何も話さなければ
「近々、ウォルダンテ大陸で発生しそうな集団熱狂暴走は、どうされる予定ですか?」
明日の予定を聞くような気軽さで、大神官が尋ねてきた。
「主人には安全な場所で待機してもらいたいと願っております」
その願いは叶わない。
それも分かっているのだけど、この点において、俺と愚弟の考えは一致している。
「つまり、集団熱狂暴走には関わらせたくないということですね」
「はい」
この遣り取りだけでも、集団熱狂暴走という災害が危険なものだということが分かる。
そして、大神官はその神気穴を塞ぐ予定もないということだ。
この方が動いてくれるだけでも、状況は大きく変わる。
尤も、そんな他力本願な行動を希うつもりなどないが。
「ウォルダンテ大陸ではなく、このままシルヴァーレン大陸にいていただきたいと思っております」
「それは、九十九さんと一緒に……、ということでしょうか?」
愚弟と一緒に?
「いえ、弟は……」
「栞さんを完全に集団熱狂暴走に関わらせたくないのなら、九十九さんも離しておくことをお勧めします」
俺の言葉を遮って、何故か大神官はそんなことを口にした。
「あるいは、栞さんをセントポーリア城内に匿っていただければ……、少しはマシでしょうか?」
「それは……?」
この大神官には何が視えている?
「九十九さんが集団熱狂暴走に巻き込まれたならば、今の栞さんならば、どこにいても、察しますよ?」
その言葉に背筋が凍るような気がした。
セントポーリア城下の森は、普通の人間には方向感覚が掴めないらしい。
だが、そこで生まれ育ったためか、俺と愚弟は一度も迷ったことはない。
そして、昔の主人ならば、セントポーリア城下の森は問題なかった。
チトセ様やミヤドリードの目を盗んで、たった一人で、あの湖まで行った実績もある。
だが、今の主人は?
「栞さんは少しばかり、貴方方の体内魔気に敏感なようです。特に九十九さんの気配は、他国にいながらも感じ取ることでしょう」
そこに何かの棘を感じる。
もしかしたら、この大神官は俺たちが主人と嘗血し合っていることに気付いているのかもしれない。
だが、今はそこを考えている時ではない。
集団熱狂暴走によって、何らかの形で関わってしまったあの愚弟に何かあし、それに気付けば主人は確実に飛び出すだろう。
あの森で、迷子になることも承知で。
―――― わたしは飛び出すと思います
そうなると、あの言葉に別の意味が付随することになる。
「そして、あの森の近くに来た人間が、彼女の体内魔気の気配を感じ取ってしまったら、もう誤魔化すことができなくなるでしょう。翼馬族を使ってでも、森の中にいるはずの人間を探し求めるかと」
さらに、彼女を探そうとする可能性が高い人間が誰であるかも口にしている。
あの森は精霊族のものだ。
だから、翼馬族を使われたなら、誤魔化すことはできない。
そうなると、セントポーリア城に連れて行くのも良くないだろう。
あの愚弟に何かあって、飛び出す時に移動魔法を使うことができない主人は、城下の聖堂にある聖運門ではなく、城内の転移門を使うしかないのだ。
そして、転移門を使えば、その気配は城内にいる王族たちに伝わる。
城下の森で見つかるよりも厄介なことにしかならない。
あの愚弟を主人の元に置くことも、全く考えていなかった。
だが、大神官が言うのは尤もな話だ。
愚弟の気配をどれぐらい察することができるかは分からないが、離されたことで不安になった主人が、いつものような奇跡を起こしてしまうことだって十分、考えられる。
「つまり、主人に集団熱狂暴走について、隠さず話した方が良いと仰るのですか?」
それについて、今も迷い続けているこの俺が?
危険があると分かっているから、遠ざけたいのに、それも許されない、と?
「栞さんは道理の分からない女性ではありません。安全な所にいて欲しいと願えば、理由を話さずとも、承知はしてくれることでしょう。ですが、感情は別です。自分の知らない所で親しい誰かが激しく体内魔気の気配を揺らせば、気にならないはずがないと思います」
まさか、愚弟に何か起きるのか?
いや、違う。
これは可能性の話だ。
それでも、拭いきれない何かがある。
「でも、一番、怖いのは、全てを知った後ですね。結果次第では、栞さんの魔力が暴走する可能性もあるかもしれません」
嫌な脅しをかけてくる。
そして、それは俺も愚弟も考えていたことでもあった。
集団熱狂暴走で主人が知る誰かに何かが遭ったら、かなりの確率で主人は動揺する。
なかったことにはできない。
治癒魔法を使って怪我は治せても、それ以外の傷は刻み込まれる。
そして、俺たちでも、王族の口までは防ぐことは容易ではない。
あの国は、国王に力がないため、上を押さえたぐらいでは、口止めすることも不可能だ。
特に、あの国には口が軽く、主人に心酔している王族もいるからな。
必ず、漏れるだろう。
万一、アレが魔獣討伐に赴き、活躍してしまっては、主人の前で自慢話のように語られるだろう。
その時、何も知らされなかった主人がどう考えるか。
それも予測できない。
特に、犠牲が出た時だ。
傷は治せても、失った命は戻らない。
それが、近しい人間ならば、主人は間違いなく激しく揺らぐだろう。
愚弟を関わらせなくても、あの国の貴族が関わらないわけにはいかない。
精霊族の守りがあっても、万全ではないと思っている。
それだけ集団熱狂暴走の渦中は、周囲の状況が分からなくなるのだ。
―――― もし、集団熱狂暴走でロットベルク家第二子息に何かあれば
恋情の気配はなくとも、気を許している相手だ。
さらに言えば、恩も感じている。
そんな人間に何かあれば、あの温厚な主人でも逆上する気がした。
最悪、祖神変化はなくても、魔力の暴走を引き起こすかもしれない。
そして、ローダンセ城下で魔力暴走を起こせば、それこそ誤魔化すことなどできなくなるだろう。
ローダンセの王族たちだけでなく、別の国々も気付かれるかもしれない。
それは、主人が集団熱狂暴走に巻き込まれて害を被る次ぐらいに最悪のパターンだ。
だが、これで分かった。
これは予言ではなく、未来予知でもない。
単純に、主人の性格を考えた上での話らしい。
予知や予言のように確率が高い未来の話ならば、こんなに遠回りをせず、はっきりと言うだろう。
だが、俺たちはそれを否定する材料がない。
それだけ、様々な部分で無知だから。
「その上で、貴方はどう判断されますか?」
主人に「集団熱狂暴走」のことを話す。
それが正しいことだと思う。
だが、それが最善だとはやはり思えない。
安全な場所にいて欲しい。
何も知らせたくない。
傷ついて欲しくない。
そこに私情が入っていることは認めよう。
彼女に何かあれば、あの方が悲しむから。
その一点だけで、全て考えてしまっていることも。
「他の人間の意見も確認した上で、弟と話し、結論を出しましょう」
結局、俺にできるのはそんなことぐらいだ。
目の前の御仁のように正しい道を迷わず選べるはずがない。
特別な才のない人間は、迷いながら、助けられながら、正しくはなくても最善の道を模索し続けるしかないのだ。
「弟の助けを借りることを迷わないことが、貴方の最大の強みでしょうね」
大神官はそう言って笑う。
それは本当に強みなのだろうか?
単に余裕がないだけだ。
一人だけで何もできない。
俺の手はそんなに長くないことを知っている。
だから、弟の手を借りなければならない。
どんなに伸ばせても、俺が守れるのはたった一人だけなのだろう。
それも、我が身を引き替えにする形でしか守れない。
そんな無様をしなくても、複数を守る力を持っている者が心底、羨ましい。
「それでは、私は、貴方の出す結論を楽しみに待つことにしましょう」
複数どころか、大多数の人間を守れる力を持つ美貌の男はそう言って、聖職者らしく穏やかに笑ったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




