各大陸の事情
集団熱狂暴走については分かっていないことが多い。
それは、セントポーリアの常識ではあったが、他国では全く違ったらしい。
「つまり、魔獣にとって、中級以上の精霊族は糧の素であり、人類の王族は自分たちから糧を奪う存在……、という考え方でよろしいでしょうか?」
俺がそう答えると、大神官は満足そうに頷く。
「極端なことを言えば、そうなりますね。尤も、人類や精霊族に、魔獣の意思など分かりません。これらの考え方は推論であって、正しいかどうかまでは情報国家すら分からないというのが現状です」
情報国家ですら不明瞭な意見。
その事実に思わず、ホッとしてしまった。
情けなくも、卑屈な感情である。
だが、事実を追い求める気も全くない。
素人がいくら考えあぐねたところで、時間の浪費にしかならないのだ。
だから、難解な謎解きなど、専門家に任せたいという思考自体はおかしなものでもないだろう。
「勿論、魔獣側にもそれらについて言い分はあるでしょう。私どもにそれが届くことはありませんが」
それはそうだ。
万一、言い分が届いても、考慮するに値しない。
魔獣の事情に人類の方から積極的に関わるべきではないのだ。
しかし、集団熱狂暴走は積極的に王族を狙うなら、さらに考えることが増えてしまう。
いや、言われるまでその可能性に気付いていなかった自分の思慮が足りないだけなのだが。
魔獣たちが少しでも綺麗で混ざり気のない大気魔気を望むなら、人類は敵である。
それも、より多くの純粋な大気魔気を効率的に奪った上、別のモノに変質させてしまう王侯貴族など諸悪の根源以外の何者でもない。
それが自分よりも上の実力差があると理解できるほどの冷静さは集団熱狂暴走の前に既に無くなっていたとしても、食事を邪魔する存在を排除しようとする心は本能的に最後まで残る気がする。
「しかし、ここ近年、水の地に住まう精霊族の血も随分、薄まりました。精霊族の血が濃いために、人類と共存できないと判断した者たちは、自ら『音を聞く島』へと向かうようになったと正神官シンアン=リド=フゥマイルから聞き及んでおります」
つまり、「音を聞く島」の成り立ちはそこか。
そして、あれだけの無様を晒したにも関わらず、今でもウォルダンテ大陸の国家が管理しようとしている理由もその辺りにあるのかもしれない。
あの島に常駐するようになった彼の正神官からこの大神官宛に、相変わらず分厚い記録が届いているのだろう。
月に一度、主人宛にも届くようにしているが、それをあの主人は神官からの手紙を読む練習としているようだ。
神官から「聖女の卵」に宛てられた手紙が、本人の目に触れることはあまりない。
まず、この大神官のところでそのほとんどが消えているからである。
そのために、主人に神官からの手紙が届くことは稀なのだ。
だが、そんなことに使われているとはあの正神官も夢にも思っていないだろう。
「そのためか、水の地では、集団熱狂暴走の規模が大きくなっているようです。近年、大気魔気の調整も上手く行っていないこともあり、発生率も高くなったように思われます」
これまでは耐えられた。
だが、これからは……?
「特に、一月後に起こることが予測されている集団熱狂暴走は、ローダンセ城下に近い位置での発現しそうだと伺っております。そうなると、王族の対応によっては、甚大な被害が出るかもしれません」
それは、誰の目による予想なのか?
いや、今考えるべきはそれではない。
「そして、私にこの報告が届いたのは、二日前です。他大陸の観測は難しいとのこと。そのため、九十九さんがお見えになった時にお伝えすることが出来ず、大変、申し訳ありませんでした」
そう言いながら、大神官は頭を下げる。
それを止める気はない。
その水の地には、大神官や大聖堂が守るべき「聖女の卵」が滞在していたことを知っているのだから。
当人に非がなくても、形だけでも頭を下げるのは、立場上当然なのだろう。
同時に、俺たちが気付けなかったことも責められているわけだが。
「いえ、私どもはその大陸にいながらも気付くことができませんでした。不徳の致すところです」
「集団熱狂暴走は、その発生源である神気穴に近付かねば分かりません。その場所を確実に知るのは国を管理する王家。そして、神が関わる以上、その責任は管轄の聖堂にあるため、他国の人間である貴方方が予測するのは困難でしょう」
つまり、これらは王家と聖堂の責務の一つらしい。
「遠くからでは分からないのですか?」
「まず、周辺の異常を観測できるのは、聖堂管理者であることが多いですね。尤も、大気魔気が変化するため、魔力の感知に優れている人間でも、その範囲が広がれば気が付きます」
そうなると、ローダンセ城下に滞在中の魔法国家の王女殿下たちも気付いている可能性はあるのか。
「その付近の魔獣たちが著しく変化するため、近付けば、魔力、法力の有無に関わらず、察することができるでしょう。但し、城から出ない王族では気付くことができないと、情報国家の国王陛下が口にしたことがあります」
「それは、何故でしょうか?」
ほぼ反射で聞き返していた。
城から出ない王族ならば、対応が後手に回っているセントポーリアと、今も対応していないローダンセは該当する。
「王城自体が濃い大気魔気に包まれているからです。そこから出なければ、他の大気魔気が濃い場所など分からないと言っておりました」
「それは道理ですね」
そして、情報国家の国王はそこから出る王族なのだろう。
いや、他の人間を出しているのか?
神気穴の場所を把握していれば、その地に他の人間を使わせることもできる。
だが、自ら行動することを好むあの国王が、大事な仕事を他者に任せるとも思えなかった。
「空の地は王族が頻繁にその場所を訪れているようですね。その全てを封じるのは無理のようですが、もともと集団熱狂暴走の兆しが発生することも少ないようです。もしかしたら、その中央に精霊族が住んでいる地があることも一因かもしれません」
スカルウォーク大陸はその中央に「迷いの森」と呼ばれるかなり大きい森林地帯がある。
そして、そこには長耳族と呼ばれる中級の精霊族がいた。
その場所はどの国も不可侵であるという盟約があると聞いていたが、それは、こんな理由からなのかもしれない。
そして、それを知らない国は中心国になれない。
そんな事情もあったのか?
「地の地においては、神官たちが巡礼先にて集団熱狂暴走の兆しを見つけた際は、神気穴を塞ぐことが義務付けられております」
「神気穴は塞ぐことができるのですか?」
「神官の力量にもよりますが、正神官に上がれるような者ならば一時間。上神官ならば、半日。高神官ならば1日。薄い膜を貼り付ける一時的な処置が行えるでしょう」
残念ながら、大神官については教えてくれないようだ。
「人類の影響を考えれば、法力で神気穴を覆うことは許されません。但し、集団熱狂暴走の兆しがあれば、半日ほどは許可されております。神官たちの中には、巡礼中に神気穴を探す者も少なくないようですよ」
つまりは、半日ほど法力で塞げば、確実に防げるということか?
防ぐことができるかもしれない。
それだけ、その場所で放出されている大気魔気の素が濃いと言うことならば。
だが、同時に気になることが出てくる。
「濃すぎる大気魔気は人体に有害となると聞きます。ですが、それを差し引いても神官たちにとって、求める価値があるということでしょうか?」
俺がそう尋ねると、大神官は苦笑しながらも……。
「聖跡に触れるよりも、法力の力が上がるという話が、神官たちの間で実しやかに囁かれているのですよ」
そう答えてくれたのだった。
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