後悔はやり直せない
「ウォルダンテ大陸の集団熱狂暴走のこと。水尾さんには伝えるのか?」
ローダンセ城下には、滞在中の魔法国家の第三王女殿下がいる。
だが、あの人が魔獣退治に慣れていることは知っているが、集団熱狂暴走となればどうだろう?
「迷っている」
意外にも兄貴はそんなことを言った。
「迷っている?」
「俺は主人同様、彼女も関わらせたくない」
「意外だな」
そういった方向の迷いだとは思わなかった。
「集団熱狂暴走は魔獣退治の延長ではない。全く別次元の災害だ。万一のことを考えれば、男はともかく、女性を関わらせたくない」
兄貴の言葉で……。
―――― 発情した魔獣に凌辱された人類は悲惨だ
そんな言葉を思い出した。
そして、魔法国家の王族であっても、その心配をしなければならないほど、集団熱狂暴走が恐ろしい災害であることも。
「水尾さんがローダンセ城下にいる時点で関わらない……は、難しくないか?」
しかも、ローダンセに来てから幾度となく、魔獣退治もしているのだ。
もしかしたら、今頃、その兆候に気付いているかもしれない。
あの紅い髪ですら、気付いたのだから。
「カルセオラリアに戻す……と言う手がある」
「あ~」
なるほど。
元々、彼女たちはカルセオラリアの庇護下にある。
正しくは、トルクスタン王子が保護している状態だ。
それを使えば、あの双子の王女たちは逃がすことが可能ではあるのだが……。
「大気魔気に敏感な水尾さんが、その状況に気付いていないと思うか?」
「怪しんではいるだろうが、確信はしていないと思っている。フレイミアム大陸と大気魔気が違うからな」
確かに地元ではないのだから、はっきりとは分からないかもしれない。
「真央さんもそうか?」
「……分からん」
だが、もっと大気魔気に敏感な第二王女殿下の方は、既に気付いている可能性が高いと言うことか。
「ただ彼女は集団熱狂暴走に向き合えるほどの戦力がない。逃げろと言えば、事情を理解した上で、逃げてくれるとも思っている」
第二王女殿下は、魔力が強いのに、魔法がほとんど使えなかった。
最近、ようやくいろいろな手段を持って、少しずつ使えるようになってはきたが、それでも、普通の魔獣相手に単独で退治も難しいと思うような状態だ。
だから、逃げろと言われたら逃げてくれるとはオレも思う。
「そうなると、問題は水尾さんか」
「そうだな」
水尾さんが逃げるなら何も心配はいらない。
だが、もし、戦うことを選んだら?
栞から恨まれる確率が格段に上がってしまうわけだ。
「兄貴は水尾さんでも厳しいと思うか?」
これまでの前評判や、実際の魔獣退治を見た限り、過剰なほどの攻撃力だと思っている。
だが、本当に次元が違うなら、過剰が過剰ではなくなるという判断もおかしなものではない。
「俺が知るのは、セントポーリアの集団熱狂暴走。それも子供の頃にたった一度のみだ。だから、過剰な判断をしている可能性もあるが……、数が多いとはいえ、セントポーリア国王陛下がすぐに片付けられなかったという一点が引っかかっている」
「……と、言うと?」
「セントポーリア国王陛下は、模擬戦闘ですら、俺たち三人に対してどうだった?」
言われて思い出す。
栞はともかく、オレと兄貴だけでは模擬戦闘すら話にならないのだ。
しかも、話を聞いた限りでは、剣を振るって……?
「神剣ドラオウスは使わなかったのか?」
「使わなかったのではなく、使えなかったらしい。その約二週間前に鞘から出して神剣の力を振るったばかりだったからな」
その言葉で、その二週間前に何が起きたかを理解する。
兄貴が……、魔獣に呑み込まれた日だ。
それで、兄貴が魔獣退治を願ったことにもつながるのか。
実戦経験を得たかったのだろう。
「鞘ありでも結構な威力だったが?」
「……抜き身の剣よりは強くあるまい」
それは、確かに。
あれはオレの雷撃魔法を防ぎつつ、斬らないようにした結果だろう。
だが、魔獣相手にそんな手加減などする理由もない。
「しかし、集団熱狂暴走は、セントポーリア国王陛下も苦戦するのか」
そうなると、オレたちでもどうしようもない話となる。
「何を言っている? あの陛下が、多少、強化されたとはいえ、魔獣相手に遅れを取ると思うか?」
「あ?」
一瞬、兄貴が何を言っているかが分からなかった。
「集団熱狂暴走で恐ろしいのはその数だ。無限に湧き出てくる魔獣たちを前にし、終わりの見えない戦いに一人が心を折られ、集中力が切れたところに雪崩込まれ、その一人が蹂躙される様を見た別の人間の集中力も切れるという負の連鎖が続くのだ」
「あ~、そういうことか」
どんなに強固な守りも、穴が一点開けば、そこから脆くなる。
そこから、次々に穴が広がっていくということか。
「見知った顔が、魔獣にその身体を食いちぎられる様を見て、平気な人間はそう多くない。親しければ親しいほどその動揺は強くなる」
その言葉にゾッとした。
オレはまだ、魔獣によって誰かが傷付く姿を見たことがない。
水尾さんも濃藍も、魔獣に苦戦しないからだ。
「幸いにして発情系はいなかったが、食い荒らされる人間は何人も見た。治癒魔法を使う隙もないのだ。一度、血を流せば、獣の本能なのか、流血中の人間が標的となる」
血の匂いに引き寄せられるのか。
人間を食うことが目的ではなくても、大気魔気を食らう邪魔する障害を排除しようとすることはあるだろう。
「加えて、陛下が下がるだけで、戦意を喪失する人間も少なくなかった。陛下は強いし、頼りにしたくなるその気持ちは分かる。だが、その結果、未成年の若造に全てを委ねるのは止めていただきたかったな」
「は?」
今、変なことを聞いた気がするぞ?
「陛下が下がると戦線が崩れる。だから、自分を守るために崩れない場所を探したい。そこに意外にも戦えているクソガキがいた。それを守るという名目で傍にいれば盾ぐらいにはなるだろう。そんな大人が多すぎたのだ」
「なんだ? 自慢か?」
どう聞いてもそのクソガキは兄貴でしかない。
人が食い荒らされるそんな戦闘に、未成年なんか普通は参加させないだろう。
「自慢ではない。そのガキは死なないように必死だっただけだ。魔法力の配分も未熟。状況に応じた魔法の見極めもできない。あれだけミヤドリードに習ったはずなのに、実戦ではそれらのほとんどが吹っ飛んでいた。その場から陛下がいなくなったというだけで」
それは、陛下がいる時はできていたってことではないだろうか?
やはり、自慢にしか聞こえない。
「また陛下が下がろうとするたびに余計なことを言うのだ。『この場は任せた』、『戻るまで戦線を維持しろ』、『ミヤドリードの愛弟子ならこれぐらい軽いよな?』、『その様で何を守る気だ?』。そんな言葉を次々にぶつけられて、無様に膝を折るなんてできるか?」
「陛下は兄貴の使い方をよく理解している」
「そこでその返答はおかしいと気付け」
オレからすれば、目を掛けてもらっているとしか思えない。
ミヤドリードの愛弟子の名か。
それ以外の部分で評価されていたのかは分からないが、意外にも兄貴はかなり昔から陛下の信を得ていたようだ。
「兄貴は休めたのか?」
「休んだ。……というか、何度か、意識が飛んだ」
「……よく、生きて帰ったな?」
話を聞くだけで、相当な目に遭っている。
それでも、兄貴は帰ってきた。
オレが何も知らない所で、そんなことが起きていたのに、それを微塵も感じさせずに。
そのことが少し悔しかった。
あの頃のオレは、本当に何の役にも立たないガキだったことを思い知らされているような気がして。
それらも今更の話だ。
全て終わっている今、始めからやり直すこともできない。
「意識が飛んだのは、決まって陛下が戻った直後ばかりだった。気が緩むのだろう。おかげで食われることもなかったようだ」
水尾さんもかなり過酷な魔獣退治生活に身を置いていたようだが、兄貴も回数こそ少なくとも、状況的には負けていないかもしれない。
何せ、これが魔獣退治デビュー戦ときたもんだ。
オレはつくづく守られていたことを実感する。
「そんな昔話はどうでもいい。それよりも、方向性を決めておく」
「へいへい」
兄貴が昔話をするなんて、かなり久しぶりだ。
しかも、自慢に聞こえるようなことなのに、本人は本気で嫌がっているような話だった。
……もしかして、死期が近いとか、そういうやつじゃねえよな?
「なんだ?」
「いや、兄貴は殺しても死ななそうだなと思っただけだ」
「流石に俺も殺されれば、素直に死ぬ」
オレの軽口にも軽い口調で返す。
だが、どうだろう?
この兄貴が簡単に死ぬとも思えない。
しかも、素直に?
万一、殺されるようなことがあった、殺した相手に呪詛を送って道連れにするぐらいはしそうだけどな。
オレはどこかぼんやりとした思考でそんなことを思ったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




