夢での出会い
『―――――――』
遠くから、誰かに呼びかけられた気がした。
『―――――――』
それはどこかで聞き覚えのある懐かしい声。
『―――――――』
でも、誰の声かは思い出せない。
『―――――――』
わたしに向かって何かを言っているのだとは分かるのに、それが、なんと言ってるのかは分からない。
『―――――――』
この場所は深い靄の中。
周りは不自然なほど何も見えない。
正直、ここがどこなのか。
夢か現実かどうかもよく分からない。
でも、何故だろう。
その声が、わたしに向けられているってことだけは分かる。
『―――――――』
その声は少しずつわたしに近づいて来ているのか、だんだん大きくなっていく。
それでも、その内容まではやっぱり聞き取れない。
大分、近付いたようで、決して小さな声ではなくなっているのに。
『―――――――』
とうとう、その声の主はわたしのすぐ後ろまで来た。
背後に誰かが立っている気配がする。
その人が、敵か味方かは分からない。
だけど……、後ろから涼しい風が通り抜け、わたしの長い髪を揺らした。
そして、先ほどまで周囲を包んでいた靄が晴れていく。
まるで、何かの準備が整ったとでも言うように。
わたしは意を決して、振り向くと――――。
『やあ』
そこにはどこかで見たような少年が立っていた。
「つ……?」
その名前を口にしかけて……、止める。
『どうしたんだい?』
「いえ、知ってる人に似ている気がしたんですけど、よく見るとなんとなく違う気がします」
その人は、前で分けられた少し癖がある黒い髪、髪と同じように黒い瞳。
やや幼いが、一応整った顔立ちをしている。
その少年は本当に九十九そっくりで……、でも……、九十九じゃなかった。
本人に会って話をしたから良く分かる。
その声も、外見も、確かに良く似ていて、彼のことをよく知らなかったら、騙されてしまうことだろう。
でも、こう漂ってくる雰囲気のようなものが全然、違う。
妙にニコニコと微笑みを浮かべている辺り……、どこか胡散臭い九十九って感じがして、かなり気色悪い。
でも、そんなわたしの気持ちに気付かないかのように、彼はこう言った。
『やっと、振り向いてくれたね』
「え?」
『ずっと呼びかけていたのに、いつもキミは途中でいなくなってしまうから』
それは……、そうなのかな?
でも、そう言われてもよく覚えていない。
何故か思考を上手くまとめることができなくて、深く考えようとすればするほど、集中できなくなっていく。
『今日は、もう少しだけいてくれるかい?』
「それは……」
分からない。
そもそも、不自然なまでに九十九に似ているこの人は一体……?
「あなたは……、誰ですか?」
考えてはみたけれど、やっぱり分からなかったので、素直に本人に聞いてみることにした。
『ボクは、ずっとキミと話をしたかった』
「え?」
返答があるとは思っていなくて、思わず短い声が出た。
だけど、彼はわたしの質問には答えてはいない。
そして、そのまま話を続ける。
『でも、キミはもう大体のことは知っているみたいだね』
「どういうことですか?」
わたしが、何を知っていると言うんだろうか?
彼の言いたいことが全く分からない。
でも……、そんなところは、九十九に似ている気がした。
『本当はボクが伝えたかった。キミが魔界人であることを。その方が多分、ショックも少なくて済んだと思う』
その言葉で気付く。
これは夢だと。
でも、ただの夢じゃないことに。
いや、多分、わたしが学校で不自然な眠りに襲われていた理由も、この夢にあったのかもしれない。
わたしが夢を視たのではなく、彼が夢にわたしを呼んでいたのだ……と。
「あなたも、知っているんですか? 魔界人のこと」
『魔界人のことだけじゃない。キミのことも良く知っていたよ』
あれ?
今、何か、ひっかかった気がする。
でも、それが何かは良くわからなかった。
『キミは、どこまで聞いた?』
「え?」
『キミ自身のことを……』
「えっと……、わたしと母さんが魔界人だってことと、母さんが、わたしの父親と思われる人の愛人ってことと……」
何故、素直に答えているかは分からない。
でも、もしかしたら、この時からわたしは気付いていたのかもしれない。
この人に半端な嘘や誤魔化しは通じないってことに。
『他には?』
「記憶と魔力というものを封印されてるという話も聞きました。それと……、通信珠について、でしょうか。」
『そうなんだ。じゃあ、肝心なことは聞かされなかったってことかな』
九十九に良く似た少年は、一瞬だけ怒りを含んだ感じでそう言った。
その顔は九十九より迫力を感じて、少し、ぞくりとする。
でも、すぐに先ほどと同じように微笑んでいる状態に戻った。
うん、やっぱりこの人は怖い。
そして、胡散臭いというより、確実に黒い。
間違いなく腹黒い!
ブラック……、いや、黒九十九降臨?
「か、肝心なこと……とは?」
それでも、わたしは確認する。
『キミがあの変な奴らに狙われた理由については?』
「え? それは、父親に当たる人の奥さんが……」
あれ?
でも、なんで、この人はわたしが狙われたことまで知っているんだろう?
『そうか……。やっぱり聞いてないんだね。あいつめ……』
「あいつ?」
『いや、なんでもないよ」
またもわたしの疑問には答えてくれないらしい。
「それより、聞きたくはないかい? キミは本当のことを』
「ど~ゆ~ことでしょうか?」
『キミに話をした奴は多分、本当のことを全部は話してはいない。キミが、ショックを受けないように、少しだけ、誤魔化したんだと思う』
九十九が……、気遣ってくれたってことだろうか?
「でも、それじゃあ、結局、キミが後から傷ついてしまう。だから、ボクが教えてあげよう。キミがそれを望むなら……だけどね』
そう言われて、まとまらない頭で暫く考えてみる。
「……必要ありません」
そして、わたしはそう言いきった。
なんでこの人がこんなことを言うかは分からない。
でも、この人が言っている「あいつ」とか「奴」というのは恐らく、九十九のことで間違いないだろう。
それならば……。
「話してくれた人は嘘をついてはいないけど、隠したいことがあったのはなんとなく分かっています。本音を言うと、あなたの言うことも気にはなりますけど……。わたしは、あの人を信じているので」
それだけは本当だ。
少なくとも、危ない所を彼に救われた以上、九十九を疑う理由はあまりない。
まあ、それすら罠の一部だったら仕方ないのだけど。
『ボクのことを信じられないってことかな?』
「それも少し違います。あなたも多分、本当のことを教えてくれる人だと思いますから。会ったばかりでこんなことを考えているのは自分でも不思議ですが、あなたを信じられないわけではありません」
そう、不思議なことに、わたしはこの九十九によく似た少年は、九十九以上に信じられる気がしていたのだ。
九十九と話すより緊張するし、なんとなく気も遣うけれど。
「それなら……」
「でもそんなに大事な話なら、夢ではなく現実で話して欲しいと思います。わたし、夢でのことはあまり覚えていないみたいなので」
わたしは何度も彼に会っていたのに、目が覚めるとよく思い出せなかったことを思い出していた。
今、見ている夢だって、起きたら忘れてしまう可能性はある。
そう言ったわたしを、九十九に良く似た少年は、穏やかな瞳でずっと見つめて……。
『そうか、残念だな。夢とは言え、やっとキミと話せたのに……』
と、少しだけ寂しそうな声で呟いた。
「ごめんなさい」
『いや、謝る事はないよ。確かに大事な話は夢で伝えても意味がない。キミが言っていることは全く間違ってないから、そんな顔をしなくて良い』
わたしが落ち込んだ時、慰めようとしてくれるところも九十九によく似ている。
そこに少しだけ、笑みがこぼれてしまった。
『でも、それじゃあ、お別れかな』
「え?」
『お目覚めのときだよ、お姫様』
そういう彼は少しずつ薄れていく。
「待ってください!」
いきなり、こんなのって……。
わたしが断ったから存在が希薄になってしまったみたいで、嫌だ。
『ボクとは多分、近いうちに会えるよ』
そう言う彼は少しだけ、笑ったような気がした。
近いうちに会える?
「では、せめて名前を……」
完全に影だけしか見えなくなってしまった彼に向かって叫ぶ。
このことを目が覚めてもしっかり覚えているかも分からない。
でも、ちゃんと彼の口から聞いておきたい。
『――――』
彼の姿は完全に見えなくなってしまった。わたしは一人、取り残される。
最後に彼は……、確かに何かを言った。
それが彼の名だったのか、別の意味が込められていたのかは分からない。
それでも……。
「ゆ……や?」
それは、どこか懐かしい響きを持つ音だった。
その言葉を呟くと同時に、わたしの意識もまたたく間に現実へ向かって走り出していったのだった。
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