣に何度も反対されていたよ。魔獣討伐の騎士団を率いるのは王族の責務とはいえ、その騎士団の見習い年齢にも満たない子を前線に出すなど正気ではないってね」
「え……?」
それはそうだろう。
いくら王族が強大な魔力を持ち、膨大な魔法力を有し、強力な魔法を多数備えていても、王族としてお披露目される5歳になる前から戦場に向かわせるなんて、どの国でもやらない。
特に上に立つ直系王族は貴く、神聖で、守られるべき存在である。
「でも、王配は、毎回、女王陛下からの命令だって言ってたぞ? 女王も他の王族たちも国を守ることはできても、戦うことはできないからお前がやれって書状も出されていた」
「書状?」
「赤い紙の、女王陛下の印章と王家の紋章が並んだ……、確か、始めは『騎士団統率指令状』って名前だったか? 人間界に行った後からは、『魔獣掃討指令状』に名前が変わっていた気がするけど……、ガキの頃はあまりよく読んでなかったんだよな」
真央さんの問いかけに水尾さんは記憶を探りながら答えた。
赤い紙という言葉で……、太平洋戦争でも使われた赤紙招集という言葉が思い浮かんだ。
本人の意思とは無関係に渡される部隊配置への召集令状。
それと少し重なったのかもしれない。
「そんな物が……。それで………………」
真央さんはそう言いながら、天井を見た。
上を見つめる緑色の瞳が少し揺らいだ気がしたのは気のせいではないだろう。
「あんなに反対していた女王陛下がそんな物を出すはずがない。それは、多分、女王陛下ではなく、王配が出した物だよ」
「は?! でも、当時の聖騎士団長も、魔法騎士団も疑いなく受け取っていたぞ?」
「それは王配が出した命令書だからね。ルカは忘れているかもしれないけれど、あれでも国内で二番目の地位にあるんだよ?」
相手が王族である以上、二番目や三番目に関係なく、騎士団長たちは余程理不尽な命令でない限りが従わねばならないだろう。
何より水尾さんの話を聞く限り、アリッサム女王陛下の印章まであった正式な指令状である。
アリッサム女王陛下が押印していなくても、王配ならば代行権はあってもおかしくない。
何より、魔法騎士団長はともかく、聖騎士団長にとって王配は、何代前かの先輩に当たる。
そう簡単に拒否できなかったことだろう。
尤も、王族とは言え、幼子を最前線に出す指示を拒まなかった辺り、その感覚がおかしいと言わざるを得ない。
「ま、王配がいない場でこれ以上、あれこれ言うのは駄目だね。だから、ルカ。さっきのは忘れて?」
真央さんはそう言って笑った。
忘れろと言われて忘れられるはずがないことを承知して。
真央さんは、ここで妹に意識を変えて欲しいと思ったわけではない。
意識なんて身内とはいえ自分とは違う人間から言われたぐらいでそう簡単に変わるものではないから。
だから、深追いはしない。
それとなく、何かを差し込んだだけ。
頑なな相手の心を、解そうとせずに少しだけ撫でただけ。
それで今は十分らしい。
疑念の種は植えた。
後はそれをどう育てるかは本人に任せる。
自分の意見を真っ向から否定されれば、誰だって嫌なものだ。
だが、正面から否定に近い言葉を投げかけておいて、何事もなかったかのように振る舞われるのは落ち着かなくなる。
自分が正しいのか。
相手が正しいのか。
何が正しいのか?
それらが揺らぐのだ。
現に今。
水尾さんは不安そうな顔になっている。
尤も、これらに正解などない。
正しいか、間違っているかではなく、自分が何を信じるか。
そして、誰に縋るかの話なのだから。
これまでの話を一方的に聞いただけで偏った結論を出すのは早計だと思うが、やはり、弟が言っていたように、アリッサムの闇は深く、底が知れないと思うのだった。
この話で134章が終わります。
次話から第135章「事前準備」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




